[回想─届かない─]



 誰かに呼ばれた。
 浮上していた意識が、さらにグンと引き寄せられる。

 「───さん……─ックさん。起きて下さい。」
 「…ん………。」

 ゆっくり目を開けると、ホウアンが自分を見つめていた。
 ・・・あぁ、そうか。あの戦いで額を怪我して、それを縫うために麻酔をして、それから、漂う流れに意識を任せて・・・・

 夢を、見た。
 夢? ・・・・どんな?
 ・・・・・・・・思い出せない。

 やけに哀しい夢だった気がする。やけに印象的な夢だった気がする。
 でも、それ以外、何も思い出せない。
 分かっていたのは、いつもと違う『夢』だということ。いつも見る夢は、忘れたくても、決して忘れさせてはくれないのに。

 「…………。」

 自然と眉を寄せていた。
 すると、それまで黙って見ていたホウアンが、もう一度声をかけてきた。
 顔を上げて、いつもの無表情を取り繕う。いつもなら、自然とその顔になるのに。どうしてだろう、今はそれが上手く出来なかった。

 「ルックさん。傷の縫合は、無事に終わりました。もう大丈夫ですよ。ただ…」
 「……なに?」
 「その傷は………痕が残ってしまいます。」
 「ふーん。…っそ。」



 全く気にもとめない返答に、正直、ホウアンは驚いた。
 彼は───ルックは、とても整った綺麗な顔立ちをしている。本人が相手にすることはないが、実際、同年代の女の子達からは、フッチやサスケと並ぶ程の人気があるのだ。
 ホウアンとしてみれば、綺麗な顔立ちをしたこの少年に『傷が残る』と告げるのは、正直辛かった。だが当の本人は、顔立ちやら傷跡やらはなんの気にもならないようで、平然としている。むしろ痛みが気になるのか「痛み止め、無いの…?」と顔を顰めていた。

 シュウ殿の言った通り、やはり変わった子ですね。
 そう思いながら、言われた通り、痛み止めを処方して飲ませてやる。
 その後、訓練で怪我をしたのか、他の患者が続々とやって来た為、ホウアンは「暫く安静ですよ。」と言ってカーテンを閉めた。






 ・・・特になにもする事がない。暇だ。
 ・・・本が読みたい。でもここには、何もない。暇だ。
 ・・・隣のベッドに誰がいるのか気になる。暇だ。
 でも、うめき声がしたのでカーテンを開けなかった。暇だ。

 「入るよ。」

 暇を持て余していると、軽快な声。カーテンが開かれる。
 しかし、唐突で不躾な訪問者に、ルックは思わず顔を顰めた。

 声で『彼女ではない』と即座に判断し、入ってきた男を睨みつける。訪問者はだ。
 穀潰しのお前がいったい何の用だ。そう思いながら睨みつけていると、彼は、椅子に座ることもせず唐突に言った。

 「ルック、ありがとう。」
 「……なにがさ?」

 早くどっか行け。
 その気持ちを、全面に押し出すように睨みつけていると、彼はクスリと笑った。



 ルックは、彼とあまり話したことがなかった。
 彼がここに来てからというもの、彼女は彼と二人きりで部屋に籠ることが多かったし、それから一緒にお茶をするようになっても、自分から話しかけることもなければ、彼から話しかけられることもなかった。
 ルックからすれば、彼と話すことは何もないし、自分には全く関係のない人間だ、という感情があった。ついでに言えば、軽い嫉妬も含まれていた。
 簡単にいえば、好きにはなれない奴だった。

 だがは、そういった類の感情で、ルックと話さなかったのではない。
 彼女から「私の兄弟子で、弟みたいなやつで、性格はアレだけど、顔はメチャ可愛いよ。」と聞いていた。見れば確かに、その顔立ちは非常に整っており、自分に負けず劣らずの『美少年』だと思った。
 だが、彼と初めて会った時からずっと気になっていたことがあった。彼の内に渦巻く、彼女への想い。それを、即座に見抜いてしまったからだ。
 先日、から聞いていた。目の前の少年が『彼女の恋人だった者を知っている』と。そしてその恋人が、その身に宿していた紋章のことも。

 それを聞いて、少年が、誰かに似ていると思った。どんなに彼女を想っていても、決して届かない。隠そうとしても隠しきれない、その瞳の中にある”寂しさ”を目にして。

 『………あぁ、そうか。俺に似てるんだ。』

 そう思った。彼女の心の傷を知りながらも、それでも彼女を想い続ける。
 きみと俺は、似てる。なにが? 境遇が?
 ・・・・・違う。
 想い、悩む。相手を愛しく思っていても、その恋が叶わないところ。
 置いて逝った人間には、絶対に・・・・・・・適わないところ。

 ただ傍にいることでしか支えられない。抱きしめて、慰めて、想い続けて。
 それでも、決してこの想いが届くことはない。
 命をかけて守っても、どれだけ傍にいても、絶対に・・・・。

 『俺もきみも、報われないなぁ…。』

 顔を顰めて睨んでくる少年に、は、内心情けない顔をした。



 「のことさ。」
 「………。」
 「きみが、彼女を守ってくれなかったら、確実にそのユーなんたらに攫われていただろうから。」
 「……ユーバーだよ。」
 「よし、ユーバーだな。覚えた。それで、そのユーバーから助けてくれたことに礼を言ってるんだ。」
 「…っそ。」

