[暗殺者]
転移の光から抜けて、すぐに目の前の扉を勢い良く開けた。
つい先ほどまでは、主しかいなかっただろう部屋は、テーブルや椅子がただの木屑と化し、本棚やベッドの端には所々焼け跡。どう見ても、火の紋章を使用した後だ。
視線を上げると、そこには服の裾を焦がした。そして、褐色の肌に並々とした金髪を揺らした、エキゾチックな少女がいた。
は、少女と対峙するようにトンファーを構えていたが、自分達に気付くと声を上げる。
「さん!?」
「、大丈夫か?」
彼に問うたのは、だ。
そんな二人にお構いなしに、は、褐色の少女をじっと見つめていた。少女を見た瞬間『知っている』と思ったからだ。しかし、やはり名前が出てこない。
ここまで記憶が朧げになるなんて、と、場を無視した感想を抱いていると、少女が舌打ちした。そして身を翻し、窓を破って逃げようとする。
だが、先を見越していただろうが、双剣の片割れを投げてそれを阻んだ。そして隙をつき、その背後に回りこむと、一言。
「済まない。」
「ッ…!?」
少女が腰にはいていた短剣を抜く間もなく、彼の声とともに崩れ落ちた。彼が、もう一つの剣の柄でその首を打ったのだ。
少女を抱き上げた所で、ようやくが動き出した。が呆気に取られている中、少女をじっと見つめている。
すると、騒ぎを聞きつけたのか、ビクトールとフリックが部屋へなだれ込んできた。
「!!」
「何があった!?」
あっという間の終劇に、目を丸くしていた。
見た事もない服を纏った少女を抱き上げている、。
そして、その少女をじっと見つめて考えに浸る。
事が終わったのだろうと理解は出来たが、部屋の惨状を見るに、相当な規模の戦闘があったはず。二人は、まず全員の無事を確認してから、に問うた。
「、いったい何があった?」
「この女は…?」
「……暗殺者だな。」
彼等の問いに答えたのは、。その言葉に、が目を伏せた。
「暗殺者…?」
「あぁ。この部屋の惨状を見れば、分かるだろ?」
訝しげなビクトールに、は淡々と答える。
そして、ずっと気になっていたのだろう疑問を口にした。
「言おう言おうと思ってたんだけど……ここの警備は、甘過ぎないか?」
「なっ…」
「しかも、彼はリーダーなんだろ? その彼の部屋に警備もつけないなんて……ずっとおかしいと思ってたんだ。」
「………。」
はっきりと言い切ると、ビクトールは怒りの声を上げ、フリックは悔しそうに眉を寄せた。だがそれは正論であり、確実に同盟軍の甘さと弱点を突いている。
は続けた。
「それに、駆けつけるのが遅い。俺達が来た時から、こんな状況だったのに…」
「。」
淡々と顔色を変えずに言って退ける彼を止めたのは、それまで、ずっと侵入者の顔を見ていただ。
・・・・・彼の言うことは正しい。彼は、いつだって絶対的で、その言葉はいつだって的確だった。だが、それ以上彼らを追いつめる必要もない。リーダーであるが、この場にいるのだ。
その一言で理解したのか、が口を閉じた。そして、そのまま抱き上げた少女をビクトールに渡す。ビクトールは「牢に…」というフリックを伴い、部屋を出て行った。
自分に視線を向けてから、彼女が「先に部屋に戻ってるね。」と言って部屋を出ていった。
その意図を受け取り、扉が閉まったあと、今だ俯いている少年に声をかける。
「…。」
「あっ、はい…。」
我に返ったのか、反射的に顔を上げた少年のことを、とても素直な子供だと思った。
「戦争の指揮を取る者なら、命を狙われるなんて、当たり前のことだ。むしろ、日常茶飯事だと思った方が良い。」
「……はい。」
けれど、その素直さが時にアダとなることを、知っていた。
「でも、それは、互いの信念の違いによるものだ。さっきの女に何を言われたかは知らない。けど、きみにはきみの信念があるんだろ? それなら、そんな顔をせずに堂々と胸を張って突き進めばいい。駆け抜けた先に何があるか、俺にはまだ分からない。でも、終わりを迎えてから掴めるものだってあるんだ。」
「……はい。」
「それじゃあ、俺は戻るよ。」
「……ありがとうございます。」
呟くような礼を受け取って、は部屋を出た。
