[狂皇子]
同盟軍は、とうとうルカを追いつめた。
狂皇子と呼ばれた、あのルカ=ブライトを。
シュウの作戦は、至極単純なものだった。
闇に乗じてルカを待ち伏せ、通りかかったところへ矢を一斉に放ち、全軍を使って追いつめる。それだけだった。
宵闇の刻。
レオン=シルバーバーグからの書状通り、ルカが、音もなく白狼軍を引き連れて、同盟軍の城近くにある森を横断した。
それと同時に、ビクトールやフリックのかけ声を合図に、一斉に矢が放たれた。敵兵士達はルカを庇ったものの、その殆どが矢を受け絶命した。
その隙に、ルカが森の中へと逃げ込み、率いる同盟軍は彼を追った。途中、何度も何度も、彼と戦闘を繰り返しながら・・・。
そして、とうとう、彼を絶壁まで追いつめた。
断崖際に、枯れ果てた大きな木が寂しくポツリと立っている場所だった。
皆、彼を囲むように、武器を構えた。
その中心に立つに、ルカは一騎打ちを挑んだ。
同盟軍リーダーと狂皇子による、最後の戦い。
決着がつくのに、そう時間はかからなかった。
その背に矢を受け、心身ともに大きな痛手を負ったルカは、折れた剣を支えについに膝を屈した。
「ついに剣も折れ…………それを振るう力も尽きたか……。」
彼は、を見据えた。は、それを真っ直ぐに受けていた。
彼を囲む同盟軍の中で、もまたルカを見つめていた。
彼の瞳には、不思議とあの狂気が感じられなくなっていた。その瞳に見えるのは、何かをやり遂げたような大きな達成感と、癒されたのだろう心の渇き。
ルカ=ブライトという男は・・・・もう死んだ。狂気と憎悪で心を埋め尽くし、同盟軍の人々をなぶり殺しにした、あの”狂皇子”は・・・。
地に膝をつく男の姿を見て、そう思った。
ルカが、言った。
「よ…………貴様は何故、戦う…………?」
「僕は……。」
「貴様は、俺を殺し……………何を思う?」
「僕は……お前を倒し、この戦いを終わらせ………この地に平和を築く。それだけだ。」
の言葉に、彼は、笑った。
「平和だと?笑わせるな。そんなものは、夢物語だ。子供に聞かせるおとぎ話に過ぎん……。」
折れた剣を支えにして、彼は立ち上がる。
そして、もう言うことをきかない足を引きずりながら、崖の縁に立った。
「聞け、。俺を殺し、王国を滅ぼしたとしても、この地に残るは平和などではない………。ただ恨みの木霊する荒野だけだ! 俺を見るがいい………憎悪に満ちた、この俺を…………!!」
・・・・・嘘だ。あんたは、嘘をついてる。
もう、何もないじゃないか。憎悪も狂気も、あんたには、もう何も・・・・。
あんたの心には、そんなもの、既に欠片も残っていないじゃないか。
彼は空を見上げ、あらん限りの声で叫んだ。
「都市同盟の者どもよ!! 貴様らは何千もの兵で俺を殺したが、俺はたった一人で貴様らの同胞を、その何倍も殺した!!! 俺は俺の思うがまま、望むまま、邪悪であったぞ!!!!!!!」
そう言って、彼は、崖に身を翻した。
は、そっと目を閉じた。
この崖から飛び降りたら、いくらあのルカでも助かりはしないだろう。
「ルカは……………都市同盟を脅かしていた男は、死んだ。」
ゆっくりと目を開ける。そして、空を見上げて呟いた。
「さぁ……戻ろう。」
とうとう、あのルカを倒した。
その喜びに溢れんばかりに、辺り一帯には、勝利の大歓声が響き渡った。
仲間達の、感慨に打ち震える大歓声の中。
がこの場から姿を消していることなど、誰一人として気付くことはなかった。
「哀れな子だ……。」
底の見えぬ深き断崖の最下で、誰かが、そう呟いた。
背に矢を受け、あと少し時が経てば、命の灯火が消えるだろうルカは、その声に薄く目を開けた。
「……だ………れ………………だ………?」
問うてみるも、体が動かない。仰向けの状態だったため、視線だけを動かした。
するとそこには、女がいた。じっと、自分を見下ろしている。
ポツリ・・・・。己の額に、水滴のようなものが落ちた。
「………………だ…………?」
「何だ?」と言おうとして、それが声にならなかったことで、自分に残された時があと僅かだと知る。
『俺は………死ぬのか……。』
そう思いながら、視線を夜空に移した。星は瞬き、三日月が、まるで哀れな者を見るように自分を見下ろしている。
ジャリ、と砂を踏むような音がして、再び視線を向けた。女が、すぐそばに腰を下ろしている。顔も知らぬその女は、月夜に溶けるような静かな声で、言った。
「全てを呪った………哀れな男…………ルカ。」
その言葉で、女が、都市同盟の者だと分かった。もしかしたらこの女は、自分に止めを刺しにきたのかもしれない。
そう考えながら、そっと目を閉じた。
・・・・好きにすればいい。殺せばいい。
自分には、もう恐いものなど何もない。
恐れるものなど、とうにありはしないのだから・・・・・。
死に対する恐怖など、初めから有りはしない。
この腐りきった世界に、未練など何もない。
御首級が欲しいのなら、喜んでくれてやろう。
だから、早く・・・・・・・・俺を、殺せ。
ただ、それだけを待った。その時だけを。
しかし、一向に訪れることのないその瞬間に、何をしていると目を開けたその時、女は、優しく慈愛に満ちた声で問うた。
「ねぇ、…。あんたの渇きは、憎悪は……もう、とっくに癒されてるんだよね…?」
その問いに、もう答えることが出来なかった。まともに唇が動かなかった。いや、答えようとも思わなかった。
自分はもうすぐ死ぬ。体が重く、目の前には”死”という存在が降りてきて、自分を取り込もうとしている。ならば、せめて渇きの癒されたこの心を持って地獄に堕ちよう。そう思った。
・・・愛するあの人の元へは、行けないのだろうけれど・・・・
知らず、その問いに答えるように、笑みが零れていた。
ふと、目の前に光が現れた気がした。
痛む、という感覚もなくなった体に、力が湧いた気がした。
体が軽くなっていく気がした。
優しい光を全身に受けながら、意識は、闇に落ちた。
意識が落ちる直前、記憶の中の母が、自分に微笑みかけてくれたような気がした。