[責める者と標す者]



 が本拠地へ戻された、次の日。
 本拠地で待機していたアップルの元へ、グリンヒル部隊から『王国軍が市内に退却した』という伝令が入った。ほぼ同時に『が少人数を率いて市内へ乗り込んだ』という連絡がシュウから入る。

 戦況を気にしていたアップルだが、どうやら、それを聞いて一安心した様だ。
 たまたま彼女と話をしていたは、それを隣で聞いており、直ぐさま広間を出た。本当はルックのことも聞きたかったが、伝令は『個人単位の状況を伝えろ』とは言われていないだろう。

 故に、一応の報告がてら、の部屋へ向かった。



 ノックに返事をしたのは、だ。
 ゆっくり扉を開くと、彼はベッドに腰掛けていた。その傍では彼女が眠っている。精神的な疲れが溜まっていたのだろう。
 中に入ると、彼が、彼女の髪を梳きながら問うてきた。

 「なにか変化が?」
 「…はい。王国軍が……市内に撤退したそうです…。」
 「そうか。」
 「そして、達が……裏道から市内へ向かったと…。」

 報告を終えると、彼が立ち上がった。
 は、一つ息をついてから、椅子へ腰掛けた。



 報告に来てくれた彼に「ありがとう。」と言葉をかけて、は、棚へ向かいティーセットを取り出した。それを見て首を傾げている彼の姿が、目に入る。
 いつもは、彼女がしている作業を、今日は自分がしている。それに違和感を感じたのだろう。苦笑しながら、「昔は、よく暇を見つけては、彼女とお茶をしてたんだ。手順は見てる内に覚えた。」と言って紅茶の入ったカップ渡すと、彼は、まだ疑問に思うことがあるようで、問うてきた。

 「…あなたは、どうして……僕の考えていることが、分かるんですか…?」
 「あぁ。なぜ、か…。」

 自分の前にも紅茶を置き、困ったような顔をしてみせる。何も答えず、とりあえず紅茶に口をつけていると、静かな視線。
 そうか、やっぱり気になるものだよな。そう考えて、カップを置き答えた。

 「なんとなく、だな。」
 「…なんとなく…?」
 「あぁ。なんでかな…。相手を見れば、なんとなく考えてることが分かってしまう。まぁ、これでも長生きしてるからな。」
 「……………。」

 冗談めかして”長生き”という言葉を使ったが、どうやら心に留まるものがあったようで、彼は俯いた。
 普段、自分を知らない人間がその言葉を聞いたなら、笑うのだろう。長生きってほど生きてはいないだろう、と。自分がどんなに大人びていようと、どれだけ様々な経験をしてきていようと、はたから見れば、自分は二十歳にも満たないのだから。

 だが、彼は違った。
 彼は、自分の事情を知っているし、そして、これから自分もそうなっていくのだと・・・。
 そう思い、何も言えなかったのだろう。

 ・・・余計なことを言ったかな。そう思いながら、続けた。

 「それに……育った環境も、人によりけりだろ? それだけで、やっぱり考え方や価値観も変わってくる。まぁ、要するにだ。俺は、育った環境ゆえにこういった事に長けざるを得なかったってことさ。」
 「そう……だったんですか…。」
 「あぁ。大したことじゃない。これも俺の個性だからな。」

 過去を思い返すよう、遠くを見つめる。それもほんの僅かなことで、すぐに意識を戻し、小さなビンに入れられたジャムを、スプーンですくって舐めた。

 彼は、胸に手を当て目を閉じている。自分の言葉を、心に刻んでいるのだろうか。
 きっと彼は、自分が『何年』生きてきたのか、知らない。彼の性格からして、それは聞く事も憚るものなのだろうし、他人の過去をほじくり返すこともしたくないのだろう。
 自分と同じ属性に位置するであろう『呪い』を持つ彼は、人の過去を問うことが、とても出来ない。

 彼も、自分と同じだ。
 乾かぬ傷を持ち、いくら時を経ても、時折不意にそれを思い出しては心を痛め続ける。例え、形だけ綺麗に塞がったとしても完治することはない。それは、過去という記憶で認識され続ける。忘れることも消すことも出来ない、そんな傷だ。

