[悪鬼との遭遇]



 大広間を出ると、人通りの少ない場所を探した。
 如何せん、この二ヶ月で人が格段に増えたため、人気のない場所を探すのに苦労した。
 ようやく死角になる場所を見つけて転移を発動し、標準をルルノイエの皇宮内へ定める。その昔、ルルノイエへ立ち寄ったことはあるものの、皇宮内まで立ち入ることはなかった為に少し不安があったが、軸がずれても近場に行ければ何とか城に潜入できるかもしれない。と、そう深くは考えなかった。






 光の消失とともに目を開けると、眼前には、巨大すぎる城。どんだけデカいんだ。
 辿り着いた場所は、噴水や花壇があるのを見る限り、どうやら皇宮内の中庭のようだ。
 辺りを見回しながら、気配を消して、人目につかぬ場所を探す。

 「これが……ルルノイエ? もしかして、一発潜入に成功しましたってか?」

 してやったりと笑みをこぼしながら、人目のつきそうにない木陰に隠れ、さてこれからどうしようかと思案する。
 後先考えず、興味本位で来たようなものだ。ルカ=ブライトの顔を拝んでみたくて潜入してみたものの、相手は『皇子』という手堅く尊いご身分である。しかし、狂皇子とまで言われているのだから、中庭で花を愛でる、なんて可愛らしい少女趣味はないだろう。

 皇宮内に忍び込んで目的の人物を捜し当てる、という手もあったが、なにしろ警備が尋常ではないだろうし、見つかったら見つかったで後々面倒を背負うだろうことを思うと、それはどうしても気が引けた。
 人の気配を探りながら中庭の角を曲がり、その先の様子を伺うと、皇宮に入るための強固そうな扉が視界に入った。その目の前には、門番が4人。転移を使い、後ろからド突いて眠らせることもできなくはないが、それだと後々騒ぎになる。
 ならば眠りの風かとも思ったが、生憎、自分の持つ紋章に風の眷属は無い。

 「……どうしよっかな。」

 この場所に留まり、ルカが出てくるのを待っていても良かった。しかし、いつこの場を通るかもわからない。考えあぐねた。
 すると・・・・・・・・・背後に、とてつもない違和感。

 「ッ…!?」

 誰かの気配? 何かの気配?
 殺気は感じなかったが、それは、体をゾクリと震わせるには充分だった。
 同時に思ったのは、後ろの存在の醸す気配が、人に類しない気がすること。人でないのなら、警備のために飼いならされたモンスターの類か? だが、仮にもここは、皇王の住まう宮だ。いくら警備と称しても、モンスターを放し飼いにはしないだろう。
 だとしたら? 自分の背後に、音なく気配もなく近づいた『者』の正体は?

 自分に気取られず、かつ音もなく背後に近づいた”何か”に振り返ることも出来ずに、固まる。王国ともなれば、手練の一人や二人は居て当たり前だろうと思っていたが、こんな花しかないような中庭に放し飼いにする必要はないだろう。それが正直な感想だった。
 普通は、城内警備か自分の部屋か、または鍛錬上か王の傍に寄り添うかの何れかだろう。それが、いったいどうして、こんな中庭なんかにいるのか。

 言ってしまえば、自分の思い込みがそうさせた結果なのだが、それを上回る使い手が、ただその時この場所にいたというだけのこと。なまじ前へ一歩踏み出そうものなら、扉を守っている兵士4人に見つかる。後ろの”何か”に殺気は感じられないものの、とはいえ、こちらが動こうものなら仕掛けてくる可能性は大いにある。
 両の手に汗がにじみ、喉の奥が乾いた。自分だけが、唯一この世界で動くことを許されない。

 「ククッ……。」

 と、背後にいる何かが笑った。その声で緊張が解けたため、サッと振り返る。
 その間に攻撃されそうならば、近距離転移で逃げれば良いと考えて行った動作だったのだが、どうやら『そいつ』は、何かしてくるつもりはないらしい。

 「………?」

 警戒を解くことはせずに、じろじろ目の前の人物を見た。
 背後に立って笑っていたのは・・・・人っぽかった。
 一目見て、それが男であることは分かったが、では何故『ぽかった』のかと言えば、答えは簡単で、そいつの醸し出す気配に人ならざる空気を感じたからだ。
 長くまっすぐな金髪に、全身漆黒の鎧を纏い、同じく漆黒の兜を冠った大柄な男。
 次に顔をまじまじと見てみた。前髪が鬱陶しいほど邪魔していて見づらかったが、高く筋の通った鼻に形の良い唇と、顔の造りはかなり良いようだ。はっきり言って、美形中の美形、と言って良いだろう。

