[笑顔]



 まどろむ世界。
 実体もなく、その中を漂っていた。ゆらゆら、ゆらゆら・・・。
 あぁ、これは夢かと気づき、そのまま微睡みに身を任せる。

 かつての、記憶達。
 それはゆっくりと、まるで映画のワンシーンを見せるかのごとく、巡る。
 楽しくもあり、喜びに満ちたものでもあり、時に悲しみの中へと振り落とされるものであり・・・。

 胸が締め付けられた。
 同時に沸き上がるのは、還りたい、という想い。
 この世界に来て、どれほど生き、どれだけ悲しみ、いずれ何処へ辿りつくのだろう?

 と・・・。

 「……おい。」

 ・・・・?

 「おい。」

 誰・・・?
 でも、ごめん。もうちょっとだけ待って。
 今は、まだこの思い出に浸っていたい。
 もうちょっとだけ、この『場所』で微睡んでいたいから・・・。

 「この………いい加減に、目を覚まさんか!!」

 ゴンッ!
 その音と共に、頭に走った衝撃。
 痛い!と思った瞬間、急激に意識が浮上した。






 「……………あ…れ?」
 「やっと起きたか。この馬鹿者が。」

 がばっ、と起きて辺りを見回すと、そこは見慣れた自分の部屋。どうやら横になっていたようだ。起きた震動で、ベッドが悲鳴を上げる。
 あまりの痛みに頭を抑えながら顔を上げると、横に立っていたのは、顔を顰めたルカ。どうやら自分の頭をド突いたのは、この男のようだ。

 「いッったいなぁー! 起こすにしても、もっと丁寧な方法があるじゃん!」
 「……先ほどから、何度も声はかけた。起きない貴様が悪い。」

 確かに、微睡みに身を任せている時からこの男の声は聞こえていた。しかし、頭をド突くよりもっとマシな方法はなかったのだろうか? 全身を突き抜けるような痛みは、最初の一瞬だけだったが、余韻も中々響く。
 と、ここで疑問。
 なぜ、こんなところにいるのだろうか? なぜ、同盟軍に在籍しているはずの自分が、このベッドで寝ているのだろうか?

 そう考えて、ふと先ほどのやり取りを思い出す。

 師に罵倒を浴びせた。掴みかかり、床に叩き付け、馬乗りになって・・・。
 いま冷静になって考えてみると、とんでもない事をしたと思う。何とも大人げないことをしたのかと思う。でも許せなかった。それでも彼女が許せなかった。
 『運命』という言葉で自分と恋人を引き離し、その結果、起こってしまった出来事を何一つ語らなかった彼女を・・・・。

 「貴様でも、あのような激情に囚われることがあるようだな。」
 「……うっさいなぁ。」

 思わず悪態をついてしまうが、これこそ完璧な八つ当たりだ。
 ごめん、と小さく言って溜息。

 「まぁ……私も”人間”だからね。」
 「…ふん。」

 素っ気ない返事にまた苦笑いして、まじまじと彼を見つめる。彼は「なんだ?」とでも言いたげに見つめ返してくるものの、それから特に何か言うことも部屋を出る事もなかった。
 彼にそう問わせてしまったのは、たぶん自分だ。彼の言いたいことは、何となく分かる。

 自分は、怒ることはあっても、それは上辺だけの事である。腹の立つ者に鉄拳制裁を加えることはよくあるものの、別段、本気で怒っているわけではない。主にノリでやっているだけだが、もちろん本気で殴るわけがない。自分が本気で怒って手を出そうものなら、殴られた相手は、たんこぶくらいでは済まないからだ。
 それは命を拾われて以来、たまにその拳を喰らっていたルカ本人も分かっているはず。だからこそ、彼はレックナートに掴み掛かる自分を見てそう問うてきたのだろう。本心を剥き出して声を荒げ、罵倒し、泣きながら彼女を責めた自分を見て。
 なまじ彼は、いつも軽口か冗談しか言わぬ自分しか知らぬゆえ、本心を見て驚いたのだろう。

