[願い]



 の家へ泊まると決まった、その夜。
 僕の心の中で、妙な胸騒ぎが絶えず続いていた。
 皆で食事を終えた後、達と共に部屋へ戻ろうとしたけど、どうしてもそれを拭い去ることができなくて、足は自然とその場に止まった。

 何だろう? この『感じ』は。
 これは、そう・・・・さっきから、ずっと続いている。
 彼女の様子がおかしいと気付いてから、胸の中に、嫌なものが駆け巡っていた。

 なんとなく、全身に悪寒が漂い気分が悪かった。
 けれど、どうしてそんな風になってしまったのか、分からない。
 どうして、僕が・・・・彼女の青い顔を見て、胸騒ぎを覚えなくちゃならないんだろう?

 彼女の顔を見て、何かが起こったのだとは思った。
 原因となるのは、の右手に宿る紋章。生と死を司る紋章、別名ソウルイーター。
 彼女がその名を言い当てたとき、思った。きみは、それを見たことがないだろう? 知るはずがないだろう? それなのに、何故きみが、”それ”を知っている?
 どうして、その名だけを・・・・。

 気にはなった。でも、僕には関係ないことだ。
 関係ない。そう思っていたはずなのに・・・・。

 足は、部屋に戻ることを拒否していた。理由なんて分からない。
 これは、たぶん『感情』と言われるものだ。自分にないはずの”それ”が、このまま部屋に戻ることを拒んでいるのだ。
 部屋に入ろうとしたが、扉から顔を出していた。「どうしたの?」と言った彼の言葉に、僕は返事をしなかった。

 どうしたの、だって?
 そんなの、僕にだって分からない。
 僕にだって、分からないことは沢山ある。

 どうして、足が動かないのか。
 どうして、部屋に入ることを拒み、踵を返そうとしているのか。
 どうして・・・・・こんなに胸が苦しいのか、なんて・・・。

 黙っていた僕に、彼は笑った。睨みつけて「なに?」と言ってやると、彼は目を逸らし苦笑いをして言った。「行っておいでよ。」と。
 再び返答を拒否すると、彼は「行ってきなよ。心配なんでしょ?」と続けた。それがなんとなく腹立たしくて「誰が…」と言うと、「さんだよ。」と即答された。
 面白くなかった。心を見透かされている気がして。
 「別に、僕は…」と言いかけて、それ以上言葉が出ない事に気付いた。すると彼は「じゃあ、僕が心配だから、さんの様子を見てきてくれる? お願いね。」と言って、部屋の扉を閉めた。

 早く行け、と。そう言われていることは、すぐに分かった。
 彼も彼女のことを心配していた。だから彼は、きっと彼女に一番近いだろう僕にそう言っんだ。

 でも、なんとなく面白くなかった。
 だから、一度だけ鼻を鳴らして、踵を返した。






 皆で食事をした部屋に戻ろうと階段を上がり、角を曲がろうとしたところで、足が止まった。人の気配がしたからだ。
 本当はこんな事したくはなかったが、思わず身を隠して息を潜めた。

 「さん……。あなたに、お話があります…。」
 「私に…ね。」
 「…はい。少し、いいですか…?」
 「………。」

 会話は、そこで終わったようなので角から覗いてみた。と彼女がいた。
 それを見て、昼間、彼が彼女のことを気にかけていたことを思い出す。バナーの森からグレッグミンスターへ向かう途中、ずっと彼女に何か言いたげにしていたことを。
 彼女は俯き、静かに彼に付いていった。

 彼等の向かった先は、その片方の居室だった。



 二人が部屋から出てきたのは、それから暫くしてからだった。
 先ほどより更に重い空気を纏い、表情の見えないの後を、彼女が付いて行く。
 どこかへ出かけるようだ。

 「…………。」

 どうでもいい、はずだった。他人が何をしようと、誰が何を想おうと。
 彼らが何を話そうが、どこへ出かけようが・・・。
 しかし、いけないことだと分かっていても、衝動が自分を突き動かした。






 随分と歩いた。時間にして、半刻ほどだろうか。
 空を見上げれば、闇夜を照らす満月が世界を見下ろしている。それが何となく癪に触ったので、鼻を鳴らしてみた。
 遥か前を歩く二つの影に目をこらす。

 は、彼女をどこへ連れて行くつもりなんだろう?
 こんな夜中に『散歩』はないだろう。家を出る時に、彼がグレミオに言ったことを思い出し、皮肉る。

 やがて二つの影は、木がポツンと立つ小高い丘の上で止まった。角度からしてよく見えないが、が、彼女の腕を引いてその木の裏手に連れていく。
 その”何か”が見える位置に転移するため、呪文を唱えた。気配を悟られないよう、細心の注意を払いながら。

 転移した先で、彼が彼女に見せたも物の『正体』を知った。
 それは、遠目からでもよく分かった。

 「………墓石?」

 小さく呟く。でもこの声は、彼らの耳には届かないだろう。

 と。

 墓石の前に立っていた彼女が、膝を折った。
 『誰の墓だろうか』と、この時は、純粋にそう思っていた。

 聞いた話では、この国で彼女に『知り合い』と呼べる者はいないらしい。師に『彼女は、とても遠い異国から来た』と聞かされていたからだ。
 旅に出ている時に親友と恋人が出来た、とは聞いていた。その時、彼女の親友がもうこの世にはいないことも、彼女自身が語っていた。

 ふと、冷静に分析している自分に嫌気がさす。考えを振り払い、風に乗って耳に届いてくる彼らの会話に集中した。

 「……あなたへ…………テッドから、言伝があります…。」
 「言……伝………?」



 ・・・・・・・・・何だって?

