[旅を終えて]



 それまで自分を柔らかく包んでいた光が、静かに消えていった。
 途端、酷く懐かしく感じる独特なひんやりとした空気が、全身を包む。
 ゆっくりと目を開けると・・・・・

 「。」
 「………。」

 自分を呼ぶ人物に、沈黙した。
 別段、怒りがあるわけでもない。悲しみがあるわけでもない。
 ただ『これは、納得しなければいけないこと』だと、自分に言い聞かせていた。

 目の前に立ち、瞳を閉じている女性───レックナートに八つ当たりをするほど、自分はもう子供でもなく、浅はかでもない。
 しかし、あれから今日この日にまで至り、一人で生きながらえているであろう彼のことを思うと、すらすら帰還の口上を述べることも出来なかった。

 確かに、自分を過去へ送り、そして戻ってこいと指示したのは彼女だ。だが、彼女が悪いわけではない。別に、誰も悪くはない。ただ、自分が悪いだけのことだった。

 時間を越えて過去へと旅立ったのだから、いずれこうなることを、心のどこかで感じていた。もしかしたら、という思いを持ちながらも、けれどそれをなるべく考えないようにしていた。だが、世界は、残酷に廻っていた。
 だからかもしれない。それまでいくつになっても甘い考えに浸っていた自分を、これほど『許せない』と思ったのは。

 行きがあれば帰りがあるのは、当然のこと。いつ帰ることになるやもしれないのに、それを、考えから押しやって忘れようとしていたのは、自分。不安になる”可能性”を心に留めておきながらも、それについて知ろうともしなかったのは、自分。見て見ぬフリをしていたのは、いつでも自分だった。

 ・・・・分かっていた。

 百年以上を生き、様々なことを目にし耳にし、心に刻みつけてきた。けれど、分かっていても見て見ぬフリをしないと、心が保てない状況もあることを、世界に向けて叫びたかった。教えてやりたかった。

 だからこそ、彼女の顔を見なかった。視線をずらし、自分に向けられている意識を受け流した。記憶も朧げになってしまったこの場所から早く出たい、と、そう思ってしまった。
 140年ぶりの我が家。自身にとっては、まさしく。

 彼女は、何も言わない。そして、自分も何も言わなかった。今、何かを口に出そうものなら、声が震えてしまう気がしたから。彼の事を想い、感情がごちゃ混ぜになってしまう気がしたから・・・。

 と、ここで思い出す。自分には、行かなくてはならない場所があったことを。自分を独り待ち続けてくれているであろう彼を、見つけに・・・。
 あぁ、でもそれでも、やはりその前に報告はしなくてはなるまい。気持ちだけを優先させて子供になりきることは、もう出来なかった。

 「戻りました……。」
 「えぇ…。お帰りなさい、。」

 いったい、これ以上、自分に何を求めるのだろうか? これ以上、彼女になにも伝えることはない。
 重い沈黙の中、まずは、彼の居場所を探ろうかと考えた。だが、紋章に意識を集中しようとする自分を遮るように、彼女は言った。

 「今日は、もうお休みなさい。」
 「…………。」
 「…。」
 「私は……会いたい人がいます。これから、その人を探しに行きます…。」
 「ルックも、貴女の帰りを待っています。ですから…。」
 「……分かりました。」

 兄弟子に挨拶が済んでからでも遅くはない。彼女は、そう言っているのだろう。
 だが、踵を返し扉に手をかけた所で、不意に彼女から投げかけられた言葉が、胸に突き刺さった。



 「……これより二年後……。再び、宿星が集まります……。」



 一瞬、言葉に詰まったものの「…分かりました。」とだけ返す。それが生返事であると、きっと彼女は分かっているだろう。
 しかし、それ以上なにも言ってこなかったため、部屋を後にした。
 彼女の言葉に、いったいどんな含みがあったのかも知らずに・・・・。






 うっすらと、記憶の隅に追いやられていた自分の部屋を思い出しながら階段を下っていると、その音を聞きつけたのか、後ろから声がかかった。
 振り返ると、そこには、朧げながらも記憶に残る懐かしい顔。

