[想いを秘めて]
二人が森に入って行った後、ルックとはその後を追った。相手に気配を悟られないよう、見失わない程度に距離を空けて。
その二人分の後ろ姿を見ながら、ルックは、胸の内から湧き出る奇妙な感覚に顔を顰めていた。
いったい何なんだよ、この感覚は。
なんだか気持ちが悪い。吐き気がする。
そんなドロドロしたものが沸き上がる自分に、嫌気がさす。
苦しくて辛くて、もやもやする。
・・・・・・痛いんだ。
それに、なんだか悔しい。
・・・・悔しい? 僕が? いったい、なにが悔しいんだ?
あの男とは面識もないはずなのに。初めて見たばかりなのに。
本当に・・・・・・・・何なんだ。
自分が、分からなくなりそうだった。
それまで、彼女に出会うまでまったく無かった”感情”に戸惑う。理解不能な『それ』を、何とか分析しようと考える。
しかし、焦りや苛立ちが先に立ち、それを理解するまでには至らない。
「ルック…大丈夫…?」
「…………。」
は、ルックに声をかけてみた。しかし返答はない。
前を歩く彼女達から視線を外して、は驚いた。隣を歩く少年が、いつもの無表情を取り払い、とても哀しそうな寂しそうな顔をしていたからだ。その視線は足下に落ち、眉を哀しげに落とし、唇を噛みながら胸元で手を握りしめている。
『関係ない』『どうでもいい』『興味ない』と物語る顔しか見たことがなかったため、流石に驚きを隠せなかった。
だから、自然と理解した。
『そうか……。きみは………彼女のことを…。』
そう思った。だが同時に、心配した。
いや・・・だからこそ、この少年の心が気がかりだった。
少年が想う彼女には、恋人がいた。そして、その彼女の恋人が、この世にいないことも────魂だけが、己の右手に宿る呪いに捕われている。
あの夜。
彼女を”彼”の眠る場所に案内し、言葉を伝えた。彼の最後の言葉を。
きっと彼女は、そこで一晩泣き明かしたのだろう。
けれど翌朝、彼女の目を見てわかった。彼女は、”彼”を、これからも変わらず愛し続けるのだろうと。
その瞳に垣間見えたのは、揺るぐことのない決意。決して壊れることのない、誓い。
それは、とても強く見えて・・・・・・・また儚かった。
もう存在しない者を愛し続け、求め続ける。
そして、いま自分の隣を歩く少年も、それをどこからか聞いていたはず。愛する者に残された悲しみに暮れながら、彼女が、新たに立てただろう誓いを。
だからは、ルックのことが心配だった。
適わない・・・・・・・叶うはずのない、恋。
彼女がどれだけ追い求めても、もう二度と”彼”には会えない。
そんな彼女をどれだけ追いかけても、その瞳が少年を見つめることはない。
例えその手を取ったとしても、彼女はそれを振り払い、また”彼”の幻を追いかけていく。
だから、終わらない。
それは、まるで円を描くように。果てもなく回り続ける。
誰も幸せを掴むことのできない、そんな恋なのだ。
それを想い、とても哀しくなった。
自分も置いていかれる悲しみを知っている。そして、それを未だに清算できずにいる。
それでも彼等のことを想うと、どうしようもなく胸が痛かった。
気がつくと、前を歩く男女は小川の縁に座り込み、話し始めていた。
我に返って隣を見れば、ルックは、もう話を聞き始めているようで木陰に身を隠している。
「……きみ、何やってるのさ?」
「あ、あぁ、ごめん………ちょっと、ね…。」
手招きする彼に近づき、彼女達の会話に耳を傾ける。
本当は、こんなことをしてはいけないと分かっている。けれど正直、あの一件の当事者として、また彼等を心配する者として思う所があった。
心のなかで詫びながら、ルックの隣にしゃがみ、黙ってその会話を聞き始める。
「変わりは……?」
「うん…………そっちは…?」
「俺も……何も変わらないさ。」
ぎこちない会話。どこか辿々しい。
隣の少年が、それに小さく舌打ちするのが聞こえたが、はそれを制することなく、ただ耳を澄ました。
それから、彼等の話は、少しずつ進んでいった。
彼女が男のことをを『』と呼んだのを聞いて、ルックが「ふーん、って言うんだ…。」と呟いている。
二人は、どうやら昔話で盛り上がっているようだった。彼女の隣に座るを見れば、小さく笑いながら話をしている。
そうしている内に、彼の話が終わったようだ。
次に話すのは、彼女。だが、は何も聞かない。
ルックが、それに訝しげな表情をよこしたが、は黙って頭を振った。
静寂が辺りを包んだ。
スッ、と空気が揺れる。
「…………アルド……は…?」
躊躇するよう彼が問うたことに、は気付いていた。だが、その口から出た名に憶えがなく、僅かに首を傾げる。隣にいたルックも同様に、僅かに眉を寄せていた。
だが、その質問を受けた瞬間、彼女の肩が震えたことに気付いた。それは戸惑いや恐怖といった、様々な感情を表しているようにも見えた。
彼女は暫く躊躇していたが、やがてポツリと言った。
「アルドは……………ソウルイーターに……。」
もルックも、思わず息を飲んだ。
ルックは、目を見開いて彼女を見つめた。思い出してしまったからだ。
以前、彼女から聞いた昔語り。その時に、その名前を聞いた覚えがあったのだ。
『親友が、不慮の事故にあい、自分達を残して逝ってしまった』と。
その時は、まったく考えていなかった。その可能性など・・・。
けれど、彼女は、いま、何て・・・?
