[気付かない優しさ]
達が、ラダトの潜入を終えて戻ってきたのは、五日後の夕刻のことだった。
とルックは、その時ちょうど大広間にいたため、彼等を出迎えることができた。無事の帰還を喜び、怪我はしていないかと尋ねると、は「大丈夫です。」と笑った。
ここで、いい加減に帰りが遅いと痺れを切らしていたシュウが、同行していたビクトールを睨みつけた。
「ビクトール……貴様…。」
「な、なんだよ。徒歩で行ったんだから、こんなモンだろ?」
無造作に、伸びた髪をガシガシかきながらそう言った彼に、シュウは怒り心頭といった様子。そんな両者の間に流れる剣呑な空気を見て動いたのは、だった。
「シュウ…。僕たち、特に怪我もないから大丈夫だよ。」
「当たり前です!! この軍のリーダーである貴方に怪我をさせようものなら、即刻、首を切っています!」
何をそこまで怒る必要があるのか、怒髪天を突いているシュウに、彼は目を閉じ肩を引き攣らせた。それを見て、思わず吹き出す。軍主と言ってもまだまだ子供。怒られることには弱いようだ。
それにこの軍師殿は、相手を凍らせるかのごとき怒り方をするので、聞いてるこちらも思わず背筋を正してしまう。普段が冷静でもの静かに見える分、怒らせると相当厄介なようだ。
なるべく厄介事に首を突っ込むことはせず、彼の怒りを買わないようにしよう思った。
ふとナナミに目を向けると、彼女は眉を下げて悲しそうな顔。いつも弟が怒られていると、身を挺して庇うのに。
それが気になって声をかけた。しかし彼女は、それまでの表情をヘッタクソな笑顔に隠して「な、なんでもないよ!」と言うと、走って広間を出て行ってしまう。
どうしたのかと思いながら、に目配せするも、彼は気まずそうに目を逸らす。やはり、ラダトで何かあったのだろう。
ならば、いったい何があったのかと、今後の対策を話し出したとシュウを尻目に、さりげなくビクトールに近づき話しかけた。
「ねぇ、ビクトール。」
「ん、なんだ?」
「ラダトで何かあったの…?」
「………んー…。」
やはり彼も、気まずそうに口を閉ざす。それを見て、思わずため息。要は『言えない』ということなのだろう。しかし、納得できない部分が多い。はまだしも、いつもあんなに元気なナナミまで、あんな顔をしていたのだ。
どうしたものかな。考えあぐねていると、どうやら軍主と軍師の間で話が纏まったらしい。そちらに耳を傾けた。
「キバ親子では、我が策は見破れぬよ。」
「じゃあ…。」
どうやら、ラダトに駐屯しているキバと、その息子クラウスの軍との戦を決めたようだ。前後の会話は聞き取れなかったものの、どうやら話はそこで終了らしい。
これで今日はお開きか。踵を返そうとすると、と目が合った。それは僅かな時間だったが、彼は何やら物言いたげな顔。だが軽く頭を下げると、広間を出て行ってしまった。
シュウやフリック、ビクトールもそれに続く。
酷く気にかかった。
しかし誰かに呼ばれ、慌てて振り返る。
「ねぇ、…。」
「え、なに? どした?」
声をかけてきたのは、ルック。彼は、軍主の出て行った扉を見つめながら隣に立った。
「ちゃんと聞いてたのかい? 明日、ラダトを奪還するために出陣するってさ。」
「……明日?」
「そう。それときみは、いつも通り僕の護衛役だから、ちゃんと準備しておいてね。」
「はいはい、分かりましたよ。ったく…。」
淡々と事務的に言う彼に、頭をかきながら答えた。
戦の際、は、必ずルックの傍にいた。
彼女が軍に来て暫くした頃、その実力を知ったは「一軍を任せたい!」と言い出した。だが、それに猛然と抗議したのは、ルックだった。
なぜ反対なのだ? と聞く軍師に、彼は『自分の護衛役にする』としか答えなかった。これには、流石の軍師も顔を思いきり顰めて反論したのだが、ルックは絶対に引かなかった。『彼女は、僕が使う。僕の護衛として、傍に置く。』
そう言い、断固として引かなかった。
本人にその話が伝わったのは、話が拗れに拗れてからだった。
それと伝えにきたフリックは、『大広間でモメにモメており、軍主でも手に負えない状態だ』と言った。彼は、揉め事の発端となっている本人を連れていけば、なんとか解決の方向へ向かうかもしれないと考えたのだ。
大広間へ到着し、経緯を聞いて、は苦笑いするしかなかった。同時に、どうしてそこまで自分を手元に置いておこうとするのか、ルックの心情を計りかねていた。
彼は、非常に合理主義な面を持っている。力のある者なら一軍を率いれば良い、と言うタイプだ。それなのに「きみは、黙って僕の言う通りにすれば良いんだよ。」と真っ向から否定されてしまったので、どう考えて良いか分からなくなった。
だが、同時に、少しだけ安堵する自分もいた。
戦が、嫌いだったのだ。
戦が嫌いな人間なんて、この世には五万といる。
それでも戦わざるを得ず、苦しい思いをして戦ってきた者達を、もちろん知っている。そして、その輪の中へ入れば、自分も同じく誰かを殺さなくてはならないことも。
なまじ100年以上生きているのだから、戦に加わった数は、それこそ数え切れない。それでもと、なるべく命を奪わぬように努力をしてきたつもりだが、結果が好転せず奪わざるを得ない事も少なくなかった。
過去、幾多の戦に参加していようとも、戦場は戦場。殺し合いの場所でしかなかった。
積み重なっていく死体。流れ出る血に染め上がる大地。川辺での戦では、周囲の水が赤に染まりきるほどの光景を目にしたこともある。
感覚を麻痺させようとした時もあった。慣れなくては自分が壊れてしまう、と。しかし、ふとした時に”それ”は堰を切り、前触れもなく溢れた。嗚咽であり、不眠であり、嘔吐であり・・・。
なんで、殺し合わなきゃいけないの?
