[一つの光]



 そんな考えに浸っていると、目の前で怪訝そうに眉を寄せる少年が目に入った。

 「……ねぇ。きみ、何かあったのかい?」
 「あー、なんでもない。ごめん! 久しぶりに戻ったからさ…。ちょっと…何か、久しぶり過ぎておかしくなった。」
 「……きみがオカシイのは、5年前から変わってないだろ。」

 ピシャリと言ってのける少年に、苦笑い。

 「そういえば、レックナート様に聞いたかい? 2年後に、また宿星が集まるって話。」
 「また? 2年後…?」
 「……聞いてないんだね?」
 「あ、聞いたかも…。でも、あんま頭に入ってなかったかも…。」
 「……まったく、呆れたものだね。」

 大げさ過ぎるぐらいの溜め息を見せた少年に、あはは、と乾いた笑いしか返せない。
 だが、ふとその右頬に目が止まった。そこには、治りかけのような小さな傷。

 「あんた、どうしたの? そのほっぺ。」
 「…あぁ、これかい? 解放戦争中についたんだよ。」
 「……解放戦争…?」
 「なに、知らないの?」
 「うん。」
 「…………。」

 途端、少年が疑うような目をして黙り込んだ。そして何を思ったか、問うてくる。

 「……きみ、どこまで旅に行ってたんだい?」
 「え? そ、それは…」

 まさか、そんな質問を受けると思っていなかった為、思いきり面食らった。てっきり、師は、彼に自分がどこへ旅に出ているのか知らせていると思っていたからだ。しかし、どうやら本当に彼は知らないらしい。
 彼女が言わなかったのなら、別に本当のことを言う必要もないのかもしれない。そう思い、誤摩化すことにした。

 「レックナートさんの転移で…………もの凄ーく遠い所まで…。」
 「…っそ。まぁいいよ。それで僕は、レックナート様の命令でその戦争に参加したんだけど……ちょっとしくじっちゃってね。」
 「ふーん…。で、その傷?」
 「そうだよ。………なに? 何か文句でもあるのかい?」

 ジロリと睨んでくる少年に、また苦笑い。思慮深く慎重だったはずのこの少年が、傷を負うなど珍しいと思ったからだ。
 まぁ、箔がついて男らしいんじゃない? そう言ってやると、ますます睨まれた。

 「きみ…。こっちでこんなに大きな戦があったのに、旅先で何の情報も入らなかったのかい?」
 「んー、まぁね。つか私、あんまり人が行く道を通らなかったから、世情にはどうも疎くてさ。」

 これは、真実。どちらかと言うと、街道や正規の道よりも獣道ばかりだったため、素直にそう答えた。彼は、それに「…ふーん。」と言っていたが、やはり何か疑っているような顔。

 と、ここで、またも違和感。

 「……ちょっと待って。あんた今、”こっちで”って言った…?」
 「こっち?」
 「今、あんた、”こっちで大きな戦があったのに”って言ったよね…?」
 「正確には、”こっちでこんなに大きな戦があったのに”、だけどね。」
 「こっちって……どっち?」
 「きみ……。こっちって言ったら、このトラン領内以外どこがあるのさ?」
 「………トランの………どこ?」」
 「この領内全域でだよ。それがいったい、どうしたっていうのさ?」
 「…………。」

 彼の問いを黙殺して、思考に全神経を集中させた。

 第一の『待ち合わせ場所』は、このトラン領内。しかし、そこは、山と草原に囲まれた場所だった。人里のない場所であったが故、戦火は届いていまい。
 だが、彼が今でも自分を待ち続けてくれているなら、はたして大丈夫だったのだろうか。いや大丈夫だろう。彼のことだ。きっと上手く戦火を逃れながら、終戦を待っていたに違いない。彼の慎重さは、自分が一番よく知っている。

 ならば、第二の待ち合わせ場所は? 首都であるグレッグミンスターの『正門』。
 一時思考を中断してルックに問えば、「首都の殆どが焼けたけど、今は、復興作業をしているらしいよ…。」と言った。
 良かった。何も問題はない。戦のおぞましさを知る己の心は、純粋にそれだけを喜んだ。

