[飴─あめ─]



 グリンヒル奪還作戦が、始まろうとしていた。

 その名の通り、王国軍からグリンヒルを解放するための戦い。だが、グリンヒルから東に位置するミューズには、王国軍の殆どが駐屯していた。下手をすれば、ミューズからの援軍に挟まれて、袋だたきにあう可能性がある。
 そのため、シュウの作戦を用いて、同盟軍は軍を二手に分けることになった。

 一つは、ハウザーを大将としたミューズの援軍阻止の部隊。そしてもう一つは、キバを大将とするグリンヒル攻略部隊。
 同盟軍リーダーであるは、ハウザー率いる部隊へ。
 そしては、ルックの護衛を務めるため、彼と共にグリンヒルへ向かっていた。に「行ってくるね!」と笑顔を残して。
 彼等は、それに「武運を祈るよ。」と見送ってくれた。



 単体でなら、転移魔法を使ってしまえば、そう時間をかけずに目的地へ着ける。しかし、軍と軍の戦いともなれば、そうもいかなかった。
 湖を渡り、馬を使い、できるだけ時間を短縮できるように戦地へ向かう。やルックは馬に乗っていたが、何日も歩き通しの歩兵は、たまったものではない。旅の疲れが出ている中で『さぁ戦だ』となる。故に、小休憩をこまめに織り交ぜつつ、自部隊の面倒を見ながら目的地へ向かった。

 船を使い、本拠地からレイクウェストへ渡り、そこから何日かかけてトゥーリバーに入り、そこで丸一日休息をとった翌日、北上する。
 開けた草原を通る風が、少し焦燥の色を見せていた。

 城を出る前に、ナナミから「露店で売ってたから、持って行って!」と渡された飴を舐めながら、グリンヒル近くの平野に陣を敷き、他の部隊との連携確認をする。陣形は、前もってシュウから伝えられていたため、難無くそれを終えた。
 全ての部隊の確認が終わった所で、キバより野営の準備に入るよう指示された。






 野営の準備を終えてテントに入ってから、数刻。
 それは、そろそろ深夜に入ろうか、という頃だった。

 大きな袋にたっぷりと詰め込まれた、まるで減る気配のない飴を舐め続けていると、ルックが入ってきた。もう一つ飴を口に入れながら酒を一口含み、「そこ座れば?」と着席を促すと、彼は、酒の匂いが嫌いなのか僅かに顔をしかめたが、示された場所へ素直に腰を下ろした。



 「んで、どしたの? 何かあった?」
 「……用がなければ、来ちゃいけないのかい?」
 「べっつにー、そんなこと言ってないしー!」

 おちゃらけているようで、その実、それが今の彼女の本心でないことを、ルックは理解していた。ちびちび酒を飲みながらも、自分と視線を合わせようとしないからだ。
 その瞳は、どこか遠くへと投げられていた。想いを馳せるように。
 それがどこに向けられているのか分からない。遠い過去か、親友か、それとも恋人へ向けてなのか。それとも・・・・・

 「……彼を、連れて来なくて良かったのかい?」
 「彼って?」
 「……だよ。」
 「あー…。」

 彼女は黙った。彼、と聞いた一瞬だけその瞳に自分を映したが、すぐにまた意識を遠くへやってしまう。彼女の意識は、きっと、ここからずっとずっと南東に位置する本拠地へ向いている。それだけは分かる。
 遠く離れた場所で、彼女の帰り待ってくれているだろう、彼を・・・・。

 ただ、それが分かったというだけなのに苛々した。見えない小さな棘がチクチク胸を刺す。酷く不快なのだ。
 今の彼女の支えとなっているのは、自分ではなくあの男。自分の知らない彼女を知っている、素性さえ分からないあの男。二人が、互いに『友』と呼び合う仲だということは知っている。しかし、それだけでも苛立ちが募った。

 どうして、こんなに腹が立つ?
 どうして、こんなに悔しい?
 どうして、こんなに・・・・・・・胸が苦しいんだ?

