[渡された指輪]



 名医リュウカンの手によって、コウは一命をとりとめた。
 『一日、安静にしていれば大丈夫』との言を受け、彼は城の医務室に預けられた。とグレミオが城から戻ってコウの容態を述べると、それに安堵したのか、とナナミは胸を撫で下ろしていた。

 今日は、もう遅い。
 の勧めもあり、一行はマクドール邸で休むことになった。それを聞いたルックが「を連れてくる」と言って光と共に消えたのは、つい先ほどのこと。
 は、ナナミと共に酒場にいたビクトールとフリックを迎えにいき、そのままの家へ向かった。
 とルック以外、全員がマクドール家に集まった。






 家に入ると、は、懐かしそうな顔をして静かに微笑んだ。グレミオも同じく笑っていたが、何か思い出したように「では、お先に失礼しますね!」と言い厨房へ入って行く。
 達を客間へ案内したは、「何かあれば、遠慮なく言って。」と言い残し、かつての自室へ戻って行った。

 通された客室は、とても広かった。置かれているテーブルやソファを退かせば、軽く10人以上は寝泊まりが出来そうなほどだ。
 豪華そうな家具や調度品を珍しげに眺め、途中、グレミオの持ってきてくれたお茶を飲んで皆で話していると、部屋に光が現れた。そこから現れたのは、ルックと。彼女は、ルックに手を引かれていたが、やはり何も言わずに静かに立っていた。

 口を開きかけたの言葉を牽制したのは、ルックだった。彼は、鋭い眼光でを制すと、彼女から離れて周りを見回し、これみよがしな溜息を落とした。

 「………相部屋なわけ?」

 心底『嫌だ』と言いたげな彼に、すぐさま抗議を開始したのはナナミだ。

 「ルックくん、なに言ってるの? こんなに広い部屋、そうそう泊まれないよ!」
 「……僕が、いつ広い部屋に泊まりたいなんて言ったんだい?」
 「んもう! 協調性が、ないんだから!」
 「……僕は、きみ達と馴れ合いたいなんて思ってないから、安心しなよ。」

 力説するも、嫌味たっぷりに返されたナナミは、言葉に詰まって悔しそうに唸っている。
 それを尻目に、ルックは、付け足した。

 「全く……どうして僕が、きみ達なんかと…。」
 「なっ、そこまで言うことないじゃない!」

 二人の口喧嘩が始まりそうになったその時、部屋の扉が開いた。さきほどお茶を持って来てくれたグレミオが、二人を見て何事かと目を丸くしている。

 「あれ? グレミオさん。」
 「えっと……夕食の準備ができたので、呼びに来たんですが…。」
 「わぁ、ご飯!!」

 夕食と聞いてナナミが目を輝かせた。対しルックは「…現金で単純だね。」と冷めた視線を送る。

 「よっしゃー、メシメシ!」
 「ビクトール、お前……あんまり食い過ぎるなよ。」
 「うるせーな! 腹が減っては戦はできぬ、っていうだろ?」
 「動いた以上に食うなって言ってるんだ。この筋肉デブ。」
 「んだとぉ!?」

 「ごっはんー、ごっはんー!」
 「ナナミ…。」

 先に出て行ったグレミオの後を、フリックとビクトール、とナナミが続く。

 「………ねぇ、行くよ。」
 「うん…。」

 ルックが振り返り声をかけると、彼女は、顔を上げることなくポツリと返事をした。






 「それでは、坊ちゃんの無事を祝って…」
 「乾杯!!」

 食堂でクレオという女性、そしてパーンという男性を紹介された。二人は、マクドール家の居候らしい。
 一通り紹介を終えたあと、その言葉を合図に夕食が始まった。美味しそうに湯気を立てるシチューを口に運んだナナミが、感激の声を上げる。

 「わっ! これ、すごく美味しい!!」
 「そうですか? ふふっ、久しぶりに作ったので、上手く出来たか心配だったんですよ。でも良かった。」
 「これ、グレミオさんが作ったんですか?」

