[運命の旅路へ]
月日が経つのは、実に早いもので。
が創世の紋章を宿してから、更に一年が経過していた。
この一年。
紋章に慣れるため、ルックに付き合ってもらい、毎日毎日、紋章術の練習をした。
練習と言っても、それは、体内を流れる魔力に自らの意識を同調させていく、といったもの。それが自然と身に付くまでは、あえて流れに逆らうようなことをせず、辛ければ眠り(家事はぜんぶルックに押し付けた)、調子の良いときには塔の外にでて瞑想をする(やっぱり家事はぜんぶルックに押し付けた)というもの。
しかし、もともと魔力を微塵も持たなかった人間が”それ”に慣れるには、相当な努力が必要だった。
ようやくそれにも慣れた頃、ルックに「まずは、転移魔法を覚えてもらうから。」と言われた。なぜ、いきなり転移魔法なのかと問えば、彼は「買い物。」とただ一言。それで意図を取ったは、一人で完璧に転移を使えるようになるまで、ルックの厳しい指導の下、ただひたすらそれを繰り返し練習した。
転移魔法浸けの毎日だった。
転移を完璧にマスターした後は、五行の紋章を使った練習を行うようになった。
それらは、ルック程とまではいかないものの、人並みには使用できるようになった。
五行の紋章を扱うにあたり、ルックに「…土紋章との相性が、相当良いみたいだね。」と言われた。その時の彼は、非常に、ひっじょーうに不愉快な顔をしていたが・・・。
この世界へ来た当初、レックナートに「貴女は、全く魔力がありません」と言われていた為、自分が真なる紋章を宿したとしても、それ意外の紋章は使えないのではないかと、ずっと危惧していた。
しかし、真なる紋章を得たことで、その絶大な力によって、今まで全く持っていなかった”魔力”というものを、強制的にその身に受け巡らせることとなった。
もちろん、”強制的”というのだから、それなりの苦労があった。
初めは、体内を駆け巡る、慣れない魔力の違和感から常に苛立ち、それを抑える為に自室に閉じこもっていた。
紋章は、使用もしていないのに淡い光を放ち続ける。
魔力の違和感と、全身を覆われる不安が、極限までの精神を追いつめた。
人間は、苛立を感じると他の何かに当たろうとする。それは、本人の気付いていない所でももちろんのこと。
理性と本能の戦いにおいて、結果として、後者に軍配が上がることの方が多い。
だがは、それを誰かにぶつけたくなかった。その為、何日も何日も自室に閉じこもり、ずっとベッドで丸まっていた。
それを見越していたのか、レックナートが、ルックに食事を持たせて部屋の前に置いてくれた。その際「食事、ここに置いておくからね…。」という静かな兄弟子の一言に、何度助けられたことか。
彼は、下手に部屋に入っては来なかった。それに何度も何度も感謝した。部屋に入って来られたら、苛立ちが常に極限まで達していた状態では、何をしてしまうか分からない。
来る日も来る日も、ひたすらに、ただただ紋章の力と戦い続けた。
そんな、とある日。
目を覚ますと、違和感と恐怖が嘘のように消えていた。右手を見ると、発光も治まっている。
魔力が落ち着いたのかと思い、ベッドから起き上がってまじまじと紋章を見つめると、そこには、光を収めた創世の紋章の模様だけがくっきりと刻まれていた。
光が消えたのを見て、確信した。この紋章の”魔力”という違和感を、自分は乗り越えられたのだと。自分は抑えることが出来たのだ。この紋章の力を。
幾日も、ずっと耐え続けた。体内に駆け巡る、生まれて始めて身の内で蠢く魔という力に。身も心も外から内から支配されそうで、壊されてしまいそうな感覚だった。
それに、耐えきることが出来た。
それらの経験は、に”自信”を与えた。
部屋を出て、直ぐさまレックナートの元へ向かった。久々に会った彼女は「乗り越えられたのですね。」と、少しだけ表情を緩めた。
今まで部屋に閉じこもり、家事をおざなりにしていた事を詫びると、彼女は「そうなる事は分かっていました。気にする必要はありません。」と言ってくれた。
それから次に、ルックの部屋へ向かった。そして、閉じこもっている間に食事を置いてくれてありがとう、と深々頭を下げて礼を言った。