 ザワ、と心から沸いてくる苛立ちは、隠されることもなく言葉と成る。

 「なんで、あんな男…」
 「ルック。」

 言いかけると、彼女の意識が戻ってきた。重なった視線には、強い否定が見え隠れしている。オブシディアンの双眸が『それ以上言うな』と言っていた。
 だが、想い通りにならない心が、それを無視して続ける。

 「そもそも、彼を同盟軍に入れるなんて…。きみ、なにか勘違いしてるんじゃない? 戦争にも出ない、戦闘にも出ないなんて、随分と都合がいいじゃないか。図々しく『世話になる』なんて言ってたけど、それをホイホイ引き入れたきみも、充分図々しいと思うよ。」

 分かっていた。が『彼女の為に』と、あの男に滞在を願ったこと。彼女は、きっとあの男を巻き込まないために、傍にいて欲しいと言えなかっただろうこと。
 ルック自身、あの時の意見に反論もせず、ただ成り行きを黙って見ていたのだから。

 だから、彼女に、こんなことを言うなんて間違ってる。彼女にとって『いま一番必要な存在』が、あの男というだけだ。それなのに、それなのに、それなのに・・・・。
 自分の心を蝕む苛立ちが、どうにも手に負えない。分かっていても、彼女を傷つける言葉が、自分の意志とは関係なく溢れ出す。
 こんなこと、言いたいわけじゃない。傷つけたいわけじゃない。
 きみに、そんな顔させたいわけじゃないのに・・・・。

 彼女は黙って聞いていた。否定することもなく、ただ目を伏せて。

 どうして、何も言わないの?
 反論したいなら、すればいいじゃないか。
 きみは、切り返せるだけの言葉を持っているのに。
 それなのに、どうして・・・・・・なんで、なにも言ってくれないんだよ。

 だからかもしれない、更に苛立ちが増したのは。簡素なテーブルの上に乗せられた自身の拳が、らしくなく震えている。
 と、ここでようやく、彼女が口を開いた。

 「ねぇ。」
 「………?」
 「飴、食べる?」
 「……なんで、飴なんか…。」

 お門違いな文句を並べ立てているのに、彼女は、突拍子もないことを言いだす。それに思わず悪態をついていると、彼女が、酒の隣に置かれた大きな袋から飴を一粒取り出した。そして、それを目の前に持ってくる。

 「ほら、口開けて。」
 「冗談じゃ…!」
 「いいから開けなよ。」
 「…っ……。」

 その言葉は、有無を言わさぬ口調だったが、その瞳に見えたのは優しさ。そして僅かな悲しみか。
 それ以上、抵抗できなかった。いつもの自分だったら「冗談じゃない!」と言って、その手を振り払うはずなのに、今はそれが出来ない。
 小さく口を開けると、無造作にそれを放り込まれた。
 ・・・・甘い。でも、しつこい甘さじゃない。尖ったこの心を落ち着けてくれるような、柔らかい甘さだった。
 なんとなくバツが悪くなって、それを舌で転がしながら彼女を見ると、微笑んでいる。

 「ね。それ、落ち着くでしょ?」
 「…………。」
 「あんまり甘過ぎないから、あんたでも食べられるかなって思ってさ。あんま好きじゃないなら、返してね。」
 「……返す?」
 「うん。食べかけでも、もったいないから私が代わりに食べる。」
 「……………。」

 いくら何でも、それはどうなんだ。人が食べかけていた物───それが、トンカツやカレーなら話は分からないでもないが、全て口に含んでしまう飴で、それはないだろう。
 恥じらいを彼女に求めるわけではないが、ルックは、流石に若干引いた。だが同時に、そういえばこういった剛毅な面も持っていたな、と今さらながらに思う。

 「これさ。出発する前に、ナナミがくれたんだ。」
 「…っそ。」

 「それ、落ち着くでしょ?」と言った彼女は間違っていなかった。だが、それがまた面白くない。こんな飴一つで心が落ち着くなんて、思いもしなかった。どうでもよさそうに返してやると、彼女はいつものように「素直じゃないなぁ。」と笑った。

 「ホットミルクとかに似てるよね。寝る前に飲むと、ちょっと安心するじゃない?」
 「……別に…。」
 「まぁ、私も、ミルクが好きってわけじゃないけど…。」

 首筋をかきながら苦笑いした彼女は、「チーズは大歓迎だけどね!」と、ニッと歯を見せて笑う。子供じみたその笑顔。・・・・・その笑い方は、ズルい。
 そう思いながら、視線を逸らして飴を口内で遊ばせていると、彼女は落ち着いた口調で言った。