自分と同じ『想い』をし、自分と同じ『重荷』を背負う、年端もいかない少年に笑いかけて。
「僕は………僕の想う道を……。」
顔を上げた少年に、さきほどの迷いはもうなかった。
その場をに任せ、階段を下りに下りて、牢屋へ足を向けた。
牢のある地下室へ着くと、早速、あの少女を捜し出す。
あれだけに言われたはずなのに、守兵の姿が見当たらない。・・・・・対応が遅い。思わず呆れ返ってしまった。
少女は、一番奥の牢に収容されていた。どうやら目は覚ましているようで、牢の奥で腰を下ろしている。
近づいて、声をかけてみた。
「ねぇ。」
「……………。」
少女は返事をしなかったが、の部屋で見かけた時のような鋭い眼光を向けてきた。
『好戦的な子だ』と、苦笑いする。
「あのさ。あんたの名前、教えてくれないかな?」
「……………。」
「王国軍でしょ?」
「……………。」
返答を拒否するように、少女は視線を逸らした。これでは埒があかない。思わずため息が零れるが、ここで諦めたわけじゃない。
ポケットに手を入れた。そして、そこから取り出した物を、少女の前でチラつかせる。
牢屋の鍵。それは、廊下に点々とかけてある燭台の火に反射して、キラリと光った。
「ここから出してあげても良いよ。だから、あんたの名前教えて。」
「貴様……いったい、どういうつもりだ? 気でも触れたか?」
少女は、一瞬驚愕したようだが、すぐに冷静さを取り戻したのか、またジッと睨んでくる。それは、何故そこまで己が名に拘るのかは分からない、と言いたげな顔。
それに答えることをせず、「簡単な取引だよ。」と笑ってみせた。
だが少女は、牢を眺めてから、言った。
「それに、こんな牢………鍵がなくとも抜けられる。」
「……あれ? もしかして、私、超ナメられてる?」
「…?」
要は少女は、何かしらの解錠技術を持っており、そんな取引をしなくてもいずれ逃げ出すつもりだと言っているのだ。それに対し、あえて冗談めかして返す。
「そっかーナメられてるのかー。でもなー。それは、ちょっと甘いんじゃないかなー?」
「……何が言いたい?」
「私がここにいる限り、あんたはこっから抜け出せないってことー。」
「……随分と、腕に自信があるようだな。」
「まーね。それだけの経験、積んでるしー。」
「……………。」
「ふふっ、それにさ…。あんたぐらいの娘っ子に負けるようなら、それこそ、この軍での私の存在意義が無くなるんだよ。」
ここで、少女がその瞳に怒りを灯した。どうやら『娘っ子』という言葉が、お気に召さなかったらしい。
「きさま…!!」
「あ、ごめんごめん。私から見たらってことね。世間一般的に、あんたの体や心が娘っ子ってワケじゃ……いや、どう見ても娘っ子か。」
「黙れ!!!」
「うおっ、こわッ!」
終いには怒鳴り始めた少女に、更に「ごめんごめん。」と言いながら、さきほどの言葉に付け足す。
「じゃあ、話を戻して良い? 私がこの場にいる限り、あんたはこっから出られない。どうしてかと言うと、私は、あんたよりも、ずっとずっと強いからでーす!」
「っ……。」
「んで、次ね。見ての通り、私は、この牢屋の鍵を持ってます。名前さえ教えてくれたら、な、なんと! ここから出してあげると言いました!!」
「……信用しろ、と?」
「うん。だってこういうのは、お互い信頼しないと成り立たないじゃん。」
「…………。」
馬鹿馬鹿しい、と少女は鼻を鳴らしたが、自分が言う事もよく理解したようだ。仲間がいればいざ知らず、彼女一人だけでは、絶対に自分に適わないのだから。
なまじ、ずっとこの調子で押し問答を続けていたら、いつ他の同盟軍の者がこの場に現れるやもしれない。逃げるに逃げられなくなる。
仕方ない、と悔しげに目を逸らしながら、彼女は言った。
「……ルシアだ。」
「ん?」
「私の名だ。ルシア。」
「おー、なるほど! ルシアね。」
ルシア、ルシアと、名前を呼び続けていると、彼女は不機嫌そうな顔。それに「あぁ、ごめん」と言って、牢の鍵を使った。
「さぁ、どうぞ?」
「……………。」
扉を開けてやると、彼女は、無言で鉄格子をくぐった。
瞬間。
キンッ!!!!!
