[First Contact]
今日は、とても天気の良い日だ。時は、正午前。
先日雨が降ったせいか、もう陽が頂上に達する頃合いだというのに、森の木々をそよぐ風は魔術師の塔にも涼しさを届けてくれている。
その塔の中、ルックの部屋で勉強をしていたは、ふと彼に声をかけた。
「ねー、ルック。これなんて読むのー?」
「……はぁ。」
『これ』というのは、彼女が読んでいた本で、表紙にはこの世界の文字で『ユニコーンとひとりの少女』と書かれている。子供向けの、単語を覚える為の本だ。
なんでも、この『ユニコーンとひとりの少女』は、本来、厚さ3cmの小説三冊分というそこそこの規模を誇るものらしいのだが、思春期の乙女達に大層人気のある話のようで、こうして小さな女の子専用の単語練習本として発行されたらしい。
ルックの感性からすれば、そういった話は乙女ったらしくて馬鹿馬鹿しいことこの上ないのだが、しかし、この世界の文字が全く読めないにとっては、恋愛小説の簡易化であるこの練習本は、大層お気に召した様子だった。
今日も、こうして彼の部屋に来ては、分からない単語を聞いて、彼の読書を邪魔していた。
ルックとしてみれば、『またか』という気持ちがあった。
自分に向けられ目一杯開かれた、本。だが、彼女が指す『分からない単語』とやらは、もうすでに二度は教えている。文字を覚えようという気持ちがあるのなら、一度で覚えてみせようという気概はないのか、この20歳は。
しかし、そんな事を口にしようものなら、迷いの一切無い鉄拳が飛んでくる。それを身を以て経験した彼は、半ば諦めにも似たようなため息をつき、自分の読んでいた本に枝折をはさんでから答えた。
「言っておくけど…。これ、もう二度は教えてるからね?」
「うんうん、分かってる分かってる!」
「……分かってないよね。」
「分かってるから、早く教えて!」
「……次で、絶対に覚えてよね。」
絶対にまともに聞いてない。そして、確実にもう一度聞いてくる。ルックはそう直感した。
しかし、彼女のニコニコとした有無を言わさぬ笑顔で諦める。こいつ、やっぱり変な奴だ。
そう思いながら「一角獣のツノ」と教えてやると、彼女は「なーるほど。そうだった気がする!」と、教えている側からすれば実に腹立たしい言葉を吐きながら、再度本に目を落とした。そうしながらも「サンキュー!」と礼を言ってくる辺りは、性格が素直なのだろう。
年上の癖に、随分と子供っぽい。そう思いながら一瞥くれて、ルックも読書を再開した。
が魔術師の塔に来て、早くも一ヶ月が経とうとしていた。
レックナートが、まず彼女に与えた課題。それは、この世界の文字と、ある程度の地理や過去の歴史を覚えることだった。
確かに、この世界の住人として過ごすためには、まず文字を覚えることが先決だった。
本を読むことはもちろん、それは、必要な知識を得るために役立つし、何かの際に手紙を書くこともあるかもしれない。とても重要な知識だった。
幸い、地理や歴史は、地図と言葉で何度か教えてもらう内に理解した。
だが、この世界の文字を覚えるという事は、そう簡単にはいくはずもなかった。
の生まれた国、いわゆる『日本』は、ひらがな・カタカナ・漢字という三種類の文字を組み合わせて使っている。元居た世界で言えば、一番文字としての種類は多いだろう。
この世界にどれだけの言語があるのかは分からないが、現在、ルックの教えてくれている文字は、英語にもロシア語にも似ていない。自身、ロシア語の知識なんてあるはずもないが・・・。
ここの文字は、どちらかと言えば象形文字のような、自分が居た世界でも使われていない、言うなれば『とても古い時代』に使われていたようなものだった。
もちろん、最初は、単語を覚えることから始めた。
ルックに協力してもらい、日常的な単語表を作ってもらった。それらを自室の壁に張り、毎日毎日、口に出して反復練習した。