 ナナミに続いたが問うと、クレオが「グレミオは、料理が得意だからねぇ。」と笑う。

 「お前……相変わらず、シチューなんだな…。」
 「もちろんです! 坊ちゃんの大好物ですから!!」
 「グレミオ……。」

 呆れ顔のフリックに、グレミオが拳を握って答える。当の本人は、恥ずかしそうに頬をかく。
 しっかしなぁ、と、ビクトールが笑った。

 「あんな所で、お前らと会うとはなぁ?」
 「私もびっくりしましたよ。あの戦いの後、お二人とも姿を消してしまったので、てっきり私は…」
 「ビクトール、お前!」

 連絡入れとくって言ってなかったか?! そう言ってフリックが睨むと、まぁいいじゃねぇか、とビクトール。豪快に笑い飛ばしながら、相方の肩をバシバシ叩いている。

 「っつー…。お前、自分がどれだけ馬鹿力なのか、分かってないだろう!!」
 「んな怒んなよなー。ほれ、グレミオのシチューが冷めちまうぜ?」
 「あぁ、フリックさん! 冷めない内に食べてください!」

 グレミオの慌てように、皆が笑った。
 それを横目にルックは、隣で食事をしているに目を向けた。彼女は、場の空気を壊さない程度に静かに食事を進めている。だが、やはり心はここにはないようで、その視線はずっと遠くへ向けられていた。
 それを見て、そっとため息をはいた。






 再開と無事を祝う食事会は、あっという間に過ぎていった。
 腹を一通り満たして、皆が一息つく。そして、酒の飲める年齢の者───ビクトール、フリック、クレオ、パーンの四名───は、ワイン片手にグレミオの持ってきたチーズを肴にして、昔話に花を咲かせはじめた。
 余り酒をたしなむことのないグレミオは「片付けをする」と台所へ向かい、、ナナミ、ルックといった酒の飲めぬ者は、静かに部屋を出て行った。

 少年少女が部屋から出ていくと、も静かに席を立った。それを引き止めたのは、同性のクレオだ。

 「なぁ、待ちなよ。良かったら、あんたも一杯どうだい?」
 「いや……折角だけど、私は遠慮しておくよ。ごゆっくり。」

 静かな声で形だけの返答をして、は部屋を後にした。

 「………随分と、物静かな人だね。」

 グラス片手にそう言ったクレオに、ビクトールもフリックも困り顔をするしかなかった。






 部屋を出ると、すぐに声がかかった。だ。
 彼は、真剣な面持ちだ。

 「なにか用?」
 「あの……、いえ……。」

 何か言いかけては、すぐに口を閉じてしまう。何度かそれを繰り返す彼を、黙って見つめてる。
 彼は、きっと全てを知る者だ。その表情を見ながら、どこか他人事のようにそう思う。
 視界が霞み、意識はどこか別の場所へ逃げようともがいていた。
 ややあって、彼は言った。

 「さん…。あなたに、お話があります…。」
 「私に…ね。」
 「…はい。少し、いいですか…?」
 「………。」

 踵を返した彼に、返答せずに従った。
 見えない不安が全身を覆う。正体の見えないものが、胸の中に渦巻いていた。

 きみは、全て知っているんだよね? ぜんぶ、分かっているんだよね?
 ”彼”が、今どこにいるのか。なにをしているのかも。
 ”彼”は、今どこにいるの? 何をしているの?
 きみは、ぜんぶ知っているんだよね?
 彼は、もう逃げなくていいんだよね?

 それなら、もう逃げなくていい彼は・・・・どうしてあの場所に来てくれないの?






