[約束]
一週間は、あっという間に過ぎていった。
二人は、静かな村に宿を取り、その短い期間を『恋人同士』として過ごした。
買い物に出かけてみたり、湖の畔で話をしたり、手をつないで町中を歩いてみたり。
静かに、ゆっくりと過ごした。
それは、とても穏やかな時間だった。とても、とても幸せな時間だった。
このまま、時が止まってしまえば良いのに、と・・・・・そう思える日々だった。
その想いとは裏腹に、別れの時は、確実に迫っていた。
怯えるように『その日』を恐れる彼女に、テッドは「8年なんてあっという間だ!」と笑った。
予告されていた満月の晩が、やってきた。
『別れは、月が見える場所が良い』と言う彼女の希望で、月と星がとても良く見える小高い丘の上にいた。その場所には、並々と茂る大きな木が、ポツリと一本静かに佇んでいる。
そこへ腰を下ろした。満天の星空の中、月が、柔らかい光で世界を照らしていた。
残り僅かな時を、二人、寄り添って過ごす。
星を見上げていると、彼が言った。
「なぁ……。」
「ん…?」
「俺さ……。お前に約束するよ。」
「約束?」
「うん。必ず、お前を見つけるからな。」
そう言って、彼が手を握った。優しく、強く。
それを聞いて、は、一つ首を振った。
「違うよ…。」
「ん?」
「私が、あんたを見つける。この紋章が、あんたの居場所を教えてくれるから。」
この百数十年で共鳴した者達の居場所は、今、全てが手に取るようにわかる。だからこそ、自分が見つけよう。そして、それが未来に戻った後にまず自分が真っ先にやるべき事だと伝えた。
彼は、それに一つ瞬きをして「それは、分かってるけど…。」と頭をポリポリ掻く。
「分かってるけど、なに?」
「……分かってんだよ。でもさ、何があるか分からないだろ? 今まで二人で生きてきて、『マジかよ?』って思ったこと……一つや二つじゃなかっただろ?」
「そりゃ、そうだったけど…。」
彼の言っていることは、正しい。
これまで、ここに来るまでには数々の出会いがあり、また別れがあった。
難所は、時に『道』であったり、時に『人』であったり。けれど、その困難を二人で乗り越えてきた。その中には、予想を遥かに上回る出来事や、とんでもなく斜め上をいく事、そして想像すら出来ずに思わず『ここまでか…』と思うこともあった。
それらは、幾千と数を成した。
だから、彼は、そう言ったのだろう。
これまでの日々を思い返しながら、そうだね、と返す。
「だから、さ…。」
「うん。」
「待ち合わせ場所……決めておかないか?」
「……待ち合わせ場所を…?」
「あぁ。確かにお前の紋章を使えば、お前が未来に戻ったあと、簡単に俺を見つけられるかもしれない。でも、やっぱり………なんか不安なんだ…。」
そう言われて、ふと、思う。
彼は、あまり不安を口にしない人だった。どんな時でも、まず先に不安を口にするのは自分で。けれど今、彼が”不安”という言葉を口にして、あぁと思った。そう言葉にするほど、彼は『未来への確証』が欲しいのだと。自分よりずっと長く生きていても、彼は自分と同じなのだと。
「そっか…。うん、分かった。」
紋章の能力が『絶対』だと、自分自身そう思っていた。もちろん、彼もそれはよく承知しているのだろう。だが『絶対』が『絶対』であると証明してくれるものは、この世界のどこにも無い。それが現実なのだ。それは、きっとどの”世界”であろうとも・・・・。
だからかもしれない。”絶対に大丈夫”という反面、その言葉で一抹の不安に駆られてしまったのは・・・。
それから。
万一に備えて、という意味合いで、待ち合わせ場所を決めた。
年に12回ある満月の内、年明けから数えて3度目と6度目、そして9度目と12度目の満月に、この満天の星空の中、平原やそこから連なる山々を見渡せる『この場所』で、再開を約束した。
と、ここで、ある事を思い出す。
遠い、遠い過去。今となっては、数年という先にある”未来”。
グレッグミンスターという、美しく栄えていた大きな街並の中。
私は、その場所で、あんたと出会ったことがある。
その時は分からなかったけど、今ようやく、あの時のあんた言葉の意味を知ることが出来た。
だから、あんたは、未来で出会う未熟な私に何も言わずにいて。きっと彼女は、今の私みたいに長い年月を歩いた後、あんたとまたこうして笑い合っているはずだから。
そう言うと、彼は「……分かった。忘れないようにしないと。」と言った。
そして、万が一、この場所が無くなってしまっていた場合のことを考えて、二つ目の候補は『グレッグミンスターの正門』にしよう、と思いつきで言うと、彼は「そうだな。分かった。」と言って頷いた。
「あっ!」と言って、彼は、思い出したようにポケットから小さな箱を二つ取り出した。
それを黙って見つめていると、その一方を渡される。
「何これ…?」
「……いいから、開けてみろ。」
言われた通り、その箱を開けてみた。
そこには・・・。
「えっ? これって……!」
箱の中には、リングが入っていた。
そっとそれを手に取り、月明かりに照らして見ると、見たこともない刻印の周りに、やはり見たことのない不思議な模様の入ったシルバーリング。
「……ペアなんだ。」
そう言って、彼も、持っている箱の中から小さなリングを取り出した。それは、自分が持つ物よりも、一回り小さい。
もしかしてと思うより早く、彼は、そのリングを自分の薬指にはめてくれた。
「っ…、テ、テッド…?」
「お前も…俺に、その……。」
そう言われて、その行為と言葉の意味を瞬時に理解した。
これって、これって、これって・・・!!