どんなに時が流れても、胸の内にある想いは、いつも同じだった。
この軍へ参入してから、一度だけに付いて戦場に出たことがある。それは、とうに見慣れていたはずの光景が、再現されていただけだった。
しかし、戦が終わった夜。ふと枷が外れた。涙が溢れた。
その日は眠れず、一晩中泣いていたのを覚えている。
だが・・・・・
それこそが、ルックが彼女を手元に残そうとした『理由』であったことを、いったい誰が知っているだろう?
彼は、知っていた。彼女が泣いていたことを。知ってしまった。
なんてことはない。一戦終わり、一段落ついた所で少し時間が空いたから、暇つぶしに彼女の部屋に寄ってみよう。そんな軽い気持ちだった。
しかし、扉を叩こうとする前に中から聞こえてきたのは、嗚咽。
音を立てず気配を消して、扉を開けた。ベッドシーツに顔を押し付け、声を押し殺し泣いている彼女の姿。
そこで、ふと思い出した。あの一戦の最中、確か彼女は、周囲が驚くほどの無表情を貫き、まるで心すら無くしたような刀捌きで、淡々と敵を殲滅していなかったか?
・・・・でも見てみろ。すぐそこで泣き崩れているのは、誰だ?
自分自身に問いただす。胸にチクリと棘が刺さった。
その時に思ったのだ。彼女は、脆いと。
誰だって、人を殺せば罪悪感に苛まれ、己を責める。だが、そうしなくては生き残れないからと、己の所行に目を閉じる事しか出来ない。
けれど、彼女は違った。彼女は、あの時、の身を守るためだけにその刀を振るっていた。敵であろうと、出来る限り致命傷は避け、剣を折り、殴り倒し、気絶させて・・・。
殺すことを目的とするのではなく、あくまで戦意を失わせる手段を用いて戦っていた。
無表情、無感情。
思い起こせば、それでも彼女の瞳だけは、その惨状の中、切々と訴えていなかっただろうか?
なぜ争う? どうして、殺し合わなきゃならない?
どうしたら、犠牲者が少ない方法で、”戦”を終わらせることができる?
死した者へ流す、涙。
それを見てしまったルックは、もう彼女に戦を強いることが出来なかった。だからこそ、『軍に属す者ならば』と、一軍を率いることを了承しようとした彼女を、一睨みの眼光と「きみは、喋るんじゃないよ。」という言葉で黙らせ、軍主軍師を含め、周囲の大人達を言い負かすほどの饒舌ぶりを発揮してみせた。
だが、彼本来の気持ちを知れば、頭でも打ったのか? と周りの者は思うだろう。普段から周囲に『毒舌』と言わしめるあたり、彼の心内をそれだけで計る者も少なくない。
しかし彼は、言動行動に冷たい印象はあるものの、決して『冷血』ではなかった。彼には、彼なりの優しさがあった。彼なりの、彼女に対する『気持ち』があった。
彼は、それを周りの誰にも・・・もちろん彼女に言うことはおろか、表情にすら出さないだけだった。
そんな自分の心遣いを知ってか知らずか・・・。
彼女は、自分の頭を撫でながら「ちょっと酒場に行ってくるね。」と言い残して、大広間を出て行った。
「……………本当、分かってないよね。きみは。」
一人ごちた少年の言葉は、誰もいないこの場所で、静かに消えた。
そんな彼の
気づかない 優しさ
絶対に 気付かせない・・・・・そんな優しさ