[背負うもの]
広間を出たは、の部屋へ向かった。
先ほどルックに連れて行かれたのを見て、もしかしたら約束の石版前にいるかもしれないとも考えたのだが、何となく彼女の部屋を目指した。
ノックして扉が開いたとき、自分の勘を信じて良かったと思った。
中からは、彼女が顔を出して「あれ、どしたの?」と、驚いたような顔。
少しいいですかと問うと、彼女は「どうぞ。」と笑った。
に席を勧めながら、紅茶セットを棚から取り出す。先ほど部屋に戻る際に湯をもらって来ていたので、ちょうど良かった。
手際よく紅茶を入れて差し出したものの、いつもの「いただきます!」という元気な声はない。見れば彼は、黙ってカップを見つめていた。
「…………。」
その沈黙に、猶予を与え続けることは出来た。自分には、いくらでも時間があるのだから。それこそ気の遠くなるほどに。
けれど、目の前に座る少年には、まだやるべきことが沢山あることも知っていた。
「ねぇ、なんかあったの?」
「………はい。」
ポツ、と、彼は答えた。
その正面に座り、自分のカップに砂糖とミルクを入れて、一口含む。
「で、なにがあったの?」
「…………。」
「私の力になれることなら……言ってね。」
優しく話しかけると、彼は、ようやくカップに口をつけた。
一口飲んでそれを置くと、俯いたまま話し出す。
「ジョウイが…。僕の親友が、王国軍にいるのは………知っていますか?」
「……うん、知ってる。」
その一言で、彼が、何に憂いているのかを理解した。
敵対しているのがその”親友”だということは、ルックに聞かされて知っていた。そしてジョウイという少年が、の持つ『輝く盾の紋章』の片割れを所持していることも。
だが彼は、それを人にいうことを避けていたのだと、今になって思う。なぜなら、ジョウイという少年は、同盟軍にとっては”敵”でも、彼にとっては大切な友達なのだろうから。
今まで、それを知る者達がその話題に触れなかったことも、もちろん知っていた。それは、彼自身が避けたかった話でもあろうし、話をしたところで、解決法などまるで見出せないものだろうから。
けれども彼は、自らその話をしてきた。誰かに胸の内を聞いてほしかったのだろう。
「ジョウイが……ルカの妹のジル皇女と、婚礼を上げるそうなんです…。」
「皇女さんと?」
「はい…。」
次の言葉を、根気強く待つ。彼はもう一口紅茶を飲んで、続けた。
「ジョウイは……ルカのことを憎んでいました。それなのに…。」
「その妹と結婚する意味が分からない、ってこと?」
「はい…。僕は、ジョウイと戦いたくないんです。それなのに…。」
少年は、顔を伏せた。僕は彼のことが分からなくなってしまった、と。
今、きっと悲痛な顔をしているだろう少年の頭を、は手を伸ばしてゆっくりと撫でた。
・・・・・無理もない。同盟軍のリーダーとはいえ、彼はまだ子供。大切な親友と敵対してしまったら、それこそ誰であろうが運命を呪うだろう。悩むのが当たり前なのだ。
「…。その気持ちは、分かるよ。」
「……はい。」
「私にも、親友と呼べる人がいたし…。仮に、私があんたと同じ立場なら……私もきっと同じことを思うよ。」
「………。」
「。あんたは、どうしたい?」
「え?」
「あんたは、その親友と戦いたくないって言ったけど……。それなら、どうしたい?」
「それは…その…。」
「私は………逃げるのも、一つの手だと思うよ。」
「えっ…?」
そう言ってやると、彼は、驚愕の表情を見せた。
逃げたい、と。そう思うことは、確かにあった。
肩にのしかかる重圧と、皆の期待の眼差し。それに答えたいと思えば思うほど、現実は苦を強いた。
日に日に重くなっていくそれらに加え、果ては、元凶である男の妹と親友の婚約。