ルックにとっては、面倒なことこの上なかっただろうに、彼は、レックナートの言いつけもあってか、嫌味を織り交ぜながらも勉強に付き合ってくれた。
もちろん、彼の嫌味に対して拳で応戦したのは、ちょっとした秘密だ。
そして、ある程度人並みとまではいかなくとも、そこそこの文字を覚えていったのを期に、彼から簡単な本を借りた。タイトルは『27の真の紋章』。
だが、その本の前では、自分の覚えた日常単語の活用など、塵に等しかった。もしそれが、言葉に乗せて教えてもらうだけの勉強だったのなら、覚えるに容易であっただろう。しかし、文字としてそれを一人で『読破』するとなると、中々に難しかった。
言葉の壁ならぬ、文字の壁だ。
はっきり言って、文字初心者の彼女にそんな小難しい本を与えたルックは、鬼畜だ。しかし彼としては、彼女と初めて会話したあの日に、頭をド突かれたことを根に持っての行動だったのだが、残念なことに、それが裏目に出る結果となってしまった。
本を渡した翌日、彼は、もっと酷い目にあったのだ。
それまで、なんとかルックのイジメに耐え抜き、年上の威厳で『なんとかしてやる!』と頑張っていた彼女が、突如「もう無理なんだけどーッッ!!!」と奇声を上げながら泣き出し、彼の部屋で大暴れしたのだ。
自分の部屋で大暴れされ、更には家具を滅茶苦茶にされた挙句に、何発か八つ当たり気味の鉄拳を頭にくらった彼は、否応なく学習した。『この女に、一定以上のストレスを与えてはいけない。そのツケは、確実に自分に向かってくる』と・・・。
そんなこんなで渋々渡されたのが、『ユニコーンとひとりの少女』だった。
まだ、少々不安なところもあるが、たまに単語を忘れたりする以外は、この本をほぼ読み通せるようになってきたため、ルックは、そろそろ彼女に別の本を与えようかと考えていた。
だが、ふと窓を見て、本に枝折を挟んで閉じ本棚に戻す。すると、それが視界に入ったのか、彼女が「どしたの?」と声をかけてきた。
「…別に、どうもしないよ。」
「あーそーですか。」
「……ねぇ。」
「んー?」
「……そろそろ、昼ご飯なんだけど。」
「えっ、もうそんな時間?」
僕は嘘は言わないよ、と内心思いつつ、本を閉じる彼女を見つめる。
彼女は、早足で窓に寄ると、空を見上げて「あ、本当だ! もうこんな時間なんだ?」と言った。
「分かったなら、とっとと行くよ。」
「あー、腹減ったー!」
「まぁ、その前に、買い出しに行かないといけないんだけどね。」
「……はぁ!?」
てっきりすぐに炊事の支度にかかると思っていたのだろう彼女は、その言葉に思いきり眉を寄せた。文句を言いたげなその視線を受け流して、続ける。
「だから、買い出しに行かないといけないって言ってるんだけど? 同じこと、何度も言わせないでよね。」
「クソガキッ!」
今日も今日とて、『鉄拳制裁』という名の拳が、自分目がけて襲いかかってくる。だが、こちらもやられっぱなしではない。転移で彼女の射程範囲外(彼女の背後)に逃げた。
「ん? おぉ……成長したな、少年。」
「……きみの頭と同じにしないでくれる?」
彼女は、内心腸煮えくり返ってますとばかりに口元を引きつらせていたが、何を思ったか急に笑みを見せた。
「……なにさ?」
「うっせ。オラ、買い出し行くんだろ? とっとと支度せぇ、とっとと。」
「……ずっと思ってたんだけど、きみって柄が悪いよね。まぁ、別に…きみの事なんかどうでもいいんだけど…。」
そう言って踵を返し、ドアノブに手をかけた所で、背後から彼女の拳が振り下ろされた。
ルックの転移魔法でやって来たのは、グレッグミンスターという大きな街だった。
ここは、継承戦争の英雄と言われるバルバロッサ=ルーグナー、通称『黄金の皇帝』が統治する、巨大な国家の都心部にあたる。
初めてこの都市へ来た時、人物や街の記憶は残っていた為、憧れていた幻水世界の知っている街に来れたことで気分は最高潮だった。