いつものような毒舌が返ってくる事を予想していたにも関わらず、彼は「…少し痩せたね。今から何か作るよ。」と、まるで天地がひっくり返るようなことを言った。
暫くそれに唖然としていると、彼は「…頑張ったみたいだからね。今日は、優しくしてあげるよ。」と言った。
は思った。
自分は、レックナートとルックに支えられて、今ここにいるのだと。
彼女達がどう思っていたとしても、自分の中で、彼らはもう『家族』なのだと。
知らず涙が零れ落ち、暫くその場で泣きじゃくった。
それらを乗り越え、紋章術も、ある程度扱えるようになった頃。
レックナートに呼ばれて、主の部屋の扉を叩いていた。
「お入りなさい…。」
「レックナートさん、用事って…?」
彼女は、いつものように瞳を閉じたまま、正面に立っていた。ここ一年、自ら彼女を尋ねることはあっても、彼女から呼ばれたことはない。
ちなみに、創世の紋章を宿してからというもの、あの『重圧』を身に受けることはなくなった。何故だか分からないが、師が言わないのだから、知る必要もないのだろう。
まだ何かあるのだろうかと考えていると・・・・。
「…。貴女は、紋章を……そして、力を使えるようになりました。」
「はい! レックナートさんと、ルックのおかげです!」
力強く頷くと、彼女がめったにない笑顔を見せた。しかし、それも束の間だった。
いつもの無表情な顔つきに戻ると、心持ち俯いた。それにただならぬものを感じる。彼女が、なにか焦っているように見えたからだ。
「…。今の貴女が持たぬもの。貴女に今、必要なもの……それは経験です。」
「経験…ですか?」
「はい。貴女は、確かに紋章の苦難を乗り越えました。しかし、その紋章の力を完全に理解し、制御し……そして、支配できるようになる為には、経験が不可欠なのです。」
「…はい。」
彼女の言いたい事が、ようやく分かった。
そして、自分に足りないものが、確かに彼女の言う通りのものであると。
この世界に来て、早二年。
この二年の間に、様々な知識を吸収し、取り込むことは出来た。
しかし、買い物のためにグレッグミンスターを訪れる時以外は、ほとんどをこの塔の中で過ごしていた為、まるで世界を知らない。
そう考えていると、彼女は、次にとんでもない事を言い出した。
「……。貴女は、旅に出るのです…。」
「はい、確かに私もそう思………、って、えぇッ!? ちょっと待って!!」
「ここに、ルックに言って作らせた、旅に必要な物が入っています。」
「ちょっ、ちょっと待って下さい! なんか展開早くないですか!? それに、用意周到すぎじゃないですか!? ってかてか、今からすぐに出発しろと!!?」
衝撃発言による超展開に、驚きを隠せない。慌てるしかない。
対する師は、耳を貸さぬばかりか、淡々と話しを進めていく。
「時間が無いのです…。本来ならば、もう少し早く、貴女を旅に出していたはずなのですが…。歯車が動き始めているのです。そして、その下に集うであろう星達は、すでに貴女を待っています。」
「ちょっ、歯車? 星達って…?」
「歯車は回り、星は、静かに貴女を待ち続ける…。」
「私を…?」
超展開+抑揚のなく言葉を紡ぎ続ける師を見ながら、首を傾げる。もうパニックだ。
しかし・・・・。
運命の歯車。なんとなく、彼女の言いたい事が分かった。きっと何かが起こるのだろう。
だが、星達? それは、何を指すのだ?
それを問う前に、レックナートが自分に右手をかざし、呪文を唱え始めた。慌てて待ったをかけようとするも、それすら許さぬように、彼女はこう言った。
「貴女の旅に出る目的…。それは、真の紋章を持つ者たちと”共鳴”すること。紋章を持つ者は、”宿命”という繋がりによって、自ら貴女の前に姿を現すでしょう。……どうか貴女に、紋章の加護があらんことを…。」
「あっ、ちょっ、待っ、待ってくだ……!」
待ったをかける間もなく、光に飲み込まれた。
「……貴女と、貴方の紋章が背負う”宿命”。それは、とても過酷で残酷で……時に無慈悲に思えてしまうかもしれません。ですが………それが貴女に経験と、その心に強い慈悲をもたらしてくれるでしょう…。」
光の消えたその部屋で、レックナートの呟いた言葉だけが、静かに響いた。