 と、その鬱陶しい前髪に邪魔されて見えなかった瞳が、チラリと見えた。
 赤と金の、オッドアイ。形の良い唇が、不気味に微笑んでいる。

 「あれ、あんた…?」
 「……?」

 その不気味さを忘れるほど、またも違和感。
 おやっ? と思った。私、彼を知っている、と。
 記憶を探ってみる。だが、思い出せない。
 口元に手を当てて考え込むも、何かが引っかかり思い出せなかった。

 いや、それよりも・・・。

 思い出すことを諦めて、首をひねった。
 目の前の男は、侵入者である自分を見て、特になにも仕掛けてくる様子がない。普通、女が一人でこんなところでウロついていたら、大抵は捕縛しようと剣を抜くのではないだろうか? それなのにこの男は、不気味ではあるが笑っている。
 ニヤニヤ笑われながら続く沈黙は、居心地悪いことこの上なかったが、それなら遠慮する必要もないと結論し、もジロジロ男を観察した。

 すると・・・・

 「貴様……面白い紋章を持っているな……。」
 「……は?」

 唐突にそう切り出されて、返答に困った。自分がそれまで考えていたことを思うと、完全にBy the wayだ。
 なまじ、自分は嘘が苦手と心得ていた為、視線は男に向けながらも、意識だけを右手に集中してみる。友人から貰った大地の紋章の方が、色濃く存在を主張していた。創世は、その後ろで静かに存在していたが、他の誰かにその気配を気取られるなど全くもって初めての経験だ。

 ・・・・さて、なんと誤摩化すか。よもやハッタリか?
 そう考えていると、男がまた笑った。

 「…女……。その土紋章の下に隠れている代物……何と言う…?」
 「えっ…ちょッ…!」

 身を引こうとする前に、男に右手を取られた。考えに集中していたとはいえ、男の初動に全く気付けなかった。それほど目の前の男が、手練だということ。
 なにしやがんだこの野郎、とその横っ面をひっ叩く前に、皇宮の扉が開く音がした。男のことを忘れて、右手を取られたままそちらに視線を向ける。
 出てきたのは、男が数人。

 やっべ!

 そうは思ったが、前門の虎後門の狼とはよく言ったもので、自分にできる事は、転移の瞬間発動だった。しかし、目の前にいる男が、それをさせてくれるだろうか? それだけが不安の種だ。
 しかし、その予想とは裏腹に、男は自分の腕を取ったまま、中庭にある木の影へ隠れた。

 「へっ? ちょっ…」
 「…静かにしていろ……。」

 引く力は強かったものの、掴む力は優しい。今、この場に関係ないのに、なんだか自分が『壊れやすい物』として扱われているような奇妙な錯覚を受ける。
 太い幹の木陰に隠されて、声が通り過ぎるのを待つ中で、もやもやとした感情に支配されていた。この男、どうやら自分を庇ってくれたらしい。
 そう考えながら、そっと木の陰から様子を伺うと、男4〜5人が歩く後ろ姿。そしてその中の一人───白銀の鎧を身に着けている男を見て、思わず声を上げそうになった。

 『あれがルカだ!!』

 男の顔が、記憶の底に沈んで霞んでいた”ルカ”という顔と一致した。
 遠目からでも分かる。あの男、かなりヤバい。目の前で笑っている男と同じくらいか、いや、それよりもっと・・・・。
 ざわざわと全身に悪寒が這い上がり、脈拍が上がる。

 男達の声が遠ざかることはなかった。どうやら、その場で何やらモメているらしい。
 あぁ、もう、行くならとっとと行ってよ!
 そう思っていると、刺さるような視線が自分のいる方に向いたのが分かった。金髪の男の、ではない。たぶん、というより恐らく、ルカ本人に気付かれたのだ。