牢屋中に響いた音。
ルシアは、すれ違い様に抜き放った短剣を振り上げた。だが対峙する女が、それを難無く刀の鞘で受け止めたのだ。
しかし、それだけで終わった。虚をついて出した攻撃を簡単に受け止められた挙句、素早く背後に回り込まれ、首筋に刀を突きつけられた。本当に、刹那の間に。
ルシアは、短剣を落とした。抵抗はしない、という意味だった。
それを見た彼女は、その首筋に刀を当てたまま、静かに言った。
「だから言ったじゃん…。あんたは、に負けた。そのより、私は強いんだよ? だから、もう止めようよ。」
「なぜ分かった…?」
「あんた……もしかして、あれで殺気抑えてるつもりだったの? 超バレバレだったんですけど。」
「くっ…」
隙をついて攻撃を仕掛けたはずだった。だが彼女は、それに反撃することも怒ることもなかった。ほら、だから言ったでしょ? と言いたげに、自分の行動を全て封じたのだ。
完敗だと思った。目の前の女に。
同盟軍に一矢報いることも出来ずに、自分はここで終わるのかと。父の仇も取れずに・・・。悔しくて、思わず涙がにじむ。
だが何を思ったか、彼女は、自分の首筋から刀を外すと、小さな声で言った。
「ここから出るなら、船着き場の断崖……岩場を少し渡った場所に、草原に出るための長い梯子がある。それを登って、湖沿いに歩いて行きなよ。そうすれば、どこかの街に行けるから。」
「………なぜだ…?」
「言ったでしょ? 私は、あんたの名前が知りたかっただけ。」
「………。」
「それと…。もう暗殺なんて馬鹿な真似は、止めた方が良い。大抵は上手くいかないだろうから。」
「なんだと…?」
「だって、実際上手くいかなかったじゃん。どうせやるなら、もっと静かにやらないと。暗殺に来たくせに、あんなデカい魔法ぶっ放せば、誰だって気付くよ。それに、失敗したのにもう一度なんて……愚か者がやることじゃないの? 自分が愚か者じゃないって思うなら、今度は、正々堂々真っ正面からやりなよ。」
「…………。」
それじゃあ見つからないようにね、と言って、彼女は手を振り背を向けた。
だが、思わずその背中に問うていた。
「貴様……名は?」
「私? 私は、。宜しくね。」
「……………。」
ニコリと笑い、彼女は地下牢から上がって行った。
ゆらゆらと揺れ動く、無数の炎。
暫くそれを見つめていたが、やがて牢を出て、船着き場から岩場を渡り始めた。
あの女の言った通り、確かに道は続いている。ひっそりかけられている長い梯子を上ると、草原に出た。
デュナン湖を渡って来た流れる風を身に受ける。
夜の空は、少しどんよりとしていたが、身を隠すにはちょうど良い。
ふと横方を見れば、同盟軍の城壁。今しがた、自分がそこにいた事を思い出しながら、こんな道を教えるなどつくづく甘い連中だ、と顔を顰めた。
独断で取引をし、軍主の許可なく自分を逃がした女の顔を思い出す。
「か……………………覚えておく。」
そう一人ごち、褐色の肌の暗殺者は、闇夜の狭間へ消えて行った。