 今、は何と言った? 誰の名を口にした?
 テッド、と。
 そう。彼は『テッド』と言った。

 でも・・・・

 彼は、解放戦争中に命を落としたはずだ。忘れもしない、あのシークの谷で。
 ソウルイーターを狙う、あの”女”の策を覆すため、自ら・・・・・。

 戦争中、彼の話を聞いたことがあった。彼は、の親友だったと。
 そして、ソウルイーターを宿して300年もの長い時を生きてきた事を。

 思考が乱れる。

 ・・・・どういうことだ?
 解放戦争中に命を落とした彼を、トラン領内に知り合いがいるはずのない彼女が、どうやって知り合える?
 彼女は、その時旅に出ていたはずだ。解放戦争の情報すら届かない、遠く離れた地に行っていたはずだ。彼女自身が、そうと言ってたじゃないか。
 解放戦争に出ていない彼女が、彼と知り合うことは、不可能じゃないか?

 なぜ、ナゼ、何故・・・・?

 頭の中で、見えない糸が絡み合う。
 それは、解こうとすればするほど縺れていった。
 しかし。

 頭の中で、それを解こうとする『可能性』が閃いた。

 ・・・・・あぁ、見つけた。
 その『可能性』があるのなら、あの二人は、出会っていてもおかしくはない。
 その『可能性』があるのなら、今自分の頭を支配している疑問が、難無く解ける。

 『時間移動』

 彼女が旅に出る前、師は、彼女を旅に出すと言っていた。
 その時、自分は『ただの旅』だと思っていた。色々な地方を回るものだと。
 勝手に、そう思い込んでいた。

 しかし。

 それが、時間を越えた旅だったとしたら? 過去へ遡る旅だったとしたら?
 ・・・・その可能性が高いのなら、全ての謎が解ける。
 旅を終えて戻って来た彼女が、自分を見てやけに懐かしがったこと。たった5年の間に、恐ろしいほど剣術や紋章術が上達したこと。思い出を語ったとき、それがとても遠い昔を想わせるように聞こえていたこと。
 そして・・・・・”彼”と出会っていたことも。

 解けた!!

 あの時、師が言っていたのは『過去へ旅に出る』ということだったのだ。
 今、ようやく全ての謎が解け、ようやく全て繋がった。

 そうだ。
 師が、わざと過去へ遡らせたのなら、彼女が彼に出会っている可能性は高い。それが、どれほど『昔』なのかは分からないが、彼女の持つ紋章の”特性”を考えれば、それは必要であったのだろうから。

 ・・・・・”彼”が、彼女の言っていた”恋人”だったのか。
 風に運ばれてくる会話が、それを物語っていた。

 だが、が伝えた、彼の言伝。
 その最後の言葉に、どうしようもなく胸が締め付けられた。



 『…………………………………愛してる。』



 胸の内を激しく殴打するような、重く鈍い痛み。
 それと同時に、内側に湧き出たドロリとした想い。
 この感情は、いったい何というのだろう? 知らず下唇を噛む。

 ・・・痛い、苦しい。どうしてこんなに・・・?

 視線を戻すと、が丘から去る姿。彼女が、それを望んだのだろう。
 その後ろ姿が見えなくなる頃、彼女の全身が、小刻みに震えだした。

 それを、ただ、見つめていた。

 泣いているのだ。失った痛みに。愛する者に置いていかれてしまった悲しみに。
 親友に続き、恋人までも失ってしまった苦しみに。

 何も出来ずに、ただ、それを見つめていた。

 ふと、思い出す。
 ずっと気付かないフリをしていたが、彼女の左手の薬指にはめられた『銀の指輪』の存在。自分は、その存在を知っていた。それが誰からの贈り物であったのかまでは、分からなかったが・・・。
 ”それ”が、彼らの『誓いの証』であり、また『約束の証』だったのだろう。そう思うだけで、胸は更に苦しくなっていく。

 暫くして、彼女が手に持っていた『何か』にキスをした。そして、それを墓石に置く。
 あれは何だろう? そう思ったが、もうこれ以上見ていられない。

 小刻みに震える肩。小さく漏れる嗚咽。
 それを『抱きしめたい』と思ったのは、ただの気まぐれだろうか?
 何もできない自分が歯痒かった。慰めの言葉を紡ぐことも、その肩を抱きしめてやることも出来ない自分に。

 『僕は、きみに………………何もしてやれない……。』

 だから、ただ、彼女を見つめた。

 気付いてくれればいいのに。
 僕は、ここにいるのに。
 僕は、ここに・・・・。

 それでも彼女は気付いてくれない。自分にも、彼女の肩を撫でる風にも。
 胸が苦しい。とても、とても、もどかしい。

 だから、一人になることを望んだ彼女に背を向けると、風に想いを込めてその場を去った。






 風よ

 僕の忌み嫌う 呪われた風
 僕から安らぎを奪う 忌わしい風

 風よ

 だけど僕は 今だけはそれを忘れ
 今だけは 憎むことすら忘れて
 お前に願おう

 風よ

 どうか彼女の涙を拭い
 優しく 彼女を包んでほしい
 泣きつかれて 夢の中に堕ちるまで

 僕は 願おう

 出来ることなら
 彼女の悲しみ そして その苦しみを
 お前が 全て洗い流してくれることを

 僕は・・・・・・・・・”僕”に 願おう