ソウルイーターに・・・・?
その、先は・・・?
誰に聞かずとも、震える彼女を見ていれば、自ずと理解できる。
きっと、アルドという男は、ソウルイーターに・・・。
そうだ。
彼女の恋人が、にそれを継承する前に身に付けていたではないか。それなら、その可能性があったとしても、おかしくない。
しかし、彼女は、あえてそれを『不慮の事故』と言っていた。きっと、それは間違いではなかったのだろう。あの紋章の呪いを知る者ならば、そう言わざるを得ないことも。
あの忌わしい呪いは、宿主の意思とは関係なく、近しい者の魂を喰らうのだから。
も、己の耳を疑った。
今は亡き親友から、彼女の話は聞いていた。けれど、アルドという人物は知らない。
だが、彼女のその一言で、その人物がソウルイーターに取り込まれたということだけは分かった。己の親友が、以前の”それ”の持ち主であったのだから・・・。
そして、分かっていた。彼女が、真なる紋章を所持しているだろうことも。親友が教えてくれたのではない。あの『魂食い』と称される紋章と共に生きていける者は、きっと、同じく真なるそれを持つ者しかいない。
は、が、次に何を問うのかすら分かってしまった。
「……………テッドは……?」
彼女の肩が引き攣ったのを、見逃せなかった。
その体は、先よりも更に震えを増している。そして、彼の拳が震えているのも。
それは、瞬きのような時間だったのかもしれないし、意識が遠退くほどの時間だったのかもしれない。それがどれほどの沈黙だったのか、きっと誰にも分からない。
そして、長らくその場を支配していた沈黙を、彼女がポツリと破った。
「……………………ごめん。」
たったそれだけの一言が、彼女の心の全てを表していると思った。
顔を上げれば、視線の先でボロボロと涙を零している姿。彼がそれをすくい上げても、その涙は止まらない。彼女は、震える手で彼の左手を取ると、今までずっと胸に秘めていたであろう言葉を口にした。
「ごめ…っ……私……………あんたとの約束……守れなかっ…!」
途切れ途切れに紡がれた、その言葉。見れば、彼も泣きそうな顔をしている。
は理解した。彼女は、きっとそれを伝えるために彼に会いに行ったのだ。その『約束』が、どういったものかは分からなかったが。彼女は、ただそれだけを伝えに・・・。
そんな彼女を抱きしめて、彼は言った。
「俺も………知っていたんだ」と。
「随分と前になるんだけど………バナーという村で、という少年に会ったんだ。」
その言葉に反応したのは、隣のルックだった。
彼は「どういうこと?」と一瞥してきたが、静かに首を振ってみせる。
「、何を隠して…」
「もう戻ろう…。」
言葉を遮ると、彼は酷く不快そうな顔をした。
「ルック、ここから先は……。もう充分だろう? 僕らは戻ろう…。」
「……なに言ってるのさ。」
「僕と一緒に戻るなら……教えるよ…。」
「……………。」
渋々と言った顔が、彼の了承の意。は、今来た道を引き返した。
彼女達に一瞬だけ視線を向けて、ルックもその場を後にした。
「以前バナーの村で、きみ達と再開するよりもっと前に、僕は彼に会った。」
「……あのって奴かい?」
「うん。」
ティントへの帰り道、話した。
「その時、ドジを踏んで……それで彼に、ソウルイーターのことがバレてしまったんだ。」
「……随分と間抜けなことだね。」
「確かにね…。……でも驚いたよ。彼に、なんできみがソウルイーターを持っているんだ? って聞かれたから…。」
「……ふーん。」
「正直、混乱した。だって彼は『テッドはどうしたんだ?』って聞いてきたから…。」
ここで、ふと言葉を区切る。
あの時、の持つ呪いのことも本人から聞いていた。しかし、それをルックにするべきか否か迷ったのだ。
ふと視線を上げれば、目が合った。なんとも訝しい、とでも言いたいような目だ。
結局、の呪いのことには触れずに、それから先の話を続けた。
話し終えると、彼は視線を外して「…ふーん。」と言った。
それで良かった。いつもはどんな事にも無関心で無表情を通す彼が、最後まで黙って話を聞いてくれたのだから。
彼は、一言「疲れた…。」と言った。苦笑しながら「先に戻ってて良いよ。」と言うと、それに返事をすることもなく、彼は呪文を唱えた。だが、光に包まれたのは彼だけではなかった。自分も眩い光に包まれたと思った矢先、目をつむるのもほんの一瞬で、それはやんだ。
目を開けると、そこはティントで宿泊している部屋の前だった。目を丸くして彼を見つめていると、「…気まぐれだよ。」という、バツが悪そうな言葉。
それに何も言えずに唖然としていると、彼は、割り当てられた部屋に戻って行った。
「ルック……。きみは、変わったね…。」
解放戦争時の彼を知っているからこそ、その変化を感じた。
「…僕は………きみの想いが届くことを…………祈ってるよ。」
右手に宿る紋章が、僅かに光を発した。