[紋章を持つ者]



 同盟軍に名を連ねた、その日の夜。
 は、ルックの部屋に来ていた。



 疼きの原因は、とうに承知していた。過去、何度かそれを体験することがあったからだ。
 それは、必ずと言っていいほど、『一定の条件下』でしか現れない現象だった。
 だが、それに”確信”を得たいと思っていたのは事実。今までは、誰に聞くことも適わず、こちらへ戻ってきてからは、ずっと探し人のことだけを考えて動いていた為、その現象のことすら忘れていた。

 だが、今なら問える。答えてくれるだろう人物が、目の前にいる。
 故に、その部屋の扉を叩いたのだ。



 部屋に通され、何か言われる前に椅子に腰を下ろした。
 対する彼は、扉を閉めるとその正面に座る。
 まずどう出ようか。頬杖をついて考えていると、彼が口火を切った。

 「面倒だから、単刀直入に言うよ。は…………真なる紋章を持ってる。」
 「…………。」

 目を伏せて、静かに息をつく。やっぱりか、と思わず零した。

 「彼が持つのは、『輝く盾の紋章』……。」
 「輝く盾……。って、あれ? ってことは…」
 「うん。前に本で読んだよね? 『剣』の片割れだよ。つまり、もう片方の紋章は…」
 「あーん、メンドクサイなぁ…。敵側にあるってことだよね?」

 ルックの言った通り、剣と盾の話を知っていた。正確には、思い出した。
 この世界に来て勉強を始めてから、『27の紋章』という本でその話を知った。
 そして、その際彼から聞いていた。『剣と盾の紋章を所持できるのは、互いに”絆”が深い者同士』だということを。
 そして、その『紋章を宿した者同士が、相争わなくてはならない』ことを。

 「…ってことはさ。の敵って…」
 「その可能性が高い…、というか、十中八九そうだろうね。」
 「あー…。」

 あんな年端も行かない少年が、戦の渦中、それもド真ん中にいることに嘆くことしかできない。人ごとではあるが・・・・人ごとであるが故、胸を痛めずにはいられなかった。
 そうこうしていると、ルックが話題を元に戻す。

 「それで…………疼いたんだろ?」
 「あー、やっぱりね。あんた、知ってたんだ?」
 「……まぁね。それぐらいは、レックナート様から聞いてる。」

 話しながら右手を差し出すと、彼が手袋を外してくれた。だが、露になった己の甲を見て、思わず「あれ?」と口に出してしまう。現れたのは、古い友人が『カムフラージュ』として贈ってくれた刻印ではなく、創世のそれだったのだ。

 「あれ? やっぱり、大地の紋章が消えてる…。」
 「消えてるんじゃないよ。の紋章に反応して、創世の紋章が、大地の紋章を押しのけて浮き上がってるんだ。」
 「へぇ…。やっぱり、そうだったんだ…。」

 理屈を初めて知った。そう言うと、呆れたような溜め息が返ってくる。
 過去、こういった事例は、何度か見てきている。紋章を持つ者との接触によって疼きが発生し、その都度、こうして創世の印が顔を出すことは。
 しかし、ようやくその意図することを理解して、一つ疑問が解消された。

 「きみ、そんなことも知らなかったのかい?」
 「…ルックくん、一発欲しいのかな?」
 「…………。それに、なんでこんな紋章宿してるんだい?」

 こんな紋章とは『大地の紋章』のことだろう。
 だが、その意図する所が分からず、首を傾げた。

 「なんでって…。これは、友達がくれたからだよ。」
 「…………。」
 「なに? どうかしたの?」
 「………”あいつ”を思い出す…。」
 「は?」

 あいつって、どいつ?
 そう問うと、彼は「…なんでもないよ。」とその話を終わらせた。だが、まだ何かいい足りないのか「対して役にも立たないだろ…。」と続ける。
 こんなにサポートとして役立つ紋章は、他にないのに。なんて奴だ。
 思わず、口元を引き攣らせながら反論した。

 「あんたねぇ! これは、大切な友達がくれた物なの! それに土紋章って、すっげー役に立つし!」
 「……別に、きみの事なんかどうでもいいけど。」
 「こんのクソガキャッ!」