急激に全身へと緊張が走り、体が固まる。対する彼は、柄にもないことをしたと目を逸らしながら頬を染めている。
「い、いいの!? 私がやっちゃっても…!」
「やっちゃって、って……。お前以外に、誰がいるんだよ…。」
緊張よりも恥ずかしさが上に立つと、今度は指が震えた。震えながらも、彼の左手の薬指にそっとリングをはめる。
「…………。」
じっと彼を見つめると、真剣な眼差し。
「これな…。俺の村に伝わる文字なんだ。」
「文字? それじゃあ、この模様も?」
「……あぁ。俺の村で、よく使われてたんだけど…。」
「どんなんで?」
「いや、その…。」
「なに?」
「式、とか…。」
「しき? 式って、なんの?」
「け、……結婚式だよ!!!」
「なっ!?」
言ってる内に羞恥に耐え切れなくなったのか、誤摩化すように声を上げてそう言った彼に、目を丸くした。丸く、というよりも、目を見開いたといった方が正しいかもしれない。
言っている方もそうなのだろうが、これは、言われた方も相当恥ずかしい。驚きと照れのあまり、その言葉を繰り返すしかなかった。
「け、け、け……結婚式ッ!?」
「な、なんだよ! 嫌だったのかよ!?」
「ち、ちがっ……ッ…。」
「お、おい! なんだよ、どうかしたのか?」
「…………やばい、なんか泣きそう…。」
「おまっ、ちょっ、泣くなよ! なんで泣くんだよ!」
「だってさぁ…!」
思わず顔を覆って泣いた。嬉しくて嬉しくて、我慢出来なかったからだ。
それを見た彼は、オロオロしながら背をあやすようにさすると、言った。
「それとな…。」
「な、に?」
「その中心に掘ってある、文字の意味……なんだけどな…。」
「うん。」
「………その、意味……なんだけど、な…。」
「あんた……顔赤いよ…。」
「う、うるさい! いいから黙って聞け!」
「ぐすッ…。で、意味ってなに…?」
「う、そ…それは……。」
涙を拭いながら問うも、彼は「あー」とか「うー」とか言いながら躊躇している。
は、ただその言葉を待った。
そして、ようやく彼は、ポツリと・・・・・本当に聞き取れるか聞き取れないかの声で言った。
「俺の村の言葉で……”愛してる”って彫ってあんだよ……。」
「……………。」
「……………。」
顔が赤いのは、お互い様。でも、そんなことは、もう気にすることもないだろう。
「……テッド。」
「な…、なんだよ…?」
「ありがとうッ!!!!!」
「がッ…!?」
恥ずかしい上に感極まり、思いきり彼に抱きついた。それは、体当たりに近いものではあったが、彼は少し苦悶の声を上げただけで、あとは我慢の一字で黙って受け止めた。
涙が止まらなかった。嬉し過ぎて。感激し過ぎて。
もう、彼の胸に顔を押し付けて涙を流すこと以外、何もできなかった。
「ぐすッ……。そういえば……いつの間に、こんなの買ったの…?」
「……買ったわけじゃない。」
「じゃあ、作ったの?」
「…………。」
彼は「お前が、こないだ装飾品店の前で、ペアリングのケースまじまじ見ていたから…。」と言って、それから口を閉じた。作ったのか? という問いに答えなかったあたり、それはきっと肯定の意を含んでいるのだろう。
きっと彼は、自分の気持ちを悟って、夜も更けに更けてから、寝ている自分が起きないように部屋をひっそり抜け出して、どこかでこれを作っていたのだろう。
どうりで、と思った。
彼はここ数日、ずっと目の下に隈を作っていたのだから。彼の手の器用さがこんな所でも発揮されていたのかと思うと、笑みが込み上げてしまう。
