[傍にいてあげて]
彼が「ティント地方を出る」と言ったので、は、ティントへ戻ることにした。
朝食を終えて食後のお茶を楽しんだ後、どちらからともなく席を立つ。彼は、簡単な旅荷を肩にかけて、色褪せたマントを羽織った。
それを、じっと見つめていた。
「それじゃあ…、行こうか。」
「うん。街の外までは一緒だね。」
そう言って、互いに笑い合い、宿を出た。
「それじゃあ…。」
「うん。元気でね…。」
「きみも、元気で。」
「うん……ありがとね。」
向かい合い、名残惜しそうに互いの頬に触れ、別れの抱擁をする。心なしか、彼の抱きしめてくれる力が強い気がした。自分も、彼の首に回した腕にやんわりと力を込める。
それは、僅かばかりの時間だった。互いに身を離す。
と、何かに気付いた。
顔を上げると、その動作に違和感を感じたのか、彼も顔を上げた。
「?」
「……………。」
目をこらして、街の外を見つめる。大勢の兵士と、民と、そして・・・・
「敵か?」
「いや、あれは…………!?」
大軍の先頭を歩く少年を見て、驚愕する。
軍は、もうそこまでやってきており、もこちらに気付いたようだ。
「さん!」
「、何があったの!?」
「それが…」
途端、彼は暗い顔で俯いた。
その隣にいたルックが、彼に変わって「ネクロードにティントを占拠された。」と簡潔に述べる。そういえば、と、はこの地に来た目的を今更ながら思い出した。
目的は、二つあった。
一つは、ティントと同盟を結ぶこと。そしてもう一つは、ネクロードという吸血鬼を退治することだった。
そういえば道中、ビクトールが「今度こそ、あのクソ吸血鬼に引導を渡してやる!」と息巻いていたし、先日合流したギジムという男も『ゾンビに根城を襲われて壊滅状態になった』と言っていた。ということは、ティントが、そのネクロードに襲われたのか。
そう考えていると、が、困ったような顔をした。
「あんた、どしたの?」
「えっ、と……。」
彼は、自分の隣に立つが気になったようで、控えめに見つめた。
あぁ、そうか。彼とは初対面か。そう考えて、説明した。
「あー…。こっちは。昨日話してた、私の友達。」
「宜しく、くん。」
「あ、はい。宜しくお願いします。で結構です。」
切羽詰まっている状況ではあるが、軽やかな自己紹介を終えるのを見届けて、さっとに目配せした。『早く行け』と。
同盟軍は、現在、大量に仲間を集めている。150年前のあの頃のように。ということは、下手をすれば、までこの戦に巻き込まれてしまう可能性があるのだ。
だが、どうしても彼だけは巻き込みたくなかった。彼は、あの戦争で大役を見事演じきったのだから。だから、もうそれ以上戦いの中で傷つく姿を見たくなかった。傷つかせたくなかった。
だから、そうした。
その合図で、彼は自分の意図を受け取ったはず。頭の良い彼のことだ。自分の言いたいことを瞬時に理解したはずだ。
しかし、彼がそこから動く気配がなかった。動こうともせず、誰かと視線を合わせることもなく。じっとなにか考え込むように、その場に静かに立っていた。
「ちょっと、、早く行…」
そう言いかけた時だった。
それまで成り行きを見ていたが、彼にそっと近づいたのだ。
彼は、なぜこの場にがいるのかと目を丸くしている。
「あれ、…?」
「さん…。今は……彼女の傍に、いてくれませんか…?」
少年は、自分にしか聞こえない程度の声で、そう言った。
は、それにそっと目を伏せる。口元に手を当てて、考えた。
その間、彼は黙って答えを待っていた。
頭の中で考えを纏め、僅かに微笑んでから「分かった。」と返答すると、に向き直り微笑んでみせる。
「。俺も暫く世話になるよ。」
「…はぁッ!?」
