[優しさは人それぞれ]



 その夜、が、マクドール邸に戻ることはなかった。



 朝。
 彼女が戻らないことに気付いたビクトールとフリックが心配を口にしたが、は、何も言わなかった。それで二人は『これは触れるべきではない話題だ』と考え、それ以上は何も言わなかった。

 だが、それを見て疑問を感じたのは、だった。
 昨晩、彼女を心配するルックに「様子を見ておいでよ」と言った。彼が彼女を心配していたのは傍目に見ても明らかだったし、自分もずっと気になっていた為、そう言ったのだ。
 けれど、今朝彼と顔を合わせて、それが余程の事態だったのだと理解した。”それ”が何かは分からなかったが、彼の顔色を見れば一目瞭然だったのだ。それは、いつもの不機嫌さを通り越し、眉を寄せたまま終始俯いていたのだから。

 しかし、自分が口を挟んではいけないことだとも理解していた。
 だからは、その話題を振らなかった。
 けれど、どうしようもないほど気にかかっていた。



 皆で朝食を囲んでいると、静かに扉が開いた。全員の視線が、一斉にそちらへ動く。
 扉を開けて入って来たのは、今が一番気にしていた人物だった。

 「さん!」
 「あ、……ちょっと待って。」

 すぐに立ち上がり駆け寄るも、彼女は苦笑いしながら、手で『待って』と制止した。
 は、あることに気付いた。彼女が全体的に薄汚れていたのだ。その服は、どこかに座り込んだのか少し土がついており、髪はまるで一晩風にさらされたがごとくボサボサになっていた。よくよく顔を見てみれば瞼がはれており、目が赤くなっている。

 それを見て、よほど驚いたのか、ビクトールが声を上げた。

 「!? お前、どうしたんだ、その格好…。」
 「あー…。おはよう。」

 頭をかきながら、苦笑いする彼女。

 「おはようじゃなくて…!」
 「何があったんですか…?」

 大声で言ったビクトールの言葉を、は繋いだ。聞いてはいけないと思っていても、口に出てしまった。しかし、彼女から戻った返事は、『答え』ではなかった。

 「んー…、別に何もないよ。」
 「そんな…」
 「昨日、星が綺麗だったからさ。外に出てずっと見てたわけよ。で、見てる内に寝ちゃって、起きたらこんな時間になってたんだよね。」

 冗談めかして、彼女はそう言った。
 再度口を開こうとすると、ルックが苦い顔をして言った。

 「……。本人がそう言ってるんだから、もう放っておきなよ…。」
 「なっ、そんな言い方…!」

 彼の物言いに、流石のも声を荒げた。どうでもいいだろ、とでも言いたげな彼の言い方に腹が立ったのだ。
 彼女を一目すれば、明らかに『何も無かった』と言える風貌ではない。彼女に一番近いはずなのに、彼だって彼女を心配していたはずなのに、どうしてそんなことが言えるのか?
 食ってかかった自分を横目に、彼は、彼女と目を合わさずに言った。

 「……、目が赤いよ。それにそんなに薄汚れて…。みっともないから、風呂に入ってくれば?」
 「ん…、分かった。」

 あぁ、それならさっき準備が終わったところですよ、と続いたのはグレミオだ。
 どういうことかと視線を向ければ、彼は「今朝、ルックくんが入りたいと言っていたので、湧かしておいたんです。丁度良かったですね。」と微笑む。
 タオルは準備してますが、着替えがまだなので少し待ってて下さい。そう言い席を立った彼に、彼女は「着替えはあるので、大丈夫です。」と答えている。それならお風呂に案内します、と扉へ向かった彼の背を、彼女は静かに追った。と、思い出したように振り返り、笑みを見せる。

 「あー、ごめん。私、風呂の後にちょっと用事があるから……先に戻っててくれる?」
 「えっ…ちょっと、さ…」
 「……勝手にしなよ。」

 が何か言う間もなく、彼女はグレミオと共に部屋を出て行った。
 扉が閉まると同時に「全く世話が焼けるね。」と言ったのはルックだ。
 は、思わずカッとなった。

 「ルック!!!」
 「……静かにしてくれない?」
 「さんの目、見ただろ!? あれ泣いてたんだよ! ルックなら分かるはずだろ! なのに、どうしてあんな言い方…!」
 「……うるさいね。黙って食べなよ。」
 「ッ!!」

 あまりの言い草に、思わずテーブルを叩きつけて彼を睨みつける。しかし彼は、少し顔を顰めただけで平然と朝食を口に運び、それ以上口を開くことはしない。
 と、ここでが待ったをかけてきた。

 「くん…。ルックの言う通り、今は……そっとしておいてくれないかな…。」
 「さんまで……どうしてですか!?」

 納得がいかない。それをそのまま声に出した。
 だが、やはり彼もルックと同じく、それ以上口にすることはなかった。



 もルックも、彼女の気持ちを痛いほど理解していた。
 しかし、今は何か声をかけるべきではない。彼女は一人になることを望んでいる。今の彼女は、誰かに何か求めてすらいないのだから・・・。

 だが同時に、二人は思っていた。
 の純粋な優しさが、彼女を傷つけること。その優しさから彼女を引き離さなければ、彼女がもっと傷ついてしまうこと。
 だからは、それを言葉に乗せた。

 「くん。きみは……とても優しい…。」
 「さん?」
 「でも、きみのその優しさが……今の彼女にとっては、辛いだけなんだ…。」
 「そんな…!」
 「だから、今は……彼女をそっとしておいてくれないか?」

 は、誰にともなく「ごちそうさま…。」と言うと部屋を出て行った。それを見送ることも出来ずに、は席につく。
 ため息が零れた。
 すると、フリックがポンと肩に手を乗せてきた。

 「……。誰にだって、言いたくないことの一つや二つ、あるもんだ。」
 「………。」
 「あまり考え過ぎるな。考えてばっかりじゃあ、身動きが取れなくなるぞ。」
 「……うん。」

 小さく頷くと、彼は微笑んだ。ビクトールに視線を向けると、彼もニカッと笑っている。

 「まぁ、があぁ言ったんだ。もしかしたら強力な人間が、同盟軍に味方してくれるかもしれないぜ?」
 「おいフリック、お前……それって、もしや…。」

 彼の言葉に、ビクトールが眉を寄せる。それに苦笑を返しながら「ごちそうさん!」と言って、彼は部屋を出て行った。暫くしてビクトールが「あぁ、なるほどな。」と苦笑する。

 それを、終始静観していたルックは、フリックの言っていた”あいつ”が誰を示しているのか瞬時に理解し、そっと溜息を零した。






 朝食を終えた者から部屋を出て行った。
 同盟軍一行は、今頃帰り支度をしていることだろう。そんなことを考えながら、ルックは、まだ食堂にいた。ここには、もう誰もいない。

 彼女が『どこへ何をしに行く』のか、何となく察しはついていた。
 過去へ旅し、”彼”と出会い、そして死別を知った彼女の向かうその先。
 ”それ”を知ってしまえば、彼女の向かう先は自ずと知れてくる。

 止めるべきか・・・・・それとも、黙って行かせるべきか。
 一人唇を噛み締め、瞳を閉じた。