[昔語り]



  酒場を出て、良い気分のまま千鳥足で歩いていると、約束の石版の前に、ルックがポツンと突っ立っていた。

 「あれー? あんた、まだ寝てないの?」
 「きみこそ、こんな時間になにしてるのさ?」
 「そりゃこっちの台詞だっつの。こんな時間なのに熱心だねー! よっ! 石版の守り人、ルック!」
 「………きみ、酒臭いよ。」

 なんだか面白くなって笑いながら近づくと、彼は顔を顰めて鼻を摘んだ。いつもなら、その行動に「可愛くない」とでも言ってド突いてやるのだが、生憎、酒の入った状態では怒る気も湧かない。

 「飲んでたんだから、当たり前でーす!」
 「………だいぶ飲んだね。」
 「んふふ、そりゃそうよー。ふわふわするし、気持ちいいよーう!」

 おぼつかない足取りで、そのままクルリと回ってみせる。それに「相変わらずの馬鹿だね」といった言葉が返ってくるかと思いきや、彼が発した言葉は、意外なものだった。

 「……何かあったのかい?」
 「え? あぁ、夜の紋章の化身だっけ? 星辰剣っていうのと、共鳴したんだー!」
 「……違うよ。」
 「はー?」

 回るのを止めて、彼を見つめる。自分を見据える、ペールグリーンの瞳。

 「共鳴したことぐらい分かったよ。屋上であれだけ強い力が放たれれば、否応なくきみだって分かるからね。」
 「ほぅほぅ、流石はルックくん。分かってるじゃないかー!」
 「……今頃、屋上でちょっとした騒ぎになってるんじゃない?」
 「あー、かもー。マズかったかなぁ?」
 「さぁね。」

 「それは別として…」と、彼が珍しく前置きした。
 そして、石版から離れて目の前に立つと、そっと頬に触れてくる。

 「僕が聞きたいのは…………きみが、そこまで酒を飲む”理由”だよ。」
 「…………。」

 途端、ふらつくのを止めて目を逸らした。それを気にせず、彼は続ける。

 「きみは……普段なら、そこまで酔うほど無理のある飲酒はしないよね。それが、今夜に限って…。なにがあったんだい? それこそ、そんな目が据わるぐらいに飲むなんて…。」
 「………へぇ? 今日は随分と饒舌だねぇ、ルック。」
 「別に……。」

 あえてからかうように言ってやった。そうすれば、彼はいつものように「別に、きみの事なんでどうでもいいけど…。」と不快を露にする。・・・・そのはずだった。
 けれど、彼がそれ以上なにか問うてくる気配はなかった。自分が作り出してしまった空気に、なんとなくバツが悪くなって、彼の頬に右手を滑らせる。

 「………。」
 「別に……きみが、聞いてほしそうだったから…。」
 「……ぷッ! あー、そうかいそうかい!」

 なんとまぁ。この子は、何とも分かりにくい優しさを見せる。彼が、自分のことを心配してくれていることに、もちろん気付いていた。確かに今夜の飲みっぷりは、いつもの自分を知る彼にとっては、異常とも取れるだろうから。
 星辰剣を手にしてから、嫌な思い出ばかりが、脳内をかけめぐった。だから、それを忘れようと酒をガブ飲みした。いつも以上に。少しだけでも・・・・・忘れたかった。
 だが目の前の少年には、すぐに見抜かれてしまったようだ。彼は確かに勘も鋭いが、それ以上に、人の心や表情を敏感に嗅ぎ取れるだけの『優しさ』を持っていた。
 それをよく知っていた。

 だからかもしれない。なんとなく、彼だけには『昔話』をしても良いかと思えたのは。
 その頬を、するする撫でる。いつもなら「なにするのさ…。」と言って嫌がるはずが、今は素直にされるがままだ。

 「じゃあ、聞いてもらおうかな…。」
 「今日は、特別に聞いてあげるよ。……感謝しなよね。」



 天の邪鬼な言動に苦笑しながら、話しはじめた。
 昔語りを・・・・・。



 旅にでて、大切な友達ができた。
 生涯で、たった一人の親友ができた。
 そして・・・・恋人ができた。

 過去へ送られた、という話は、しなかった。
 師がそれを伝えていないのなら、きっと必要のないことなのだから。
 過去を遡り、その時に想いを馳せながら、話した。彼等と綴った物語を。
 そして、親友と恋人と3人で旅をしたところまで話して・・・・・