こんなにも、自分は、愛されている。他でもない彼に。
それだけで、この長い時を生きていて良かったと、心の底から思えた。
だからこそ、彼に『自分の秘密』を打ち明けた。
伝えたい。けれど、伝えて良いのか分からない。伝えてしまえば、何かが変わっていきそうな、そんな気がしてしまう。でも・・・・
捨てたはずの、私の、本当の名前。
「…?」
「そう。私の……本当の名前。」
「でも…なんでだよ…?」
何故、そう名乗るに至ったのか。それだけは、どうしても言えなかった。
それは、これから先も誰かに言うことはないだろう。言ってはいけない。口に出してしまえば、きっと、この世界へ来た自分という存在が揺らいでしまう。だから、ただ黙って首を振った。
彼は、それ以上問うことはしなかった。
「…。」
「…うん。」
「……。」
手を握りしめて、彼は何度もそう呼んでくれた。忘れないように。自分の本当の名を、その心に刻みつけるように・・・。
捨てたはずの名を呼ばれるだけで、嬉しくて涙がにじんだ。その涙は、彼の右手の甲にポタリと落ちる。
ゆっくりと近づき、額同士を合わせた。
彼は、目を閉じて言った。
「必ず……。必ず、また会うぞ…。約束だ!」
「うん! あっちに着いたら、すぐに会いに行くから。」
「、いや…………………愛してる。」
「うん、私も……愛してる。」
そうして、口付けを交わす。・・・・・最後のキスを。
ゆっくりと、長い時間をかけて、再開の約束を。
唇を離すと、同時。
体が、光に包まれ始めた。
時間が来た。逆らえない『隔たり』が。
それは、自分たちを僅かな一時でも引き離そうとする『時間』という名の境界。
その刹那。
テッドは、ほんの一瞬、錯覚に捕われた。
誰かが、泣いていた。
・・・・女性だ。女性が泣いている。
何かに縋り、全身を震わせながら、静かに啜り泣いている。
その顔を、伺い知ることは出来なかった。
けれど、その泣き声は、次第に叫ぶほどのものへと変わっていった。
──── 嫌だ……嫌だ!! …私を…………置いていかないで……!! ────
”誰か”が、そう言った。この世の悲痛を全て身に纏ったような、哀願と自責の叫び声だ。
それは『白昼夢』とも言えない、瞬きよりも早い時間。
その女の声が、姿が、はっきりと目に焼き付いた。
「ッ…!!!」
今、彼女を離してはいけないと直感した。
「ッ!!!!!」
「テッド……ッ、うっ……やっぱり嫌だ、離れるのやだッ!!!!!」
「っ…ちっくしょッ…!!!」
咄嗟に彼女の肩を引き寄せようと手を伸ばして、愕然とした。もう、この手は彼女に届かない。触れることすら叶わない。
抱きしめようにも、口付けようにも、彼女は光に捕われてしまっていた。
「テッド、好きだよ!!! 大好きだよッ!!!!」
その言葉と共に、彼女は、この世界から・・・・・・・この”時代”から姿を消した。
彼女の消えたその場所で、動くことはなかった。
空は、いつの間にか白み始め、時を待たずして、また陽が昇り始めるだろう。
今、なによりも優先させなければならないのは、”生き存える”こと。
彼女と再会するために、まずは、それが『最も優先されるべき』こと。
それと知った彼は、決意も新たに、旅荷を肩にかけて立ち上がった。そして空を見上げる。
必ず・・・必ず、彼女とまた会う。
絶対に生き存えて、彼女と再会する。
そして彼女を、もう一度、この手で抱きしめるのだ。
そう心に誓い、目を閉じた。
「…………………愛してる。」
そんな恋人達の再開を祈るよう、明けの空で、星が微かに瞬いた。