 戦争が起こった原因、経過、そして結果を彼に聞かなかった。そんな事よりなにより、優先すべきことが自分にはあったからだ。

 全神経を、今度は、右手の紋章へ集中させた。



 「えっ……………なん……で……?」



 ・・・・・『在る』はずのものが、無い。

 その、いい知れぬ恐怖に、体が震え上がった。






 感じられる、はずだった。
 タカをくくっていたわけではない。『絶対』という自信があったにせよ。
 何か言おうとしていたルックに「ごめん…。」とだけ告げて、今しがた降りてきた階段を駆け上がった。転移という方法すら忘れて。

 最上階にある重苦しい扉を開けると、先ほどまで話していた女性の前に立った。
 彼女は、そこで静かに佇んでいた。

 「レックナートさん……。聞きたいことが…。」
 「……どうしたのですか?」
 「この紋章のことで…!!」
 「何があったのですか…?」

 彼女の持つ独特の空気が、落ち着きを取り戻せと言っている気がした。だが、それに構わず続ける。

 「あなたは…共鳴した相手なら、相手の居場所が分かると……昔、私に教えてくれました。それなら、教えて下さい! 共鳴したのに…、共鳴したはずなのに、相手を感じられないのは、どうしてですか!? あなたやルックの紋章は感知できるのに、どうしてッ……!!」

 不安で不安で仕方なかった。なぜ、彼を感じられない?
 それに伴う答えを、彼女は持っている。そう思ったが、思うよう言葉が冷静に出てこなくて、感情そのままにぶつけてしまう。
 冷静にならなきゃダメだよ。自分を静観するもう一人の自分が、そう言った。

 「……落ち着きなさい…。」
 「教えて下さい! なんで…っ!!」

 崩れ落ちてしまいそうなほど、取り乱していた。
 もしかしたら、なんて。考えたくない時ほど、その先をネガティブに想像してしまう。
 すると、ふと肩を撫でられた。見上げれば、師が、音もなく自分をあやすよう肩に手を乗せている。

 「…。貴女が望むのならば、私は答えましょう。ですから、どうか落ち着いて下さい。」
 「教えて……下さい…。」
 「……分かりました。一つは、貴女の思う通り、所持者の”死”を意味します。ですが、もう一つは…………所持者が”交代”した可能性を意味しています。」
 「交代…?」
 「貴女が共鳴した所持者……。その者が、他者にそれを譲渡した可能性もあるのです。仮にそうなった場合……貴女の紋章は、その行方を追いかけることが出来ません。もしそう望むのならば、新しい所持者と共鳴し直さなくてはなりません。この意味が、分かりますか?」
 「じゃあ…、それじゃあ、テッドは……?」
 「……………。私には、分かりません…。ですが、”希望”を捨てないで下さい…。」

 「………?」

 その時に。

 何かが、”おかしい”と。

 そう・・・・・・思った。

 「貴女の言う”テッド”という人物は、所持していた紋章を、誰かに渡した可能性も──。」
 「本当…ですか…?」
 「……言ったはずです。私には、全てを見通す力はありません。ですが…」
 「分かり……ました…。」

 「それと、もう一つだけ……。」






 師の放った言葉は、自分の心を少しだけ軽くした。
 それが、”死”だけを意味するものでないと言われ、希望が持てた。
 いや、そちらの方が優位だった。

 『それと、もう一つだけ…。紋章を所持した者が、その紋章を”支配下”に置けるようになれば………紋章の気配を絶ち、貴女に感知されなくなることすら可能になるのです…。』

 彼は、紋章を絶対に守ると言っていたし、誰かに渡すような真似はしない。ただ、何が起こるか分からない、と常々言っていたのもまた彼だ。
 もしかしたら。ふと思う。
 昔、彼の言っていた”ある女”に、追われていたとしたら?
 それ故に、彼が紋章の気配を断っていたとしたら?

 もしかしたら、自分のために、彼は相当危険な道を渡っていてくれたのかもしれない。出会ってから100年以上経過したが、当時の彼は、ただ『逃げる』という選択肢を選び続けていた。あの女・・・・・・ウィンディという、狂気を秘めた女から。
 しかし、気配を断つことができるようになれば、よほど目立った行動を起こさぬ限り、見つかることは無いだろう。彼は、まだ自分を待ってくれているはずだ。



 一筋の光がさした。



 彼を 探しに行こう
 彼を 守りに行こう

 約束を交わした あの場所へ・・・・