[空白の真実]
風呂に入り、丁寧に汚れを落としてから、グレミオに礼を告げてマクドール邸を後にした。
マクドール邸を出て大通りを抜け、正門を通り街を出る。
そして、人目のつかない場所に行くと、瞬時に転移した。
徐々に光が収まり目を開けた。視界に写るのは、何者も寄せつけぬ広大な森に囲まれた巨大な塔。茂る森を少しだけ歩くと、他者の侵入を阻むような巨大な扉が見えた。
目的の人物は、その中にいる。そして、塔の頂上で自分を待っている。自分が来る事を予期しているはず。
扉を開こうと手をかけた時、後ろから声がかかった。
「か?」
「…ルカ? あぁ、稽古中だったんだ?」
振り返ると、愛剣を手に訝しげな顔をしている、大柄な男。
「久しぶり…でもないか。」
「……しょっちゅう顔を見せに来るくせに、何を言っている。」
軽口を叩いてみせると、彼は、ふんと鼻を鳴らす。
それに小さく笑ってみせてから、問うた。
「ねぇ、レックナートさんは?」
「…あの女に用事か? あいつなら、いつもの場所にいるだろう。」
あえて確認を取ってから、「ありがとう。」と付け足して、は扉を開けた。
階段を上るのが面倒だったので、最上階へは転移で向かった。
塔の主の部屋の扉をたたくとすぐに返事があり、見た目の割にさして重くない扉を開けて入室する。
部屋に入ると、この世界に来てから随分と世話になった女性が、すぐさま口を開いた。
「……。」
「……お久しぶり、というほどでもないですよね。」
冗談めかして返したつもりだが、もしかしたら彼女は分かっていたのかもしれない。盲目であるが故、彼女は自分の張り付けたような笑みを見ることは出来ない。だが、見えないが故に察知しているのかもしれない。
自分の中で渦巻いている感情に・・・・。
「……。」
「……………。」
それならば、こんな笑みなど必要ないのかもしれないが、自分の胸に湧き上がるこの激情を抑えるためには、これを辞するわけにはいかなかった。
だが言葉が出ない。口にしてしまったら、これ以上自分を抑えられなくなりそうだ。唇が、肩が、全身が、沸き上がる”怒り”に震えるのだ。
しかし、込み上げた想いは『耐えきれない』とばかりに、自然と言葉に成った。
「私は………やっと理解できましたよ。」
「…………。」
自分の言わんとすることが分かったのか、彼女が静かに俯く。
「なんで私が、5年という空白を越えて、この地へ戻ってきたのか…。」
「…………。」
「そして……なんであの時、ソウルイーターの気配を感じられなかったのか…。」
感情を押さえ付けるように、深呼吸をした。落ち着け、落ち着けと念じながら。
5年という空白を、疑問に感じていた。
なぜ、師が、旅に出た時よりそれだけの空白を開けて自分を戻したのか、と。なぜ『5年』という時を開けなくてはならなかったのか、と。
旅を終え、本来の時間へ戻ったあと、恋人の気配を感知することが出来ない自分に、彼女は言った。『命を落としてしまったのか!?』と混乱した自分に、何とも優しい『可能性』を与えてくれた。
他者に紋章を継承した、可能性。
紋章を支配下に置き、意図的に気配を断っている、可能性。
その二つの可能性を、自分に与えてくれた。
けれど。
あの時、何かがおかしいと思っていた。何かがおかしいと・・・。
しかし、彼女は、その思考を遮るかのごとく言ったのだ。「希望を捨てないで下さい」と。
それなのに・・・・・それなのに・・・・・・・・・それなのに!!!!!
彼女は、自分のいなかった空白の5年の間に何が起こったのか、言わなかった。自分も、特になにも聞くこともないと思っていたが、彼女が何も言わないのなら、それはきっと大したことではないと、勝手に決めつけていた。
だが、そうではなかった。
ルックが、言っていたではないか。自分の居ない5年の間に、トラン領内で戦争が起こったと。
そして、ようやくその真意を見つけた。見つけたくもない『答え』を、見つけてしまった。
解放戦争の『英雄』が教えてくれた。その戦の最中に、恋人が命を落としたということを・・・。
「……ッ……。」
彼女は、知っていた。知りながらも、それを口にすることをしなかった。
そして、自分の恋人が『テッド』であることを分かっていながら、彼が解放戦争で命を落としたことを知りながら、自分が・・・・彼を捜すだろうことを知りながら!!