 「………侵入者か。良い度胸だな。出てこい。」

 それは、底冷えするようなものではなかった。
 それは、予想外の余興に胸躍る少年のような狂気を孕んだものだった。
 それは・・・・

 「クク…。」

 彼の言葉に、金髪男が自分の傍から離れた。離れたというより、ルカの言葉に従って木陰からその身を出すと、彼のいる場所へと歩いて行った。

 「ユーバー……貴様か。」
 「………。」

 ルカの言葉で、またも思い出す。
 そうだ、あの黒騎士はユーバーという名前だった。

 「ちっ! 同盟軍のブタ共ならば、嬲り殺してやろうと思ったが……残念だ。」

 隠れているためルカの表情を伺い知ることは出来なかったが、その声は、本当に残念そうに聞こえた。しかも『嬲り殺し』とは、なんて残酷な奴だ。
 対するユーバーと呼ばれた黒騎士は、それに何か答えることもなく、喉の奥で笑っている。

 「………?」

 ふと思う。やはりユーバーは、自分を庇ってくれたのか?
 あいつ、見てくれよりも良い奴じゃん。そう思いながら、男達の会話に意識を向ける。
 ルカ=ブライトとユーバーは、小さな声で何か話していた。その周りを囲むよう口々に何か言っているのは、たぶん大臣かなにかだろう。最終的に『話は終わりだ』とばかりにルカが大臣達を一睨みして黙らせたのが、離れているこの場所でもわかった。睨まれた当の大臣達は、さぞ肝が冷えたことだろう。
 そして彼は、今来た道を戻って行った。



 とりあえず、これで一安心。
 もし、ここで狂皇子殿に見つかっていたなら、大騒ぎになっていただろう。
 転移で逃げることも出来ただろうが、あの並々ならぬ殺気を放つ者なのだから、転移を使う時間を確保するだけでも命がけかもしれない。

 そう思いながら胸を撫で下ろしていると、いつの間に戻ってきたのか、ユーバーが隣に立って自分を見下ろしていた。

 「えっと…。ユーバー、でいいんだよね…? どうもありがとう。」
 「礼には及ばぬ…。」
 「…何かよく分からないけど、庇ってくれたんでしょ? あんだけ強い奴だから、逃げる時間確保するだけで命がけだろうから……本当に助かったよ。」
 「………。」

 本当に、命の恩人かもしれない。だからこそ、心からの礼を述べた。
 すると彼は、何を思ったか徐に抱きしめてきた。これには驚き、一体なんのフラグだと目を見張る。

 「ちょ、ちょっと待って……。なにッ!?」
 「貴様……名は?」
 「えっ? あっ……。」

 彼は、相当背が高く、密着状態で見上げるには首が疲れる。
 とりあえず離してもらおうと手を突っ張ったのだが、それでも力負けする辺り、相当な腕力の持ち主のようだ。
 赤とグレーのオッドアイに見つめられて、なんだか嫌な予感がした。

 「……。」
 「……?」

 さり気なく、鎧に覆われた腕を外してみるものの、相手はじりじり距離を詰めて来る。
 逃げようにも、木が邪魔をして逃げれない。

 「えっと、ユーバー…。それじゃあ私、そろそろ帰ろうかなー? …なんて思ってるわけなんですが…」
 「……逃がすと思うか…?」
 「ですよねー……。って、ちょっとあんた、庇ってくれたんじゃないの!?」

 慌てて間合いを取るため横へすり抜ける。が、彼の方が一瞬早く、その両腕に捕らわれてしまった。
 これは、さっきより更にマズい状況かも、と慌てて抵抗を試みるものの、いくら暴れても彼はビクともしない。本能が『早く逃げろ!』と警告していた。

 「ちょっとあんた、何すんのッ!?」
 「お前の持つ紋章……傍にいると、心地が良い…。」
 「言ってる意味がよく分かんないんですけど!? 私は『大地の紋章』しか宿してませんから!」

 どう頑張っても、彼の腕をひっぺがすことが出来ない。びくともしないのだ。

 「先ほども言ったはずだ…。俺は、その土紋章の下に『隠れている代物』に興味がある…。」
 「べ、別に何も隠してねーし!」
 「…お前は、俺の傍にいろ……。」
 「ちょッ、意味分かんないし! ってか、離せって言ってんじゃん!!」

