[懺悔]
「え…?」
「俺も………知っていたんだ。」
彼女は顔を上げ、目を見開いた。どういうことかとその瞳が問うている。
だから、ゆっくりと話し出した。
「随分と前になるんだけど…。バナーという村で、という少年に会ったんだ。」
「に…?」
首を傾げた彼女を見て、理解する。彼女は、やはりその少年に会ったのだ。どういった経緯で彼らが出会ったのかは分からない。けれど、それはきっと”必然”だった。
彼女が、視線を落として項垂れた。呼吸しようと小さく吐いた息が、震えている。
そんな彼女の頭を自分の胸に引き寄せて、目を閉じた。優しく、優しく労るように、その背を撫でながら・・・。
「彼と出会ったのは、宿屋の裏手にある池だった。それで、ちょっとしたきっかけで、彼の手に宿る紋章のことを知ったんだ。驚いたよ……。それは、テッドが持っていた物とそっくり同じものだったんだから。」
「彼に、テッドの話をしたんだ。どうしてきみがそれを持っているんだ? テッドはどうしたんだ? って。彼は驚いていたよ。どうしてテッドを知っているんだ? ってさ……。」
「そして、その時にきみのことを聞いたんだ。が、きみを探していると……。」
彼女は、また俯いた。その背を撫でながら、もう片方の手で、頭を撫でてやる。
思い出しているのだろうから。”彼”から宛てられた『最後の言葉』を・・・・思い出してしまったのだろうから。
「俺は……全部知ってた。きみよりも、もっとずっと前に…。」
「…。」
彼女を抱きしめながら、夜空を見上げた。
俺は知ってた。きみが、彼とずっと旅をしてきたこと。
理由は分からないけれど、きみが途中で彼と離れたこと。そして、きみが彼を捜していること。彼を、ずっと待っていたこと。
彼は、きみを待っている途中、の親父さんに戦災孤児として拾われたこと。そして、それからずっと影できみのことを待ちながらも、トランで生活をしていたこと。
そして・・・・・
「そして解放戦争が起こり、あの紋章をに継承し、その最中に命を落としたことも…………全部。」
もしかしたら、彼女の知らない部分まで話しているのかもしれない。するすると言葉を紡ぎながらそう思ったが、それでも良かった。彼女には知る権利があるのだから。彼の全てを知る権利を持っているのだから。
だから、続けた。
「、知ってるか? テッドの奴、親友が出来たんだ。俺、あいつに親友が出来ればいいなって、昔っから思ってた。でも俺の中のあいつは、ずっと150年前で止まってたから……大丈夫かなって心配してたんだ。でも、から話を聞いて、ようやく安心できた。彼が……あいつの親友になってくれたから…。」
「…っ………うん。」
彼女は、涙を零しながら頷いた。
「あいつは、あの呪いの所為で、人と関わりを持つことが出来なかった。でも、きみやアルドと出会ったことで……と出会えたことで………幸せを手に入れることが出来たんだって思ったよ。」
ゆるゆるとその髪を撫でると、ゆっくりと凭れてくる。
「テッドは、きみに愛されて……という友達が出来て……。」
「……違…う。」
不意に、遮るように彼女はそう言った。
「違う?」
「違うよ……違うの…。」
「何が違うんだ…?」
それまで凭れていた頭を上げて、彼女は立ち上がった。その涙に濡れた瞳に、轟々とした怒りを秘めて。
「そうだよ……私は、テッドを愛してたよ…。」
「…?」
「でも、私は………愛してたのに………それなのに、あいつから離れた…。」
それを聞いて、思わず顔を伏せた。
から大方の事情は聞いていた。だが、一つだけ分からないことがあった。『なぜ彼女は、彼から離れなくてはならなかったのか』ということ。
その理由だけが、どうしても分からなかった。
だから、静かに彼女の次の言葉を待った。
「私は………本当は、あの時代にいるはずのない人間だった…。」
「え?」
「私が本来いた時代は、時間軸は……あんた達と出会った300年代じゃないの…。」
「……なんだって? いったい、どういう…」
彼女の言うことが理解できなくて、眉を寄せる。
「私が、本来いた時間は…時代は、今から7年前だった。太陽暦453年…。私は、そこからあんた達と出会った300年代に、レックナートさんに飛ばされたんだよ…。」
「レックナート……だって…!?」
思わず、声を上げてしまった。彼女の言った『レックナート』という女性は、150年前の戦の時に、自分の前に姿を現していたのだから。
いったいどういうことだと問うと、彼女は、話し出した。
テッドと共に過ごした経緯。彼と離れなくてはならなかった”理由”。