 着いた先は、の部屋だった。
 部屋に通され、どこか遠い意識のままその背をじっと見つめる。

 「こちらに……座ってください…。」

 示された席に座ると、彼もその向かいに腰を下ろした。だが、両手をテーブルの上に乗せ、視線を伏せてしまう。
 それを、どこか遠くを見つめるように視線で追った。

 「さん…。」
 「…でいいよ。」

 灯りのない部屋に、月の光が差し込んでいる。
 何か言いかけては止める、という動作を繰り返す、目の前の少年。
 その言葉を待ちながら、その右手を見つめ続けた。

 「…。僕は、正直…あなたに何から話したらいいのか……分かりません…。」

 彼は、視線を伏せたままそう言った。長い長い沈黙。
 意識が、視界が、鮮明さを取り戻していく。だからこそ、問わなくてはならなかった。

 「私は………あんたに聞かなきゃいけないことがある…。」
 「……はい。」

 けれど、それ以上言葉にならなかった。なぜだろう? なんて思いたくもないのに・・・。
 ただ一言”それ”を口にすれば、全て解ける。とても簡単な事のはずなのに。
 彼は、次になにを聞かれるのか、分かっているような顔で唇を噛んでいた。

 「その…………右手の……紋章……。」
 「……………。」



 「なんで……きみが………『ソウルイーター』を持ってるの……?」



 その問いに、彼は答えなかった。それでもいい。いつまででも待つつもりだった。
 どれだけの時間をかけても構わない。時間はある。自分には膨大に。それこそ無限に。
 何時間でも、何日でも、彼の言葉を待てる。

 重い空気が、場を支配する。
 それでも、ただじっと待ち続けた。

 が顔を伏せたまま、徐に、腰に下げていた布袋からなにか取り出した。
 それが、何を意味するのか分からなくて、黙ってそれを見つめる。
 余程小さな物なのか、彼は”それ”を右の手の平に持つと、耐えるようにじっと見つめた。
 中身は、見えない。

 だが、彼は、不意に顔を上げた。



 「………テッドという男を………ご存知ですか…?」



 思わず、目を見開く。
 心臓が早鐘を打ち、全身の血管がドクドクと脈打ち始めた。

 耳障りなほどに、鼓動は全身を駆け巡っていた。
 唇が渇き、上手く言葉が紡げない。
 握りしめていた手が、じわりと汗をかいていた。

 やがて彼は、その手に持っていた『何か』を、ゆっくりと目の前に差し出した。



 「ッ……!!!」



 『それ』が何か確認した途端、全身が強ばった。その手に握られていた『指輪』を見て。

 不思議な模様が刻まれた指輪の中央には、古い時代に使われていたような文字が掘られている。『それ』は、明らかに見覚えのある物。
 忘れもしない。忘れられるはずがない。だって、これは・・・・・・・・愛する人がくれた物。
 別れの最後の晩。最初で最後の、彼からの贈り物。
 愛を誓ったはずのシルバーリング。

 指輪は、ペアだった。
 片方は、自分の左薬指にはめられている。
 その片割れが、こんな所にあるなんて・・・・。

 でも、なんで?
 どうして、彼が身に付けているはずの物を・・・・きみが持ってるの?
 ねぇ、なんで・・・?

 心に住み着いた不安と恐怖は、恐ろしい確信に変わりつつあった。

 ・・・・・・・嘘だ・・・・そんなはずない。
 信じられない。
 こんなの・・・・・認めない。

 だって、彼は・・・・・・!!



 「このソウルイーターは………僕の親友からの…………預かり物です…。」

 「そして、この指輪は………………………彼から、あなたにと……。」



 そう言って、渡された指輪。
 二人の『誓い』の証。『約束』の証。
 二人だけの、愛の証。

 それを手にして、唇が震えた。涙は不思議と出て来ない。
 泣いてはいけない。まだ、決まったわけじゃない。
 諦めてはいけない。・・・・・泣いてたまるものか。

 彼は、まだこの世界のどこかで・・・・・・・自分を待っているはずなのだから。

 「…………来てもらいたい場所が………あります……。」

 そう言って、が立ち上がり、部屋を出て行く。力の抜けてしまいそうな体に喝を入れて、ゆっくりと立ち上がると、その後を追った。

 震える手に、渡された指輪を握りしめて・・・・。