 気に入られていないというのが、彼の態度からありありと分かる。視線を合わせようとすれば、睨むか見下すようなペールグリーンの瞳。とはいえ視線を外せば、まるでそこに存在していないような扱い。
 こりゃ相当嫌われているな。思わず笑ってしまう。
 彼女から「あいつ、本当ナマイキなんだわー。」と、愚痴にもならない愚痴を聞かされたこともある。だが、そうは思わなかった。むしろ可愛げがある。何故なら、自分に向けて出されるこのあからさまな態度が、この少年の見えない部分を見せてくれるのだ。
 そう言うと彼女は、毎回「…まぁね。そこが、可愛いんだけどね。」と笑うのだ。

 クスクス笑っていると、少年が、ポソッと言った。

 「で………それだけ?」
 「あぁ、それだけ。」
 「……もう用はないの?」
 「あぁ。」
 「……それじゃあ、とっとと出て行ってくれる?」

 その言葉に、思わず目を丸くする。それから、すぐにその意図を悟り、また笑ってしまった。
 何ともキツい言葉だろう。関心の無さを示しながらも、ついでに侮辱するような口振り。まぁ、これなら彼女が『得意の鉄拳』を振るう理由も分かる。
 そう考えながら尚も笑っていると、少年は、不機嫌さを隠そうともせずに言った。

 「………なに?」
 「いや…。その態度、まるで子供だな。」
 「何が言いた…」
 「関心がなさそうな顔をしているくせに、実は、どうすることも出来ない自分や現状に怯えて、内心戸惑っているんじゃないか?」
 「………。」

 そう言ってやると、どうやら少年は、自分に苦手意識を持ったらしい。不機嫌そうなオーラが更に溢れていた。

 「きみ………性質が悪いよ。」

 本当にそう思ったのだろう。声にも感情にも『お前とは、もう話したくもないし、関わりたくもない』というオーラが込められている。けれど・・・・・

 「生憎だけど、俺には、きみの憎まれ口が物凄く可愛く聞こえる。」
 「…………。」

 いくら酷い言葉を浴びせても、小憎らしいことを言ってみても、子供の可愛い意地っ張りにしか聞こえない。そう言ってやると、彼は、口を閉じて顔を背けた。



 ・・・・いったい、いつになったら出ていくんだ?
 もう用が無いなら、そのまま、とっとと何処へなりとも消え失せてしまえ!
 そう思ったが、相手は、一向に去る気配がない。何も言い返せなくて顔を背けはしたものの、それから考え込むように黙った相手は、その場で突っ立っていた。
 だが、ややあって、口を開いた。

 「ルック。きみ、何年生きた?」
 「………?」

 それは、あまりに唐突な質問だった。訝しみながら、視線を戻す。
 すると今度は、はっきりと、意味が分かるように、彼は言った。

 「『真なる紋章を宿す』きみは、いったい何年生きたんだ?」
 「…………。」
 「あれ、違うのか? 発信の情報なんだけどな……。」
 「っ……。」

 「おかしいな。」と首を傾げている彼を横目に、内心『なんでこんな奴に話すんだよ!』と憤ったが、なんだか答えをはぐらかすのも負けのように思えて、素直に答えた。

 「……17年だよ。」
 「17年? 本当に、それだけなのか?」
 「………きみ。さっきから、僕に喧嘩売ってるのかい?」
 「いや、まさか!」

 大げさに肩を諌めて笑う彼。その道化っぷりが、やはり気に入らない。

 「じゃあ、いったい何が言いたいのさ?」
 「んー。その歳の差が、俺ときみの違いじゃないかな、と。」
 「……歳の差?」
 「あぁ。」
 「どういう…」

 「他の奴には、内緒だぞ? 俺、見た目はこんなだけど、実は今年で170になるんだ。」
 「……………………。」

 その言葉に、思わず固まった。しかし、瞬時にその意味を理解する。やはり彼も『所持者』だったか、と。
 同時に、彼女の姿が頭に浮かんだ。それは”疑問”だ。
 以前、彼女は、彼の事を『旧知』と言っていたことがあった。また『同期』とも。それが”紋章を宿した時期”という意味でなら、きっとそうなのだろう。

 しかし今、彼は。何と言った?
 170。170歳になった、と言った。
 それなら、彼女は?

 自分は、彼女の『今』の年齢を知らなかった。

 自分と暮らし始めた時、自己紹介がてら「20歳だよ。」と言っていた。出会った頃から経過した年数を考えれば、今の彼女は27、28ぐらいのはず。
 しかし、彼女を旅に出すと言った師は、行き先を”過去”へ定めた。それが、いったいどれぐらい過去なのか分からなかったが・・・。

 もし、目の前にいる男の言うことが、本当なら?

 その考えを見透かしたのか、彼は笑って「彼女と出会った時、俺は、16歳の若造だった。」と付け加えた。そこから当時の彼女の年齢を考えて、計算してみる。
 ・・・・・・辿り着いた結果に、思わず下唇を噛んだ。
 彼は「歳を数えるなんて、俺って結構マメだろ?」と言いながら、何もかも分かったような顔で笑った。

 「彼女は、実は、紋章を宿してからかなり生きてるんだ。」
 「…………。」
 「見た目もそうだけど、あの性格で、話し方も若いからな。でも、彼女は彼女で140年という時を………色んな経験をして生きてきた。」
 「だから…」
 「話がずれたな。要は、俺達は、それだけの時間を生きてるから、きみに何を言われても『可愛い』としか思えないのさ。」

 彼女もきっとそうだろうな、と呟いて、彼は腕を組んで笑う。
 次に「彼女を起こしてくるから、ちょっと待っててくれ。」と言って、颯爽と医務室を出て行った。



 「……中途半端に……終わらせないでくれる?」

 その呟きは、届かない。