「っつ……覚えてなよ。」
「明日になったら忘れてますよ。っつーかその台詞、何度目?」
「……………。」
出かけ際に殴られた頭が痛むのか、彼は、そこを手で擦りながら涙目で睨みつけてきた。「ざまーみろ」とばかりに意地悪く笑ってやると、その態度に腹が立ったのか、彼はいつもより更に仏頂面になり、『お前なんか迷子になってしまえ!』とばかりに早足で歩いた。
「あっ、ちょっと待ってよ!」
「……いちいち騒がないでくれる? みっともないね。馬鹿力で殴られた頭が、きみの馬鹿でかい声で割れそうだよ。」
「はっ、割れちまえ!」
「……きみ、口も悪いよね。」
「お前が言うな、クソガキ!」
嫌味の応酬をしながら、人混みの多い町中を歩く。だが、如何せん人が多過ぎたため、元より小さな少年は、あれよあれよという間に人混みに紛れ、見えなくなってしまった。
「………やべー…。」
これには、流石に焦った。
まず頭に浮かんだのは、ルックと逸れてしまったら帰れないということ。次に、はたしてあの生意気真っ盛りの少年が、迷子になった自分を捜してくれるだろうかという疑問。
後者は、確実に無い。それは確信できる。あの可愛くないクソガキが、この広い都市で自分を捜す姿など、とてもじゃないが想像できない。
そこで、ふと思う。
自分は、この街のことを何も知らないわけじゃない。
それなら、あのクソガキを捜しがてら、知らない通りでも散策してやろう。
「ルックー、毒舌魔術師ー。可愛い顔してるけどー、性格最悪ー。超ウルトラクソガキー。」
とりあえず、可愛らしさの欠片もない少年の憎たらしさを歌にして、嬉々と街を歩く。
何となく角を曲がり、なんとなく路地裏らしき場所へ入ってみた。しかし、建物の隙間が狭い場所を抜け、思いつくまま角を右に左に曲がったところで、突き当たってしまった。
「…へぇー。路地裏もけっこう綺麗じゃん。やっぱ黄金皇帝さんは、やる事が違うね。」
自ら路地裏に入ったが、大都市の隅々までの清潔さに、思わず感動の声が漏れた。やはり光輝く皇帝様は、ゴミ一つ塵一片の存在も許さないらしい。いや、これは自分の勝手な解釈だが。
路地裏でポツンと一人佇み、感動の声を上げている自分声がかかったのは、この直後だった。
「おーい。お姉ちゃん、一人かな?」
振り向くと、いかにも柄の悪そうな男が二人、道を塞いでいた。
後ろは壁。目の前には、変なおっさん二人。
しかも、このおっさん達、路地裏の輝きにすら劣っている。駄目人間確定だ。
やばいな、柄の悪いナンパかな。直感的に危険を感じた為、あえて笑顔を作って答えた。
「いえ…。申し訳ないんですけど、連れがいます。」
そう言い、男達の間をすり抜けようとした。が、片方の男に腕を掴まれてしまう。
あぁ、これはマズい状況かも。内心焦ったが、口元を引きつらせながらも笑みは崩さない。「他に何か用ですか?」と問うと、そんな自分を嘲笑うように、男達が口元を歪めて笑った。
「俺達、暇してるんだよ。よかったら、付き合ってくれねーか?」
「……お断りします。連れを待たせてるんで、失礼します。」
「おぉっと、失礼しないでくれよ! ちょっとぐらい良いじゃねーか。ちょっとだって!」
「……連れが待ってるんですけど?」
「あ? 聞こえねーなー。」
これは、本格的にマズい。完全に絡まれフラグだ。しかもこのフラグ、これから先はかなりヤバい状況ですよと言っている気がする。
ルック何やってんの、とっとと助けてよね、ピンチの時に助けてくれなくてどうすんの! いや、でもあいつまだチビスケだし、子供に助けてもらう大人って、ありえないか・・・。
そう思った、その時だった。
男二人に挟まれて押し問答する自分の頭上を、何かが掠めた。それは、ヒュン、と空気を切り裂き、行き止まりのレンガの壁に突き刺さる。
おぉ、ルック様のお出ましか! 期待して咄嗟に壁に目を向けると、壁に突き刺さっていたのは、矢。
・・・・・矢?