 「…………ルック?」
 「……暫く見ない内に、物忘れが激しくなったんじゃない?」

 あぁ、とても懐かしい。そうだった。この子は、よく憎まれ口を叩いていた。
 でも・・・・何かおかしい。そう思ったのは、間違いではない。例え記憶が朧げであったとしても、それに確信があった。

 「あんた、なんか……背ぇ伸びた?」
 「…? ……当たり前だろ。きみが旅に出てから、何年経ったと思ってるんだい?」
 「え…?」

 その言葉の意味が捉えられず、つい聞き返す。すると彼は、怪訝そうな顔をして言った。
 そして、その言葉こそが、己に不安を灯す”きっかけ”となる。

 「……本当に、大丈夫なのかい? 5年見ない内に、随分と物忘れが激しくなったね。」
 「……………。」

 彼の性格を表す憎まれ口も、もはや頭に入らなかった。何を言われているのかすら、理解に苦しんだ。
 今、なんと言った? この子は、なんて言った?
 5年・・・? そう・・・・・『5年』と言った。

 「ちょっと……待ってよ。五年ぶりって…?」
 「………きみ、本当に大丈夫かい?」

 頭が混乱する。パニックにはならなかったが、それに近い状態と言ってもいい。

 「5年? そんな…! 今……何年なの?」
 「……?」
 「教えて、お願い……今、何年なの?」
 「……今は、太陽暦458年だけど……そんなことも覚えてないのかい?」

 ちょっと待って・・・・・・ちょっと待って!!
 心臓が止まりそうになる。
 テッドと別れたのは・・・445年。自分にとって『今しがた』と言えるものだったので、それははっきり覚えている。
 では、彼と約束した年は?
 確か、自分が過去へ飛んだのは、453年の初め。『時間』という都合上、それより昔へ戻ることはないと踏んでいた。戻ってくるにしても、出発した時間軸より、長く見積もっても数ヶ月から1年ほどの幅で戻るものだと。
 あぁ・・・・まただ。自分は、また勝手にそう思い込んで・・・!



 『それじゃあ、待ち合わせ場所は、ここにしよう。』

 『え、ちょっと待ってよ。ここ? ここって、この場所…?』

 『あぁ。お前、よく考えてもみろよ。時間を移動するんだろ? だったら、余計に何があるか分からないぞ。もしかしたら、やっぱりその紋章がおかしくなる可能性だって、俺は否定できないと思う。』

 『だーかーらー! 大丈夫だってば!』

 『……でも、やっぱり念には念を入れたい。お前を信じないわけじゃないんだ。でも、なんか…。』

 『あーもう、分かったよ! で、どうする? 目印あった方が良くない?』

 『目印……目印。ん…、じゃあ満月の夜にしよう。』

 『満月? 満月って言ったって、年に12回とかあるんでしょ? 毎月?』

 『それなら、年に4回はどうだ?』

 『なるほど! それじゃあ、年明けから数えて3、6、9、12回目にするってのは?』

 『よし。それなら、お前でも間違えようがないな!』

 『……ウッザ!』



 「……………。」

 自分が推測していた時間より、長い。五年も長く、彼を待たせている。
 そして彼は、未だ現れる気配のない自分のことを、心配しているかもしれない。
 ・・・・いてもたってもいられない!!

 しかし、今こうして焦るよりも、まず冷静さを取り戻さなくてはならない。長年培った経験から、すぐに心は静かな波に満たされた。ゆらゆらと僅かに揺れていたそれが、完全な静となった。
 その時、ふと気付いた。それは、とても簡単な事だった。師と話していた時でさえ、思いついていたことだったじゃないか。

 「あー……。私、ほんとバカだな…。」
 「……?」

 完全に混乱していたから、全くの盲点だった。右手の紋章を使えば一発だということを、ド忘れするなんて。
 本当、テンパると数センチ先の物すら見えなくなるもんだ。額に手を当てながら呆れた。
 彼を簡単に見つけられる。そう思っただけで、心が軽くなった。



 それならば、憂うことなど、何もないじゃないか・・・・。