 それから・・・・・・言葉が詰まった。



 彼女の話を黙って静かに聞いていたルックは、『問題はここからか』と思った。それまで流暢に話をしていた彼女が、途端口を閉じたからだ。
 ややあって。彼女は、再び話し出す。

 「それでね。三人で旅に出て……。」
 「………。」
 「仲良く………本当に、仲良く旅してたんだ…。」
 「……うん。」
 「でもさ……突然、壊れちゃったんだよ…。」

 壊れた、と。
 その言葉に顔を上げれば、項垂れるよう俯く彼女。その表情を知ることはできない。
 ポツ、と何かが床へ落ちた。涙だ。
 堪えても堪え切れないのか、彼女の瞳からは涙が溢れていた。思わず目を伏せる。

 「本当にね……突然だった。私の親友は……アルドは……。」



 「不慮の……事故だった……。そう……”事故”で………死んじゃったんだよ。」



 何も言えなかった。言葉が出てこない。
 黙って俯いていると、彼女は続ける。

 「私は、その時…街に出かけてたんだ。アルドに……この紋章のお返しがしたくて…。」
 「……お返し?」
 「そう…。この左手の……『おぼろの紋章』のお返しを、さ…。」

 左手の手袋を外して、彼女は小さく笑って目を閉じた。まるで、その時に想いを馳せるように・・・。
 けれど、その笑みはすぐに消えた。動いた衝動で、その瞳から更に涙が零れ落ちる。
 途端、堰を切ったように、彼女の瞳からは、ボロボロボロボロと涙が溢れ出す。それでも彼女は、ポツリポツリと言葉を紡ぐ。

 「私は……っ…アルドに渡せなかった……。」
 「………。」
 「あいつを、助けることも……さよならを言うことも、出来なかった…。」
 「…。」
 「私は……私は……ッ、何も………!!」

 彼女は、きっと自責していた。今まで、それを口にする事が出来なかった。
 けれど酒に酔い、感情の枷が外れたためか、こうして自分に想いをぶちまけている。きっと彼女は、今まで・・・・それを言う相手がいなかった。
 彼女は、肩を震わせ泣いていた。それを目にした途端、体が自然に動いていた。彼女の腕を引き、その体を抱きしめる。考えるより前に体が動いていた。

 それで我に返ったのか、彼女は肩に顔を埋めて、言った。

 「私は…………アルドを、助けることが……出来なかった…。」

 凭れてきた彼女の頭を、優しく撫でた。彼女の凭れている左肩が熱い。ジワジワ濡れていく。
 それは”後悔”。そしてその言葉は、”懺悔”なのだろう。
 優しくその頭を撫でた。それで、少しでもその自責が流れてくれればいいと。
 けれど彼女は、こうも言った。

 「私は………無知だった自分を、許さない…。」

 ・・・・・それは違う。そう口を開く前に、彼女が顔を上げた。

 「……?」
 「はぁー! 話したらスッキリしたよ。ありがとねッ!」

 誤摩化すように、彼女は、涙を拭きながら明るく笑った。その笑みを見て、胸が苦しくなる。
 違う・・・・違うだろ? ・・・・違う。きみは、そうじゃない。
 それを伝えなくてはならないと思った。彼女の腕を掴み、それを告げようと。

 「…それじゃあ、私、そろそろ寝るわ。」
 「、待っ…」
 「あんたも、あんま夜更かしすんなよ! お肌に悪いぞ!」
 「…………。」

 『もう何も言うな』と、そのオブシディアンの瞳が言っていた。やんわりと腕を離されて微笑まれてしまっては、もう何も言えない。
 いや・・・・・。自分には、たった一つだけ投げかけられる言葉があった。

 「……あまり、自分を…………責めない方がいいよ。」
 「?」

 と、ここで彼女が目を丸くした。自分らしからぬ言葉を受けて、驚いたのだろう。

 「……なに?」
 「ん、別に。」
 「……きみの…………せいじゃないよ。」

 そう言うと、彼女は「ありがとう…。」と笑いながら、手を振って階段を上がって行った。






 約束の石版。
 師から任されたそれに、目を向けた。
 そして、そこに標されている、数々の名前に指を滑らせる。

 彼女の名が、そこに刻まれることがないことを知っていた。

 ・・・・・そう。
 彼女の名が、刻まれることはない。
 なぜなら彼女は、宿星ではないのだから。

 「……………僕らしくない言葉……だったね。」

 石版を見つめ、刻まれるはずもない『その名』を探しながら、そっと呟いた。