 「きみは、これから…その紋章を手放さない限り、俺達と同じ苦痛を……恐怖を味わうことになる。時間という流れは、苦痛と……残される恐怖を強い続ける。それこそ、生き続ける限り。」
 「……はい。」
 「そうだなぁ…。俺もも、150年以上生きてきた。俺は俺で、大切な人達を沢山亡くした。そして、彼女も。」

 長い時間を旅してきて、ふと、何処かへ逃げてしまいたいと思ったこともある。けれど、それを得た以上、逃げてはいけない。その定めからは逃げられないのだ。
 そして紋章を持つ者は、請け負うだろう全ての痛みに耐えなくてはならない。どんなに辛いことがあっても、それらを乗り越えて生きていかなくてはならない。

 ”彼”の親友でいてくれたに、それだけは、どうしても伝えたかった。



 の言葉を聞いて、は思った。彼の──その言葉を聞くだけならば、それは重たくて、とてもとても厳しいものだ。
 しかし、彼も彼女と同じぐらいに優しい人なのだと思った。父を亡くし、親友を亡くした自分に、そっと道を示してくれているのだから。
 同じ呪われた紋章を手にした者として、残された者として、長い時を生きた先輩として。

 口にしたことはなかった。自分のことを。内に抱える不安や悩みを。
 生きるという希望、そして、これから先の見えない道筋を。
 だから、彼が、さり気なくそれを説いてくれたことが嬉しかった。自分もまた、逃げるわけにはいかないのだから。

 「大丈夫です…。僕は、テッドから預かったこの紋章を………彼の想いを、裏切ることはしたくないから…。」
 「…うん。ありがとう。」
 「いえ…。」

 答えに満足したように、彼は笑った。そして、その笑みのまま続ける。

 「それに、きみにも彼女と同じで……待っていてくれる人が、いるんだろ?」
 「……はい。」

 頭の中で、オロオロ自分の帰りを待ってくれているだろう金髪の青年が思い浮かんだ。そして、大食らいで大柄な男と、常に自分を気にかけてくれる姉のような女性が。
 ふ、と小さく笑みが漏れる。
 すると、それを見ていたのか、彼は言った。

 「たまには、顔を見せないと……心配するんじゃないか?」
 「……はい。」

 どうやら、彼は覚えていたようだ。バナーの村で出会った時に、自分がヘマをし露になった紋章の横で、アワアワと慌てふためく母親のような従者のことを。
 今頃、きっと「坊ちゃんは、怪我などしていないでしょうか…?」と自分を心配し、「いい加減に落ち着きなよ。」と、姉御肌の女性に呆れられていることだろう。

 「確か、グレミオ……だったか?」
 「はい…。」
 「彼、綺麗な顔してる。」
 「へっ…?」

 笑ってそう言った彼に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。すると彼は「好みの顔だ。」と、冗談混じりに言って紅茶を飲み干した。
 それを聞いて暫し呆気に取られたが、意味を悟って笑ってしまった。あぁ、彼女はグレミオのような顔が好みなのか、と。
 しかし、もしがそれを知ったらさぞ落ち込むだろう、とも。

 彼は席を立つと、静かにベッドに腰を下ろした。そして彼女を起こさないよう、小声で告げる。

 「たまには、里帰りでもしてくれば良い。」
 「でも…」
 「…彼女のことは、俺に任せてくれればいい。それに……きみが責任を感じる必要は無いよ。」
 「……はい。」

 再び思考の迷路に迷い込みそうになる前に、彼は「そうと決まったら、善は急げだ。」と笑った。「グレミオにも、宜しく伝えてくれよ。」と付け足して。
 は、小さく頭を下げると席を立ち、静かに部屋を後にした。






 ・・・・きみの所為じゃないよ。
 ”彼”が命を落としたのは・・・・・・きみの所為じゃない。

 だから、きみが心を痛める必要は、どこにもない。
 誰も悪くない。
 ・・・そう。誰も悪くないんだ。

 運命という言葉を、信じたくはない。
 でも、そう思わざるを得ないことも、もう充分わかってる。
 それが”宿命”であった、と。

 でも、そう確信を持って言えたとしても、いったい誰が納得するんだ?

 「そう…、誰も……………悪くないんだ……。」

 眠りの中にいる彼女の顔を、そっと見つめる。



 「…運命なんて言葉は、逃げになるのかもしれない。でも……きみ達の心を保つためには………何かの所為にしなくては、いけないんだ……。」



 陽は、まだ高い。