[転生]



 ゆらりと、意識が揺り動かされた。
 ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆら、と・・・。
 それは、次第にはっきりと刻まれ始め、少しずつ覚醒の波となって押し寄せてくる。

 その頂上へ登り詰めた時、ようやく目を開けることが出来た。



 「………?」

 見慣れぬ天井、だった。
 視界は、酷く鮮明なのだが、思考が思うように働かない。
 目を瞬かせてから体を起こそうとするも、言うことをきかない。その為、仕方なく視線の動きだけで辺りを見回した。足下を差している光は、小さな窓からのものであり、それが昼間であることを教えている。

 手を動かそうと試みた。ピクリ、と中指が動いた。それから手が動き連なる腕も動いたので、それを眼前にかざした。
 手をゆっくりと開いては、閉じてみる。違和感は残るものの、それらは己の意思通りに動いた。
 ようやく回転を始めた頭で、思い出せる限りの記憶をさぐってみる。そして、記憶に残る最後の瞬間に至った所で、ふと眉を寄せた。

 自分は、傷を負っていたはずではなかろうか?
 ・・・そうだ。あの戦いに破れ、自ら谷底へ身を投げた。自分は死んだのだ。
 最後のその時を、死の波に飲まこまれるあの気配を、今もはっきりと覚えている。
 優しかった母の微笑みに導かれながら・・・。

 ・・・・では、なぜ生きている?
 あのとき確かに動かなくなったはずの四股が、今は、多少ぎこちなくありつつも、目の前で己の意思に沿って動いている。



 いったい、なぜ・・・・?



 遠くから、気配を感じた。
 それで思考が完全に覚醒し、ルカはベッドから起き上がる。じっと意識を集中すると、気配は扉を出たもっと先にいる。どうやら、こちらに向かって来ているようだ。

 「…………。」

 辺りを見回してみる。部屋の真ん中には、簡素な二人用のテーブル。壁沿いには、カップやら受け皿などを置く木製の棚。それらは、何の装飾も施されてはいないものの、手入れをして大切に使われていることが分かる。
 それらを一通り眺めていると、足音が部屋の前で止まり、扉がゆっくりと開いた。

 「あれ? もう起きたの? あんた、凄いね。」
 「………………。」

 部屋に入ってきたのは、女だった。
 彼女は、驚いた顔をしながら部屋に入ると、その手に持っていたポットをテーブルに置いて笑う。

 「へぇー。やっぱり、体力あるんだね。」
 「貴様………何者だ……?」

 殺気を漲らせて、問う。だが女は、小さく笑うだけでそれを受け流すと、棚からティーポットとカップを取り出した。

 「おい、貴様…」
 「貴様じゃないし。」

 二人分のカップをテーブルに置きながら、それでも女が殺気に動じることはない。
 じっと睨みつけていると、女は、言った。

 「私は、って言うんだ。よろしくね。」
 「………どういうことだ?」
 「どういう事って…?」

 自分の問いに首を傾げながらも、女が手を止めることはしない。話すか手を動かすかのどちらかにしろと言うと、「じゃあ、ちょっと待ってて。」との返答。
 と名乗った女は、慣れた手つきで袋から茶葉を取り出すと、ティーポットにそれを入れて上から湯を注いだ。だが、どうやらそれで気がすんだらしい。小さな音をたてて椅子に座ると、さぁどうぞ、と屈託のない笑みを向けてきた。

 「貴様………俺を、ルカ=ブライトと知っていて助けたのか…?」
 「……………。」

 その言葉に、彼女は俯き口を閉ざした。沈黙は肯定。
 と、何を思ったか彼女は、不意に自分の前の席を指さし、動作でここに座れと言った。仕方なくベッドから立ち上がり、言われた通りにする。
 その間、彼女は何も言わなかった。

 「おい…。」

 僅かに苛立ちを見せると、彼女は、ゆっくり口を開く。

 「あんたは、さ…。もう”狂皇子”じゃないよ。」
 「………?」
 「あんたは、もう……ルカ=ブライトって男じゃないよ。」
 「貴様、いったい何を言っ…」

 「狂皇子と呼ばれたルカは…………ルカ=ブライトは、あの時死んだんだよ。」

 その言葉に思わず閉口する。それにも構わず、彼女は続けた。

 「あんたは、もうハイランド皇子のルカじゃない。今、私の目の前にいる男は、狂気や憎悪に蝕まれた男じゃない。ルカって名前の………ただの”人間”だよ。」
 「……………。」
 「あんたは、何の肩書きも持たない……人として……ただの”ルカ”として生まれ変わったんだよ。」
 「何が……言いたい……?」
 「……あの最後の戦いの後、あんた笑ってた。覚えてない? 死の直前なのに、あんたは笑ってたんだよ? その時、私は…ハイランドの狂皇子と呼ばれた男は、もう死んだと思った。だから死なせたくなかった。今のあんたなら、もう一度……やりなおせると思ったから…。」

 だから助けた。そう言って、彼女は微笑んだ。
 その笑みに、言葉に、胸からなにか熱いものが込み上げる。鼻の奥がツンとして、少しずつ目が霞み始める。
 安堵する自分がいた。声、笑み、想い。自分の全てを包み込んでくれるような、癒されていくような。それは、”母”のような・・・・・響き。

 「……余計な真似を…………。」

 それしか言葉が出なかった。もう、言葉にならなかった。

 「生きるも死ぬも……あとは、あんたが決めることだから、好きにすればいいよ。」
 「……下らぬ…。」

 死の直前に自分を包み込んだ、あの暖かい光を思い出す。
 あぁ、あの光はこの女の仕業か。そう思った。

 「そう言わないで。でもね、せっかく命を取り留めたんだから、できれば……」
 「………?」



 「私は、あんたに………今まで殺した人たちの分も、生きてほしいよ…。」






 食事を作ってくるから待ってろ、と言って、彼女は部屋を後にした。
 素直にそれを待っていたわけではないが、窓から外を見ていた。
 それは、王宮のような大きな窓ではなかったが、自分のいる場所を確認するには充分だった。高さを見るあたり、ここは天高くそびえ立つ塔なのだろう。そして、それを囲むように茂る広大な森。
 ここがいったいどこなのかは、分からない。後であの女に聞けばいいだけだ。

 「……………下らぬ。」

 それまで心にあった狂気が、吐き気を覚えるほどの憎悪が、不思議なくらい跡形もなく消えていた。それまで自分を支配していた”激情”が、無くなった。
 ずっと、ずっと、それを糧に生きて来た。でも・・・・・その糧がこうして消え去った今、自分は何をすればいいのか?

 「ふん…………『生きろ』か…。」

 自嘲気味に笑って、空を見上げた。晴れ渡る空に、撫でる風に乗る雲。泳ぐように空を駆ける色鮮やかな鳥。これほどまでに、この世界は、美しかったのか?

 緩やかに、穏やかに、時は流れを刻み続ける。