[友を訪ねて]



 ティンとに到着するまでには、一週間かかった。
 出発当初、そこまで時間をかける予定ではなかった。竜口の村までは順調に進んだものの、余り山に慣れていない者や体力の少ない者がその進行速度を落とす事となった。
 そして、ティントの前に竜口と虎口の村の間で、コウユウの義兄であるギジムという男と合流していた所為もあり、ティント到着にそこまでの時間を要した。






 ティントに到着して会談を終えると、市長グスタフによりゲストルームに案内された。
 皆、疲れているのかぐったりしている。
 は、出された冷たいお茶を飲みながら、に言った。

 「ねぇ、…。」
 「はい?」
 「あのさ……。」
 「どうしたんですか?」

 話しかけてはみたものの、どう切り出したらいいものかと口を噤む。
 会いたい人がいた。その人に会って話さなくてはならないことがあった。聞いてほしいことが沢山あった。
 そして、『彼』の気配は、このティント地方にあった。

 だから、戸惑いながらも続けた。

 「私……ちょっと、この街の南西方面にある村にね……その、行きたいんだけど…。」
 「え?」
 「だから、その……ちょっとだけ抜けてもいいかな…?」

 言葉が濁る。それ以上のことは言えない。何をしにいくのか、誰に会いにいくのか。
 すると、それまで黙って茶を飲んでいたルックが口を開いた。

 「クロムに行くのかい?」
 「あ、クロムっていうんだ。うん、そう…クロムに行きたい…。」
 「……何しに?」
 「…………。」

 珍しく質問を重ねてくる彼に、正直戸惑った。今の今まで放っておいてくれていたはずなのに、こんな所で追求されるとは思いもしなかったからだ。
 黙っていれば、それ以上は追求してこないかも。そう思っていた矢先、彼はそれを見破るよう静かに言った。

 「きみ……黙ってれば、僕が引くとでも?」
 「…………。」

 いつもお前は黙殺するだろうが。心の中でそう悪態をついてみるものの、今日の彼はそれで逃がしてくれないらしい。仕方ないので、出来うる限りの簡易化を計って答えた。

 「私の友達が、そこにいるんだよ。だから会いに行きたいだけ。」
 「……友達?」
 「そう。今、クロムって所にいるらしいんだよね。久しぶりだし、こっちに来たついでに……顔でも見せようかなって…。」

 それ以上、言うつもりはなかった。それで駄目だと言われてしまったら、夜中人目を忍んで会いに行けばいいだけだ。
 早く、早く、早く。そう思っていても、もう一人の自分が冷静にそれに歯止めをかける。

 すると、それまでルックとのやり取りを見守っていたが、困ったような顔をしながら「分かりました。」と言った。

 「え…?」
 「ちょっと、まだ僕の話は終わってな…」
 「いいですよ。さん、行って来て下さい。」
 「本当に、いいの…?」
 「っ、! 僕は、まだ…!」
 「クロムにいるって分かっていれば、大丈夫です。だから……。」

 横合いから邪魔をされたルックが盛大に顔を顰めたが、それに物怖じすることなくは了承してくれた。それに嬉しいような申し訳ないような気持ちになったが、ただ一言「ありがとう…。」と笑って部屋を出た。



 「……………。」

 は、彼らのやりとりをずっと静観していた。
 チラリと隣のルックを見れば、横から邪魔をされた挙句に彼女に逃げられてしまった為、顔に盛大に『面白くない』と書いてある。
 では、さて彼は、次にに対してどんな辛辣な台詞を吐くのやら。
 そう思いながら、出された茶をすすり成り行きを見守っていると、なんと彼は「……僕も用事が出来たから、ちょっと出てくるよ。」と言って立ち上がり、止める間もなく部屋を出て行ってしまった。

 ・・・・・・・・・。

 彼の行動に驚いたのは、だけではなかった。
 、ナナミ、ビクトールの面々も、目を丸くしてその場で唖然としていた。

 「…………ふぅ。」

 それを、ただ見送ることも出来た。しかし、それまでずっと彼女から『意図的に』距離を取っていただろう彼を見ていただけに、胸には一抹の不安が過る。
 自分も行った方がいいような気がする。そう考えて、静かに腰を上げた。
 三人分の視線を一身に受けることは分かっていたが、あえて素知らぬフリを決め込んで、に一言「ごめん…僕も…。」とだけ告げて、部屋を後にした。






 その場に残された面々は、それから暫く茫然としていたが、やがて顔を見合わせた。
 それもそのはず。それまで6人いたパーティーが、いきなり半分になってしまったのだから。

 「えっ……と…。」
 「ルックくんに、さんまで……どうしちゃったんだろ?」

 苦笑いすら出来ずに固まっている。状況を理解できないナナミ。
 その二人から視線を外し、ビクトールは、『理由は知らんが、あの三人があんな行動に出るなんて、よっぽどだな…。』と頭を掻いた。