ルックは、矢なんて使わない。そう思って矢の飛んで来た方を見る。男達も一緒に。
そこには、鉄製の弓を持った少年が立っていた。どうやら、その少年が矢を放ったようだ。
なにこの子、全然知らない。そう思っていると、男の一人が少年を睨みつけた。
「……おめーか? あれ射ったのは?」
誰がどう考えてもそうだろう。しかし、は口にしなかった。ここで何か言っても、誰も相手にしてくれないだろうから。
そう思わざるを得なかったのは、大の男二人に対して、少年は、怯えるどころか真っ直ぐに男達を睨み返すほど鋭い眼光をしていたからだ。だが、しかし。ここでの『大人という自覚』が目覚めた。それは、言葉になる。
「あんた、私のことはいいから、早く逃げな!」
こんな見ず知らずの子供に庇われて、挙句に怪我をさせてしまっては、親御さんに大変申し訳ない。だからこそ『自分の事はいいから、とっととここを立ち去れ』と言ったのだ。少年が立ち去ったあと、自分がどうなるかも考えずに。
しかし、ここで少年が「…はぁ!?」と、心底意外そうな顔をした。
「…なに言ってんだよ。お前、そいつらに絡まれてんだろ?」
「いや、絡まれてるは絡まれてるけど…って、そんなことどうでもいいから、あんた早く逃げなさい! ついでに、誰かに知らせてくれれば、もっと嬉しいけど!」
「嫌だね! 俺が人を呼びに行ってる間に、お前、そいつらに変な事されるぞ。」
「なにその確定された放送禁止の未来予想図! 全然嬉しくないから! って、とりあえず逃げなってば! あんたまだ子供なんだから、巻き添えにしたくないんだよ!! ほら、早く逃げて!」
「………嫌だ。」
やけに、はっきりとした口調だった。だが大人と子供、しかも二対一では劣勢は否めない。
・・・・もうなりふり構っていられない。そう考え、今度は大声で叫んだ。
「あーもうッ! 私はいいから、あんたは早く逃げろっつってんの!!」
「なんだよ、その言い方は! 助けてやろうとしてるんだろ!!」
「助けられると思うわけ? だったらとっとと人呼んで……、って。ちょっとあんた、何やってんの!?」
「バーカ! 見れば分かるだろ!」
そう言って少年は、矢を取り出し弓につがえると、凛とした声で男達に言った。
「……次は、外さないからな。」
その眼差しは、例えるならば、どこか老成した者のような歪さと、厳かな空気を纏っているような、そんな色味を帯びていた。
そして、その眼差しの強さに射抜かれた男達は、少年の言葉を本気と取ったのか「くそっ!」「覚えてろ!」と、ありきたりな捨て台詞を吐きながら逃げていく。
男達が去ったことで、それまでの緊張が一気にぬけた。と同時に、思わずその場にへたり込む。
すると、少年が、矢を矢筒にしまいながら駆け寄ってきた。
「おい、大丈夫か…?」
「うん…、どうもありがとう。」
「それにしても、災難だったな。ここら辺じゃ、普段あんなの見かけないんだけど…。」
弓を背にかけながら、少年が、手を差し出してきた。その手を取りながら、ふぅ、と一息をついて顔を上げる。
ここでは、間近で少年の顔を見た。自分たちの瞳が、近距離でかち合う。
少年の持つ、茶色の瞳。それは茶色と呼ぶには物足りない、深い色合い。
カチリ。
少年の瞳と自分の漆黒の瞳が、交差した。
と。
この少年が誰であったか、瞬時に理解した。
そう。自分は、この少年を知っている。オレンジに近い髪の色、青を基準とした服装、そして肩にかけられた弓矢。
テッドだ。
「………………?」
「えっ…?」
合点がいき、少年の名前を呼ぼうとした瞬間、逆に自分の名を呼ばれて頭が真っ白になる。
それもそのはずで、自分は、この世界の人物である彼を知っているが、『歴史の記憶の削除に伴い、名前と顔が一致する』といった程度のものにしか過ぎない。それでも彼を覚えていた。
しかし、なぜ初対面であるはずの彼が、自分の名前を知っているのか。この町中で出会い、言葉を交わしたことのある人間の中に、彼はいなかった。それに、もし交わしていたのなら、絶対に忘れる事なんてない。
「! ……なんだろ? なんでこんな所に…!」
「えっ!? えっ、と…ちょっと待って!」
泣きそうな顔をした少年は、膝を折るとギュッと抱きしめてきたが、事態の急展開に頭がついていかない。困惑するほかなく、抵抗もできず、されるがままだった。
いったい全体、なにごとか? これは、いったいどういうことか?
自分は、彼を知ってはいるが・・・・・本当の意味では知らない。
それなのに、どうして自分は、いま彼にこうやって抱きしめられているのか?