それでも尚彼女は、真実を閉ざし、5年という空白を空けて自分をこの地へ呼び戻したのだ。
ザワ、と全身が戦慄いた。
絶望と苦悩、そして絶え間なく沸き上がる怒りで。
それを抑える術は、もう、どこにもなかった。
「…。貴方は、本来……この世界に存在しない人間です…。」
「…………。」
「貴方を、5年という時を隔ててこの地へ戻さなくては……運命が大きく変わってしまっていた…。」
抑えろ、抑えろ、抑えろ・・・・・。
自分にある全てを、それを抑えるためだけに注ぎ込む。
全身に力を入れて、拳を固く握る。抑えたいのに、震えが止まらない。
だが、僅かな戸惑いの後に紡がれた彼女の言葉で、とうとう怒りが振り切れた。
「………”運命”が………………貴女達を遠ざけたのです……。」
ダンッ!!!!!!!
何も考えず、本能のまま彼女に掴みかかった。その襟首を掴んで、床に叩き付ける。部屋の中に反響するほど、その音は大きく響いた。
ギリ、と歯を噛み締めながらその体に馬乗りになる。彼女は、少し苦悶の表情を浮かべたが、それでも続けた。
「貴女と、貴女の愛した者…。ですが運命は、それを許さなかった……。」
「黙れッ!!! あんたの言ってることは、さっぱり分からない!! あんたは、いつもいつも遠回しにしか言わない!! 何を言いたいのか、分からない!!!!」
「…。」
彼女の襟首を掴みながら、それでもどこか冷静に静観している自分がいた。
こんなことをしても、ただの八つ当たりにしかならないのに。どんなに怒りをぶつけても、どれだけ彼女を罵倒しても・・・・・目の前の『真実』が、変わることなど決して有りはしないのに・・・。
それでも、心も体も、思い通りにならなかった。
「…。」
「……黙れ…」
「目を、開けなさい…。」
「っ……黙れッ!!!」
涙が溢れて、前が見えない。何も見たくなかった。聞きたくもなかった。
「……どうか………乗り越えてください…。」
「あんたに………っ………何が分かるッ!!!!!」
意識とは裏腹に、拳を振り上げる。
駄目だ、いけない! そう思っていても、体が言う事をきかない。
駄目、いけない、やめて・・・・!!
拳を振り下ろそうとした、その時だった。
誰かが、そっとそれを制し、優しく言葉をかけてくれたのだ。
──── …そんなことはしないで。貴女が……傷つくだけだから… ────
刹那。
本当に、その瞬間だけ、その”気配”に気を取られた。
そして全身の力が怯んだ隙に、誰かに腕を取られる。
「っ!?」
「おい、もう止めろ。」
腕を取ったのは、ルカだった。
彼女の様子がおかしいことに気づき、部屋の外で様子を伺っていたのだが、部屋の中から大きな音がした為すぐに扉を開けたのだ。
彼女は、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに腕を振り払おうとした。
「ルカッ、離せっ!!!」
「……もう止めておけ。」
それでも言うことを聞かない彼女の腰に腕を回し、強引にレックナートから引き離す。だが、それから逃れようと彼女は暴れた。
「ちくしょう……離せッ!!」
「おい、落ちつけ!」
「ちくしょう……ッ………ちくしょう、ちくしょう……ちくしょおッ!!!!!」
抱えられながらも、彼女は、大声でレックナートを罵倒した。
「乗り越えろだと!? ふざけるなッ!! なにが『運命』だ!! テッドが死ぬのが運命だったとでも言うつもりかよ!?」
「……………。」
「ちくしょう! ちくしょう!! 返せ、テッドを返せっ!! 私のテッドを!! っ…。」
全てを口にする前に、彼女は意識を失った。ルカが、その鳩尾を打ったのだ。
意識を無くし、ぐったりとした体を抱き上げながら、ルカは静かにレックナートを見つめた。小さく咳き込みながら、彼女がゆっくり立ち上がる。
暫しの静寂の後、彼女は、呟いた。
「私、は…………。」
「……勘違いするな。俺はお前に何か聞くつもりも、まして聞いてやるつもりもない。」
「……………。」
そう言って、を抱えたまま彼女に背を向け、部屋を後にした。
一人になったレックナートは、許しを請うよう呟いた。
「貴女には…………それを乗り越える強さがあると………信じています…。」
その言葉は、しんと静まり返ったこの部屋に、掠れて消えた。