それに対し声を上げたのは彼女だ。それまで「ティントを出る」と言っていた自分が、急に前言を撤回したのだから。
「ちょっ、……あんた、なに言っ…」
「いいんだよ、。」
腕を掴んで抗議する彼女に、優しく微笑む。彼女が呆気に取られている間に、に続けた。
「でも、。先に言っておくけど……俺は、戦争や戦闘には参加しないから。」
「えっ、……はっ?」
全く悪意なく言い退けると、彼は「えッ、と…」と戸惑いを見せたが、援護するようがその肩を叩いた。
「さんは……同盟軍に力を貸す、というワケではないから…。」
「ちょっと、! あんたまで、なに言…」
「俺は、の傍にいるために、同盟軍に厄介になるってことさ。それに……本当は、きみを置いて行くのも、正直どうかと思ってた。でも、が口実を作ってくれたんだから、ありがたいよ。」
「でも、私は…」
「それに、このまま、きみを置いていってしまったら……”あいつら”に怒られそうだからさ。」
手を取って、がそう言った。
は、それがとても嬉しかった。次々と無くしていく自分にとって、昔から自分を知る人は、もう彼しかいないのだから。
そしてそれは、彼も同じことだった。あの頃から考えれば、たった二人だけになってしまったのだ。
嬉しくて申し訳なくて、甘えているようで、思わず顔を伏せた。彼は、全く気にしていない素振りをしながら、頭にポンポンと手を乗せてくれる。
どうしようもない感情にとらわれて、思わず飛びついていた。『ありがとう』という気持ちを込めて。彼は、それを優しく受け止めてくれた。
それを見ていたは、静かに微笑んでいた。
は、複雑そうな顔をしていた。
そしてルックは、盛大に顔を顰めていた。
背を向けていたは気付かなかったが、には、彼等の表情がとてもよく見えた。思わず苦笑がもれる。三者三様だなと。
同時に、彼等が彼女を心配してくれている人達なのだと知り、嬉しくなった。しかし、やや嫉妬の念のこもった視線を受けたため、早々に彼女から身を離した。
「さん。先に、本拠地に戻っていて下さい。」
「へっ…?」
なぜ、彼がそう言ったのか理解できなかった。元々、今回ネクロード退治に参加するために自分は選ばれたはずだ。それを、僅かながらも私情で抜けていたとはいえ、帰ってくれと言われるのは納得できない。
「ちょっと待ってよ! なんで、私が抜けなきゃ…」
「……うるさいよ、。の言葉に甘えておきなよ。」
それまで静観していたはずのルックが、ポソリと言った。彼がそんなことを言うのは、非常に珍しいことだ。だがは、絶対に首を縦に振らなかった。こんなの納得いかない。
すると、が前に出た。
「ネクロードを追う人達が、2人……新たに仲間になったんです…。」
「新たにって…?」
の言葉を受けて、がその2人を呼んだ。人を分けて出て来たのは、いかにも”吸血鬼退治”を目的としていそうな男カーンと、吸血鬼の始祖であるシエラという女性。そして彼女は、真の紋章の一つ『月の紋章』の正当な継承者である、という説明も受けた。
「月の……紋章…?」
「え、ちょっ、ちょっと……シ、シエラ!?」
真の紋章と聞いて、眉を寄せた。が、それを遮るようにが声を上げり。どもり過ぎなほど驚いた声を上げて。
彼は、シエラと名乗った女性に駆け寄ると、その手を取った。心なしか、顔が綻んでいる気がする。
「シエラ、久しぶり!」
「む? おんし、か? 久しいのぅ……変わりはないかえ?」
「あぁ。あの時と、全く変わらないよ。」
どうやら、目を丸くしているのは、自分だけではなかったようで・・・。
や、それにルックまでもが『いったい何なんだ?』と言わんばかりに、その光景を見つめていた。それが全く目に入っていないのか、彼とシエラは、何やら話している。
「えっと…。、この人と知り合いなの?」