そう。まるで、恋人同士のように・・・。
抱きしめられながらも、彼との出会いを思い出そうと、懸命に眉を寄せる。すると、どうやら自分が『怪訝な顔をしている』と勘違いしたのか、彼は身を離した。
「……?」
「えっと、あのー…。」
「まさか、俺のこと………。………あ! も、もしかして…!?」
「えっ?なに?えっ??」
途端、彼は、顔を真っ赤にして距離を取った。「ごめん、ほんとにごめん!」と、トマトのように真っ赤になった頬を隠すようその背を向けながら。
その挙動に違和感を感じ、立ち上がって彼に近づく。
「えーっと……ごめん。申し訳ないことに、私は全然覚えてないんだけど…。前に、どっかで会ったことある?」
「……いや、何でもない。ほんとにごめんな。その…ほんとに……何でもないんだ。」
「えっと…まぁ、よく分からないけど、私の方こそ、助けてもらって本当にありがとう。」
「別に…、困ってたみたいだから、助けただけだし…。」
「いやいや本当、きみ凄いね。超強いね! 私、感動した! すっごいかっこ良かったよ!」
「なっ! ほ、褒め過ぎだろ……もういいって!」
「でもでも、本当にありがとう!」
立ち上がり、深くお辞儀をすると、彼は照れたように頬をかいた。と思えば、次にじっと見つめてくる。自分を、どこか懐かしい人を見るように、とても寂しそうな目で・・・。
やはり会った事があるのだろうか? 不安になった。
「えっと……やっぱり、どっかで会ったことある?」
「いや…………たぶん、その……”お前”とは………………ない。」
「は?」
その言葉が妙に引っかかって、首を傾げた。その口振りからして、まるで自分ではない良く似た『』という人物が、存在しているような物言いだ。
それを問おうとすると、少年は、まるで追求から逃れるように慌てて踵を返した。
「いやっ、その、本当に何でもないんだ! それじゃあ、俺、連れが待ってるから!」
「あ、ちょっと待っ…!」
言い終わる前に、少年は駆け出した。
遠くの方で「テッドー?」と呼ぶ声が聞こえる。幼さを幾許か残した少年の声。
これは、もしや・・・!!
「テッドのこと捜してんのって、もしかしてかな? うわー、見たい見たい!!」
少年を呼ぶ少年の声に予想をつけ、そんなことを呟いた。好奇心に火がついてしまいそうだ。
だが、そんな自分の葛藤なんぞいざ知らず、目の前に現れたのは、眩い光。
・・・・・・・・・嫌な予感。
「あ…。」
「…………………捜したよ。」
一瞬過った嫌な予感は、嫌味なほど見事的中した。
その一瞬の内に思ったのは、『あんたじゃなくて、レックナートさんが良かった』だった。
目の前で立っているのは、今まで見た中でも最上級の不機嫌顔をした、ルック。
そして、その両手には、一週間分の食料を買い込んだのであろうそれらが、大量に詰め込まれた大荷物。この大荷物を、この小柄な少年一人に持たせるのは流石に可哀想だと、は進んで買い物のお供に立候補していた。それを『ルックを捜す』から『一連の事件』によって、すっかり忘れていたのだ。
「えっと…。」
「きみ………僕に迷惑かけるのが、大好きみたいだね……?」
「な、なに言ってんの!? 置いてったのは、あん…」
「………今度こそ、本当に、覚えておきなよ。」
「ご…ごめんってば!」
ついムキになって言い返すが、今日の彼は、逆ギレで済ませてくれそうにないらしい。それを現すように、その瞳には、冷たい紅蓮の炎が宿っていた。肌でそれと感じたため、背を向けて歩き出した彼を追いかけながら、は、必死にご機嫌取りに終始した。
しかし、頭の中では、テッドの言葉が消えなかった。
もしかしたら、本当に、自分にそっくりで名前も同じ女性が、存在しているのかもしれない。けれど、この街の人々からは、そういった話しを聞いたことがない。
あの言葉は、あの瞳の寂しさは、どんな意味を持っていた・・・?
しかし、どう考えたとしても、今の彼女にその問いの『答』を見つけることなど出来るはずもなかった。
見つかるはずもなかった・・・・・。
ちなみに。
それから数日間、ルックの機嫌は直らなかったらしい。
「あれ? 考え事?」
「えァ? いや……何でもない。」
「そんなこと言って、さっきから上の空じゃないか。」
「そんなことないって! ……ところで。今年って、何年だっけ?」
「…? どうしたんだよ、急に…。」
「いや…、なんでもない。」
「451年だよ。物忘れ?」
「なっ、ち、違う! ………………。」
「はぁ…。ほーら、やっぱり。さっきから何か変だ!」
「ん。ちょっと、な…。」
「何でも相談に乗るから、いつでも言ってよ!」
「分かってるって! ”いざって時”は、お前に頼むから。」
「うん。任せて!」
「でも………そっか。まだ”違う”んだよな。」
「違う? 何が? さっきから、なに言ってるの?」
「へっ…? だ、だから何でもないって! ほら、とりあえず家に戻ろうぜ。」
「……? やっぱ変だよ、今日のテッド……。」