 と、ここまで結論して、ベッドから立ち上がった。
 襟元を正していると、彼が腕を組みながら問うてくる。

 「……戻るのか?」
 「うん。達に『先に戻ってて』って言っておいたんだけど、転移使ったら先に着いちゃうかな?」
 「……俺が知るか。」
 「なんであんたは、そうやって素っ気ないかなぁ…。」

 ボヤきなから右手を掲げると、宙から光が落ち、床に波紋を広げた。彼に小さく笑いながら「迷惑かけたね。」と言って、その波に身を任せた。



 「………全くだ。」

 波紋の余韻から目を逸らしながら、ルカはポツリとそう呟いた。






 同盟軍の本拠地近くへ転移で戻り、暫く歩いていると正門が見えた。そこをくぐり抜けた時、はるか後ろから声がかかった。おーい! と手を振り走って来たのは、だ。

 「さん!」
 「あれ? あんた、いま戻ったの?」
 「はい! さんの方が、早かったんですね。」
 「あはは、そうみたいだね…。」

 と共にトランに向かっていたパーティーが、後続でぞろぞろやってきた。それを見て、思わず首を傾げてしまう。自分が抜けたはずのパーティーに、何故かが入っていたのだ。

 「……? なんで…」

 えっとそれは、と困り顔をしたのはだ。そして、その後ろからにタックルをかましたナナミが、その質問に答えた。

 「えっとね。さんが、ちゃんの代わりに入ってくれたんだよー!」
 「…そうなんだ。ごめんね、皆。途中で抜けちゃって…。」
 「いいよー! なにか事情があったんでしょ? あ、そうだ、それとねー!」

 話はまだまだ続くのか、早口になり始めたナナミを止めたのは、だった。

 「ナナミ。シュウに報告に行こう。」
 「えっ? えっ? あ、そうだね! それじゃあちゃん、また後でね!」

 さり気なく気を聞かせてくれたのか、彼はそう言ってナナミと共に城内に入って行った。その際「ごめんね…。」と呟いてみたが、彼は、少し寂しそうな笑みを見せただけだった。

 それから、に視線を向けた。彼は、静かに自分を見つめている。
 なんとなく、このまま見つめ合うのは避けたいと思い、「それじゃあ、またね…。」と一言置いて、城へ足を向けた。






 フリックとビクトールは、相も変わらず「酒場で一杯やってくる。」と言い、行ってしまった。ルックは、皆が城に入って行く後ろ姿を、静かに見つめていた。
 ふと、隣にが立っていることに気づき、そちらに視線を向ける。
 英雄と詠われた彼は、変わらない。あの頃から、何もかも・・・・・。

 と、彼がポツリと言った。

 「彼女……。今は、まだ……辛いだろうけど…。」
 「……何の話?」

 彼が、自分に聞こえるように呟いたのは分かった。それに素知らぬフリをして、あえて聞き返す。
 すると彼は、目も合わせずに言った。

 「昨日……あの場所に居たんだろ…?」
 「………。」

 彼は知っていた。あの夜、あの場所に自分がいたことを。
 二の句が告げずに黙っていると、彼は、まるで独り言のように呟いた。

 「…”あの人”が……いてくれれば…。」
 「……あの人?」

 今度は、本当に聞き返した。彼の言った”あの人”に見当がつかなかったからだ。
 だが、それに答えることはせず、彼は顔を伏せてしまう。

 「?」
 「…………。」

 どういうことだと睨みつけてみても、彼は何も答えない。それを見てなんだか苛々した。もどかしい。
 ギュッと拳を握っていると、やがて彼は、聞こえるか聞こえないかの声で言った。

 「彼女とテッド……その二人に共通している”彼”がいれば、と思っただけ…。」






 が去ったその場所で、一人立ち尽くしていた。
 彼の言った、”誰か”は分からない。胸には、チクリと棘が突き刺さる。

 「…………。」

 それを誤摩化すようにして、小さく、小さく呟いた。

 「僕には………………………関係ないよ。」

 俯いた視線の先には、拳を握りしめている自分の右手がうつった。