そこから自分の時代へ戻った時に、なぜか旅に出る前より『5年』という時を隔てて戻されたこと。に出会って、ようやく5年という空白の意味、そして『真実』を知ったこと。
全てを語り終えた彼女を前に、顔を上げることができなかった。
そんな事情があったなんて、思いもしなかった。
時間を越えて、自分達が出会っていたなんて、そんなこと思いも・・・。
彼女は、自分に背を向けて続けた。
「今、何を言っても……もう全部過ぎたことだよ。それはよく分かってる……分かってるんだよ…。でも、私は………レックナートさんを許せなかった!」
「……………。」
黙って、その後ろ姿を見つめる。ゆらりと芯がないような動作で、彼女は振り返った。その背後に見える月は、恐いほどに大きく、哀しいほど冷たい色に輝いている。
彼女の瞳は、絶望と後悔に染まっていた。
「あの人は、言ったんだよ。運命が私達を遠ざけたんだ、ってね。そして、それを乗り越えろと言ったんだ。あいつの死を……乗り越えろと…!」
「分かってたよ。彼女に当たったって、もうあいつは帰って来ない。もうテッドに会えないって……。でも…でも、許せなかった。何もかも運命のせいにするなんて……運命が決めたことだから諦めろなんて…忘れろなんて! でも違う。本当は違う。それ以前に………私は…………。」
『自分を許すことが、出来なかった』
彼女は、静かにそう言った。
「アルドが逝った時も、テッドが逝ったと聞いた時も……私は、助けることも、何かしてやる事も出来なかった。だから、私は考えたよ。なんで彼らと出会えたのに…なんで何も出来ないまま………死なせちゃったのかって…。」
その心の奥底。それより更に深い谷底から這い出る、後悔という叫び声。
この150年の間に、彼女は、なんて哀しい瞳になったのだろう。
ずっとずっと、彼等の死を一人で抱え込み、自分を責め続けていたのか?
誰にも言えず、思い出すことでしか、その責を背負い続けることが出来なかったのか?
じっと、その瞳の奥を見据えた。
感情を抑えられなくなったのか、彼女は声を荒げ、怒鳴り散らした。
「私は…! 何も出来ない自分を………無知に甘んじて生きてきた、自分という存在を許せない!!」
「…。」
「なんで、私じゃなくてアルドやテッドが、死ななきゃいけないの! なんでッ!?」
「やめろ………。」
「あいつらじゃなきゃ駄目だったなんて、嘘だッ!!私が……私が………!!!」
「!!!!!」
泣き叫ぶ彼女の腕を力づくで引き寄せ、抱きしめた。そして、震えるその背を優しく撫でてやる。それしか出来なかった。
それで落ち着きを取り戻したのか、彼女が肩に凭れてくる。まだ震えは収まらないようだったが、我を取り戻したようで、聞こえてきたのは小さな嗚咽。
「…。彼等が、今のきみの立場なら、たぶん……きっと、きみと同じことを考えると思う。俺だって、きっとそうだ…。」
「っ………ッ……。」
「でも…、もう二度と、そんなことを言わないでくれ。止むなく置いて逝かなければならなかった彼等の気持ちを……察してやってくれ。」
「……気持、ちを…?」
「そうだ。もし、きみが彼等の立場なら……どう考える?」
そう問うと、彼女が目を伏せた。
だが、ゆっくり視線を戻したところを見ると、その意図は伝わったようだ。
「そうさ。彼等は、きっときみの幸せを願う。」
「………。」
「そして、きみは、彼等に愛された者として………彼等の願いを叶える義務があるんだ。」
「私…は……。」
「すぐに乗り越えろ、なんて彼等は言わないさ。でも…いつかはそれを越えて、きみが彼等の分まで幸せになることを……アルドもテッドも、きっと願ってる。」
俺も含めて、と言うと、彼女は唇を噛んだ。それが涙を我慢するためのものだと、は知っていた。だから慈しむように、その瞳を見つめて言った。
「…。涙を我慢する必要なんてない。人を想い、愛し、泣く事が出来るきみを……俺達は好きになったんだから。」
紡ぎ贈った、許し。
それが、彼女の中の枷をどれだけ外してくれるのかは、まだ分からない。けれど、それが今の自分にできる精一杯だった。
それは、きっと『全て』ではないだろうけれど。それは、すぐに無くなることは決して無いだろうけれど。
それでも、彼女の心を縛り苦しめる”自責”という苦しみの鎖が、少しでも軽くなることを祈って。・・・・願って。
彼女は、涙を流し、崩れ落ちた。
そんな彼女を抱きしめて、ずっとずっと、それこそ彼女が泣きつかれて眠るまで、はその背を優しく撫で続けた。