 手を振り上げてみるものの、彼との間には、机という隔たりがあるため拳が届かない。
 それを心底小馬鹿にしたように鼻で笑って、彼は言った。

 「頭の中。変わらないよね、本当に。旅に出るだけ、時間の無駄だったんじゃないの?」
 「お前、ほんっっっっっとーにムカつくな! マジ泣かすッ!」

 ガタッ、と怒りに任せて椅子から立ち上がるが、冷たい視線を送ってくる少年は、途端に光を放ち始める。転移で逃げる気だ、このガキ!
 そう思い奥歯をきしませていると、彼は続けた。

 「あぁ、そうそう。きみの『共鳴』のことだけど、この戦争が終わってからにしておきなよ。」
 「は? なんで?」
 「僕たちが、真なる紋章を持ってるっていうことを、他の奴らに知られない方が懸命だろ?」
 「まぁ、そりゃそうだけど…。」
 「それに、紋章持ちだと………何かと”厄介事”が、回ってくるだろうからね……。」
 「……………。」

 その言葉に、何も返さなかった。返せなかった。思い出したからだ。
 ルックの言っていることは、正しい。全く持って正論。

 知らず知らず俯く。

 真なるそれを持っているというだけで、頼られる。夢を託される。
 時には、命を削る覚悟で、それを使わざるを得ない者もいた。
 かつての仲間であり、また大地の紋章を贈ってくれたあの少年だ。



 彼の持つ紋章は、『使用するだけで命を削る』というリスクを持っていた。
 それを、よく分かっていたのだろう。少年は、できうる限りその力を使わないようにしていた。しかし、仲間の窮地には、そのリスクを伴ってまで”それ”を使用していた。
 自己を、どこまでも犠牲にして・・・・。

 別に、それが悪いとも偽善だとも思ったことはない。
 彼は・・・は、それを自然にやってしまう子だったから。そして、その優しさが彼という個の尊さであったのだから。
 でも、考えたことがある。あの戦争がなければ。あの紋章を手にしていなければ、彼は普通の少年として、普通の人間として天寿を全うできたのではないか、と・・・。

 あのとき彼は、まだ十代の子供だった。様々なことを、これからゆっくりと経験していける年だった。それなのに・・・あの戦争が、あの紋章が、彼から少年らしい笑みを奪い、短い少年時代を奪った。
 笑顔や少年らしい仕草が無かったわけではない。だが彼の少年は、少なからず影を抱いていた。大人にすら出せない『憂い』を、常に隠し持ち続けていた。

 辛くはないか? そう聞いたことがあった。
 彼は、それに「皆が、俺を頼ってくれているから」と小さく笑っただけだった。
 そんなはずはないだろう、と思った。辛くないわけがない、と。
 少年という心に体にのしかかる、大人達の期待や希望。彼は、いつも一人でそれに耐えていた。

 なんとなく話したそうな顔をして、じっと自分を見つめてきた事もある。けれど、どうしたと問うも、彼は決まって「…なんでもないよ。」と笑った。追求しても、気のせいだよ、と。
 けれど、やはり彼は辛かったのだ。頼られたり期待されたりするのは、きっと嬉しいことなのだけれど。それも過度になると、日々募る不安に押しつぶされてしまいそうで・・・。
 辛い出来事だらけの中、少年は、あの戦いを駆け抜けたのだ。

 『……。』

 それらを思い起こし、心で彼の名を呼んだ。
 目を閉じると、かつての姿が浮かんだ。朧げに霞むその笑顔。
 右手には、今も尚その存在を示すように、彼の気配がゆらゆら触れていた。






 ふと目を開け、視線を上げると、ルックが見つめていた。そのいつものような無表情は変わらないが、その瞳は、自分のことを心配してくれているような、そんな色を持っている。
 ややあって、彼は「…どうしたのさ?」と言った。

 「ん。昔のこと、思い出してただけ…。」
 「…っそ。」

 そう言うと、彼は、続けて何か言おうと口を開けかけたが、すぐに目を伏せ転移していった。






 主の消えた部屋で、一人天井を見上げては、また瞼を閉じる。

 懐かしい記憶。
 数ある欠片の中から、かつての戦友たちを思い起こして。

 あれから、150年の時が流れた。
 あの時の仲間達は、彼以外、もうとっくに安らぎを手にいれたのだろう。
 けれど、きっと彼だけは、何も変わらない。
 あの時のまま、変わらぬ姿で、今も生き続けているのだろう。

 「ねぇ、…………また、会えるよね…?」

 記憶の中の彼は、今も変わらず、優しい笑顔を向けてくれた。