 何が可笑しいのか、ユーバーは更に笑った。そして、耳元で低く囁く。

 「ククッ…。そうして、お前を毎晩この腕に抱けば……永久に続くはずの我が心の渇きも、癒されるかもしれぬ…。」
 「ッギャアっ! 耳元で話すな気持ち悪い! 離せ…っ……この、クソッタレがぁッ!!」

 大掛かりな魔法を使うことを厭うな。本能がそう告げるほど、自分の中の危険信号が、警鐘を鳴らし続けている。しかし、それを使う時間すら、この男は与えてくれないだろう。
 そう宣告するかのように、彼は転移を唱え始めた。

 「ッ……あんた、もういい加減にッ…!!!」

 いくら命を助けてくれた恩人とはいえ、そこまで強引に迫られると、流石に堪忍袋の緒が切れそうになる。『せめて一発、そのお綺麗な顔面にくれてやる!』と拳を振り上げた。

 直後。



 「──切り裂けっ!!!!!」



 「ぅわッ!?」
 「っ!?」

 それは、自分を上手くすり抜けて、ユーバーだけに襲いかかった。
 その驚きによるものなのか、彼の腕の力が弱まるのを感じ、思いきりビンタをぶちかましてから地面を蹴って距離をあける。そして、ユーバーを攻撃した者を確認する為横を見た。

 「え、ルック!?」
 「まったく……。本当、きみってバカなことしか考えないよね。挙句、捕まってたら意味ないだろ?」

 不機嫌そうな顔をしたルックが、冷たい視線を浴びせていた。

 「べ、別に、捕まったワケじゃないし!」
 「……話は後で。取りあえず、戻るよ。」
 「………了解ぃ。」

 「くっ…待てッ…!!」

 全身に傷を負ったユーバーが、忌々しげに剣を抜いた。
 だがルックは、それに底冷えするような冷徹な瞳を送ると、彼女の手を引き転移した。






 「……ふん、まぁいい。」

 今しがた抜いた剣を、鞘にしまう。

 「これは、貸しにしておくぞ…………。」

 そう呟き口元を吊り上げると、ユーバーは喉を鳴らして笑った。






 ルックと共に転移で本拠地へ戻って来たのだが、早速とばかり、彼の部屋に連行されて説教をくらった。といっても、グダグダ何か言われるわけではなく、彼の場合は”無言の圧力”と言った方が正しい。肩を縮こまらせながら暫くそれに耐えていると、彼は、心底呆れたように言った。

 「……本当、きみって浅はかだよね。」
 「返す言葉もございません……。」
 「普通なら、いきなり敵の中心地に飛び込んだりはしないよね? ……あぁ、忘れてたよ。きみは、普通なんかじゃなかったね。でもさ、僕に迷惑をかけるって分からなかったのかい?」
 「まったく、おっしゃる通りでございますぅ…。」

 もう、何を言われても言い返せない。大人しく項垂れるしかなかった。
 今回は、流石に反省した。面白がってルルノイエに忍び込んで、敵側の人間に助けられて。そう思ったら、今度はそいつに捕まって・・・。
 調子に乗ると、大抵、結末は良くないということを思い出した。

 「はぁ……本当に………まったく…。」

 これ見よがしな、彼のため息。もう鎮火したかなとチラリ視線を向ければ、冷えきった視線を真正面から受けたので、慌てて目を逸らす。
 また、沈黙。・・・・・・お説教の時の沈黙は、とても苦手だ。
 だから小さく、ボソリと言った。

 「……ごめん。それと、ありがとね。」
 「……………。」

 返ってくるのは、いつものような憎まれ口だと覚悟していた。が、彼は無言。
 まだ怒っているのかと顔を上げると、彼は、口元に手をあてて何やら思案しているようだった。ややあって彼は、視線を戻し言った。

 「きみに………ひとつ忠告しておくよ。」
 「なにを?」

 彼は、やけに真面目な顔をしている。

 「あのユーバーという男には……近づかない方がいい。」
 「…?」
 「あれは、きっと……」

 彼が言葉を濁すなんて珍しい。その表情は、確信があるものの、どこか煮え切らないような。
 最終的に口を閉ざしてしまった彼に、眉を寄せ問うた。

 「きっと、なに…?」
 「……………何でもないよ。」

 そう言うと、彼は椅子から立ち上がり、静かに部屋を出て行く。



 「あいつ………気になるじゃねーかよ。」

 主のいない部屋に残されてしまい、唇を尖らせそう言った。