 「そんで? 少しは落ち着いた?」
 「僕は、別に………取り乱すような事はしてないよ。」
 「……ふふ、そうだね。」

 そう言って、彼女が酒瓶を手に取った。だがそれを見て、ルックは思わず顔を顰めた。

 元々、酒の匂いというものは好きではない。だがそうではない。新しく持ってきていたはずの”それ”が、もう半分以上も空いているのに顔を顰めたのだ。
 ふと下を見れば、もう一本空の瓶。酔い潰れるほどとはいかないまでも、だいぶ彼女は飲んでいる。

 彼女が、戦前夜に酒を飲むことは知っていた。ルック自身その理由を分かっていたし、それを止めたことも咎めたこともない。
 あの男が来た後から、彼女が飲む量も減るには減っていた。それに内心面白くないと思ったものの、良い傾向だとも思っていた。

 しかし、今、その量を見て感じた。あの男といる時よりも、それは明らかに増えている。今まで彼女が、2本目に手を伸ばすところなど見た事がない。
 野営の準備を終えて、幾刻も経たない内に、それだけの量を一人で摂取した彼女に、『あの男と離れるとこうも脆くなるのか』と眉を寄せたのだ。

 チクリ・・・・チクリ。

 胸に刺さり続け、感情を荒らし回る棘。飴が、それを相殺するよう心を静かに撫でていた。飴に軍配が上がるのに、そう時間はかからなかった。

 そっと、彼女の腕を掴む。

 「ルック?」
 「……………程々にしなよ。」

 そう言うと、彼女は瓶を見て苦笑いしていたが、素直にそれに栓をした。
 それを見届けてから、腕を離して席を立つ。

 「あれ、もう戻るの?」
 「……別に、用があったわけじゃないからね。」
 「そっか……。それじゃあ、おやすみ。」
 「…………うん。」

 静かな返答を聞いてから、振り返ることはせずにテントを後にした。






 テントを出て、ふと空を見上げる。
 それは、昼間とは違い、闇が全てを飲み込む果てのない空だ。
 そして、そこに静かに浮かんでいる、月。

 夜は・・・・・・月は嫌いだ。闇を彷徨う者を見下ろすその姿が、まるで自分を哀れんでいるように思えるから。自分の出生を、存在を、そして・・・・”運命”を、まるで哀れな者を見下ろすように静かに夜空に浮かんでいたから。

 お前に、そんな風に見下ろされる筋合いはないよ。
 そう心で悪態をつく。けれど、闇の中に佇む女王は、それでも自分を照らし続ける。
 だから、夜も月も大嫌いだった。

 ふと、月の位置を見て、だいぶ夜も更けた事を知る。
 あぁ、もうこんな時間か。明日に備えて休まなければ。

 「っ……。」

 そう思うと同時、ギリと奥歯を噛んだ。
 ・・・・・・眠らなくてはならないからだ。
 眠る事も嫌いだった。睡眠という行為が、大嫌いだった。

 ・・・・眠らなくてはならない。明日の戦に備え、眠らなくては。
 でも、眠らなくてはならないのに、眠ることが”恐い”。
 そう思うのは、自分が『夢』を見られないからだ。

 誰もが見れるはずの『夢』を、自分だけが見る事を許されない。
 『自分にしか見れない夢』が、自分を、少しずつ追いつめていくから。

 だから・・・・・

 「…………。」

 ふと、考えてみた。
 自分の”目的”を知ったら、いったい彼女はどうするのだろう、と。
 人には決して言えぬ『それ』を知るのは、師であるレックナートだけ。ルック自身、それを他の誰にも言おうとは思わなかった。すら・・・・・知らぬ者の一人だ。

 だから、考えてみた。自分の目的を知ったときの、彼女の反応を。
 怒るだろうか? それとも『好きにすれば?』と我関せずを貫くだろうか?
 それとも・・・・・・・・我武者らに、自分を止めようとするだろうか?

 「……………下らないね。」

 見上げた空から、星がキラリと滑り落ちた。
 自分の憎むべきこの世界の中に存在しているのは、月だけではなかった。その中で、”彼等”は負けじと輝いているのだ。そして自分も、その中に・・・。

 けれど、彼女はいない。
 あの星のどこにも、彼女に値する星は無いけれど・・・・

 もしかしたら、今の流れ星がそうなのかもしれない。らしくなくそんなことを思う。
 しかし、すぐにその考えを振り払い月を睨みつけてから、視線を今あるべき場所へと戻し、自分のテントへ足を向けた。

 彼女からもらったはずの『飴』は、すでに溶け、無くなっていた。