「えっ? あ、ごめんごめん。まぁ…知り合いといえば、知り合い…だな。」
「ふん。こやつは、わらわの1の従者じゃ。」
答えになっているのか、いないのか。シエラの答えに、が困ったように笑った。
リーダーであるが呆気に取られ口を開けているのを見て、『駄目だなこれは』と思ったのか、が話を戻す。
「さん……。あなたは、彼と共に、本拠地へ戻って下さい…。」
「だから、なんで私が…」
「…あなたは、今……………心を癒すべきです……。」
諭すようそう言った彼に、何も言えなかった。
「もルックも、そしてさんも………あなたの事を心配しているんです…。」
「…分かってるよ。でも、やっぱり私は…。」
彼らの気持ちは、よく分かった。だが『仕事は仕事』と思っている気持ちも相まって、中々『応』と答えることが出来ない。いくら仲間が沢山集まったとはいえ、は、自分を対ネクロード戦に選んでくれたのだ。その気持ちに答えたいのが、本心だ。
だから、自分なりに妥協案を示してみた。
「…分かった。皆の言葉に甘えて、少しだけ休養するよ。約束する。でも……この戦いは抜けたくない。」
「はは。きみは、相変わらず、変なところで頑固だなぁ…。」
困ったようにそう言ったのは、。彼は、全くしょうがないなと笑っている。
彼がせっかく傍にいてくれるのだから、せめて自分のやるべき事はやろうと思った。それが皆の気持ちに応える、自分に出来る精一杯だったからだ。
皆、ほんとうにありがとうね。そう言うと、彼等はそれぞれ違った反応を見せた。
「……あなたが………そうしたいのなら……。」
「いいんです。さんがいてくれたら、凄く助かりますから!」
「………まぁ、いいんじゃないの? やりたいなら、勝手にすれば?」
もう一度、心の中で『ありがとう』と呟く。
すると、それまでニコニコ笑っていたが、ふと真面目な顔になって呟いた。
「もシエラも行くのか…。それなら、俺も行こうかな…。」
「は?」
表情を一瞬で戻して、またニコニコと微笑みながら、彼は大きく伸びをした。ついさっき『戦争にも戦闘にも参加しない』と言っていたではないか。その感情をそのまま顔に出すと、彼は「これ一度きり、な。」とまた笑った。
あぁ、彼はそれでも傍にいてくれるというのか。こんな自分の為に。
情けない顔をしているのが、自分でもよく分かった。
だが、が気になった。
視線を移すと、その意図を取ったのか、彼は静かに・・・
「……大丈夫です。僕にも……傍にいてくれる人が、いるから…。」
だから一人じゃないんです。そう言って、彼は静かに微笑んだ。
それを聞いて、少しだけ安心した。皆それぞれ心を支えてくれる者がいる。それは、とても幸せなことなのだ。
もう一度「ありがとう。」と言った。
今は、何より『言葉』として伝えたかった。
翌日。
身支度を終え、早々に一階に下りると、すでにパーティーメンバーは集まっており、後は出発を待つのみ。どうやら、昨夜のうちに部隊の編成や駐屯組への指示は終えていたようで、がシュウと何やら話していた。
メンバー全員が集まると、彼は号令をかけた。
「それじゃあ、パーティーには、僕、ビクトール、さん、さん、さん、ルックの6人で………同行者は、シエラさんとカーンさんで良いですか?」
「よっしゃ!! 今度こそ、ネクロードのクソ野郎に引導を渡してやるぜ!!」
「…そうだね……今度こそ…。」
「ちょっと、ビクトール! 張り切るのはいいけど、こっちに唾飛ばさないでよね!」
「あー! こんなに大人数で行動するなんて、もの凄く久々だな。腕が鳴る!」
「……とりあえず、とっとと出発しない? いつまでここにいるわけ?」
「殿、宜しく頼む。」
「ふふん、楽が出来るのう。」
彼の言葉に、それぞれ意気込みを口にして、一行はティントへ出発した。