 クロムの村へ着く頃には、すでに陽が傾いていた。
 あと少しで、世界は夜の匂いに染まる。
 村の入り口に入ったところで、目を閉じ右手に意識を集中させた。

 どこ? いま、どこにいるの?
 ・・・・・早く会いたい。

 そう念じて、『彼』の気配を探る。宿屋の方角だった。

 あぁ、そこに居るんだね。
 きっと、あんたは変わらない。
 あんたも、きっと、あの頃のまま・・・。

 宿屋へ向かって歩を進めようと、足を一歩踏み出した。
 その時、キ、と音を立てて、宿の扉が開く。

 「あ……。」

 長く身に受けていたはずの”流れ”が、その時だけは時を遅くした。スローモーション。
 そう感じたのは、自分だけ?
 会ってしまえば、きっと涙が止まらなくなる。再開までの、長くて短い刹那の合間。

 そこからゆっくりと出てきた人物を見て、思わず目を見開いた。
 自然と時が止まった錯覚に陥り、その場に立ち尽くす。

 やだ・・・・手、震えてる。

 懸念していた涙は、不思議と出てこなかった。その代わりに、どうにも捉え切れない感情が心を支配する。
 150年前と何一つ変わらない、あの頃のままの『彼』がそこにいた。
 恋人と同じ属性の呪いをその身に宿しながら、けれど決して逃げることはせず、戦いの日々を駆け抜けた『彼』が。
 全身を覆う、少しくすんだ赤いマントだけが、あの頃とは違っている。

 けれどそこには、確かに、今自分が一番会いたいと強く願っていた『彼』が居た。

 扉を閉めた瞬間に、彼と目が合った。彼は、驚いたように目を見開き立ち尽くしている。
 その姿に安堵する、自分。
 柔らかいタンの前髪から覗く、自分を見つめる静かなドジャーブルーの瞳。
 本当に変わってない。そう、私と同じように・・・。

 それが嬉しかった。そして寂しくもあった。

 「……………。」

 数秒、無言で見つめ合う。微笑んだのは、どちらからだったろう?
 言葉は、いらなかった。
 は、『彼』に向かって走り出し、思いきり抱きついた。

 そして『彼』も────────『』も、優しく自分を抱きしめてくれた。



 言葉など・・・・・・・・いらなかった。






 ルックは、ひたすら彼女を探していた。
 クロムに着いたはいいが、肝心の彼女の姿を逃してしまったのだ。
 適当に辺りを見回していると、すぐに彼女は見つかった。
 何も考えずに声をかけようとした所で、後ろから声がかかる。振り返れば、そこには

 「きみ……なにか用?」
 「気になったから……追いかけてきたんだ…。」
 「…っそ。」

 素っ気なく返事をして、すぐに彼女に近づこうとした。だが、に腕を取られて邪魔される。ムッとして振り返ると、彼は黙って首を横に振った。

 「……離してくれない? それとも、邪魔する気かい?」
 「違う…。けど……今は、まだ彼女に声をかけるべきじゃ…」

 そう言いかけて、彼は、ハッと彼女へ視線を向けた。釣られてそちらへ目を向ける。
 彼女は、宿の前で立ち止まっていた。そこから一歩も動くことはせずに。
 黙ってその後ろ姿を見つめていると、宿から一人の男が出てきた。少年ともいえず青年ともいえぬ、その狭間にいるような・・・・とでも言えばいいか。

 「…!?」

 その時。
 確かに感じた。
 『時』が、その指針を止めたような錯覚を、全身で。
 それが怖くなって、彼女を見た。彼女は、男を見つめたまま動かない。
 そして、男も彼女を見つめたまま動かなかった。

 と・・・。

 ここでが「あ…」と言った。

 「……なに? きみ、あの男を知ってるのかい?」
 「いや…。なんでも……。」

 その言葉がやけに気になって睨みつけたのだが、視線をそらされてしまう。
 すぐに目を戻した。すると彼女は、何かに弾かれたように男に向かって走り出した。そして、その勢いのまま抱きつく。
 だが、男は彼女をしっかりと受け止めた。そしてその腰に腕を回すと、強く強く抱きしめた。

 「……………。」

 それを見ているだけで、胸にモヤモヤしたものが込み上げた。
 隠れているのも忘れて、男を睨みつける。
 ・・・・・なんだか、酷く不愉快だ。

 彼女は、暫く男と抱き合っていたが、やがてどちらからともなく身を離した。そして、互いの頬に触れ合いながら、一言二言、言葉を交わす。
 その内容を聞き取ることが出来ずに、下唇を噛んだ。

 二人は、連れ立って村はずれの森へ入って行った。
 ルックとは、距離を取ってそれを追った。



 夜の帳が、下りようとしていた。
 世界は闇に飲まれ、ならせめても・・・と月が光を放つ。
 夜空に散りばめられた星々が、輝く涙をこぼしていた。