誰にも何も言わず、逃げ出したいと、そう思ったこともある。だが、それは、自分を信じて付いてきてくれた人達を裏切ることになる。それは充分過ぎるほど理解していたし、また自身、逃げるつもりもなかった。ただ『逃げてしまいたい』と、心で思っただけだ。
そんな気持ちを、誰かに伝えたかったのかもしれない。聞いてほしかったのかもしれない。
何も言ってくれなくてもいい。ただ今の自分の想いを口にし、理解し、そっと寄り添ってくれる人が欲しかっただけだ。
だから、いつも自分を気にかけ可愛がってくれる彼女に、気持ちを打ち明けた。ただ話を聞いてほしかっただけだ。彼女に。
その中に慰めの言葉があることを、少しだけ期待して。彼女は「元気出して!」と、笑ってそう言ってくれると思っていた。
そんな彼女が、自分に『逃げる』という選択肢を提示するなんて、思いもしなかった。
なにか言いたいのに、なにも言葉が出ない。
それを見兼ねたのか、彼女は続けた。
「でもね…。私は、あんたに後悔してほしくない。」
「後悔?」
「あんたは、逃げることも出来るよ。でも、本当は……分かってるよね?」
「…………。」
「あんたの”親友”は…………まだ生きてるんでしょ…?」
彼女のその言葉が、心を突き刺した。
その言い方は、まるで・・・・・まるで彼女の親友が・・・・。
顔を上げると、彼女はテーブルで両手を組み、祈るように瞳を閉じていた。
「…あんた達は、お互いに、まだ生きてるじゃん。離れてても……会えば、お互い言葉を交わすことが出来るんでしょ…?」
「はい…。」
「…ちょっと待ってね。私は、怒ってるわけじゃないよ。ただね……まだ何もしてない内から、そう悲観しないでほしいんだよ。」
「………。」
その言葉には、彼女の想いが沢山詰まっている気がした。彼女の経験や苦しみ、そして後悔と呼べるものまで。まだ諦めるのは早い、と。その言葉に勇気づけられる。
「さん、僕…。」
「あー……ごめん。慰めにもなってないね…。」
「いえ…。」
「私、慰めるのとか向いてないんだわ…。」
「そ、そんなことないです! 僕は、いつもさんの言葉で元気をもらってるんです! 今だって…!」
「…そっか。それなら嬉しいよ。少しでも役に立てたんなら…。」
「はい!」
元気が出た。彼女のその言葉だけで、希望の光が灯った。
と、そのオブシディアンの瞳とかち合う。その瞳は、じっと慈しむような色味をもって、静かに自分を見つめている。
どうしたんですか、と問うと、彼女は、小さく笑って言った。
「あんたが………あんた達が、羨ましいよ……。」
その瞳は、どこか遠くを見つめているような。記憶の中の”誰か”を思い起こすような。
それを見て、は理解した。『あぁ、彼女は、きっと後悔したのだ』と。
どういった経緯で、彼女が”親友”をなくしたのかは分からない。けれど、それで彼女がずっと後悔している事だけは分かった。
辛い思い出に浸りながらも『互いに生きているなら、まだ諦めるな』と自分を励ましてくれる彼女。思わず抱きしめたくなった。なんて儚い人なんだろうと、そう思った。
自分と親友のことを考えた。自分達は、まだ生きている。
今は会えないけれど、彼女の言葉通り、会えばまた言葉を交わすことができる。
今は、まだ・・・・・・諦めるには早過ぎる。
だから、言った。
「僕は……ジョウイと戦いたくはないけど…。でも、この戦を終わらせるために、最後まで戦い抜きます!」
その答えに、彼女は、満足そうに微笑んだ。その笑みがとても綺麗だと心から思う。
「その言葉…………忘れないでね。」
頭を下げて椅子から立ち上がり、ごちそうさまでしたと言って、は部屋を後にした。
「あんたなら………出来るよ。」
少年を見送りながら、は、伏せた瞳に祈りを乗せて、そっと呟いた。