[母]
グリンヒルを奪還してから、2週間が経過した。
奪還戦時、本拠地にいたや、ユーバーと死闘を繰り広げていたルックは後から知ったのだが、によれば、ゴルドー率いるマチルダ騎士団が、王国軍に和解を申し出たらしい。平たく言えば、王国軍は、戦わずして脅威の戦闘能力を誇る軍団を手に入れたのだ。
それにうなり声を上げたのは、元団員であったマイクロトフと、カミュー。彼等は、こぞってゴルドーに不快を与えられ、騎士団の面目を丸潰しにされたと柳眉を逆立てた。
シュウの言により、マチルダに王国軍が集中している今、再びグリンヒルへと進路を向け、ミューズ市を奪還する作戦を取った。
率いる同盟軍は、ハイランド皇王となったジョウイ=ブライトと開戦し、見事勝利を収め、ミューズ市内へと足を踏み入れた。
達がミューズから帰還した、との知らせが、城内を満たしている頃。
は、と共に、屋上にて眼下に広がるデュナン湖を眺めていた。
先日、彼が「そろそろ城を出る」と言っていたことを思い出しながら、揺れる水面を見つめる。なんとなく『そろそろだろう』と感じていたのだ。
ふと、城門の方から上がった歓声に顔を上げると、彼もそれに続いた。城門には、戦に勝利した兵士達が続々と戻ってきている。
「凱旋かー。」
「うん。」
そんな言葉を交わして、ため息をつく。だが、目に見えてそんなことをするつもりはなかった為、無意識の行動というものに恐ろしさを感じた。
「どうしたんだ? ため息なんて…。」
「あー、ごめん。なんとなく『そろそろかな?』って思ったからさ…。」
「………あぁ。」
そう言うと、彼は、静かに目を伏せた。
『傍にいてよ』
彼女の瞳が、そう言っている気がした。
そうしたい。でも出来ないんだ。ごめん。
でも、きみが望むなら、いつでも会いにいくよ。俺達は、いつでも会える。きみがその紋章を持つ限り、必ず。
きみには、きみを想う人達がいる。分かってるだろ?
きみは、一人じゃないんだってこと・・・。
彼は、動かなかった。じっと何か考え込むように、その場で髪を風になびかせていた。
だが、やがて彼は「…ごめん。」と言った。
「俺は、もっと世界を見ないといけない。」
「………。」
「それに本当は、きみと……離れたくないんだ。」
「だったら…」
そう言いかけると、彼は、人差し指を口元に当て『待った』の指示を出した。なんだか納得いかなかったが、それに従い口を閉じる。
すると彼は、「まったく…。きみは、本当に素直過ぎる。」と言って笑った。それに唇を尖らせていると、彼は「ごめんごめん。」と続けた。
「実は……レックナートさんに言われたんだ。」
「え…!?」
その名を聞いて、は思わず固まった。
もしかしたら、顔が引き攣っていたかもしれない。
「今思えば……彼女は、俺がきみのそばに居るだろうって、分かってたんだと思う。」
「……どういうこと?」
「彼女、”先見”の力があるんだろ? から聞いたよ。」
「……………。」
彼女の話が出たことで、ある記憶が蘇った。怒りに任せて手を上げてしまった、”あの時”のことだ。
・・・・・何もいえなくて、俯く。
「グリンヒルからきみが戻ってきたあと、きみが眠っている間に、彼女が現れたんだ。」
「うそ…?」
「本当さ。そして彼女は、俺に言ったんだ。『支えてやってくれ』ってさ。」
「あの人が……?」
彼は、きっと何も知らない。知らないから、その話をしたのだろう。何も知らないからこそ、そう言ったのだろう。
その言葉を聞いて、は己を恥じた。あの時、怒りに任せ、彼女を責め立てた自分を。
今になって思う。きっと、彼女は苦しんでいたのだろうと。自分に”それ”を告げるか否か、彼女は、きっとずっと苦悩していた。それなのに、自分はなんて浅はかな事をしたのだろう。
思わず、拳を握りしめた。
次に思ったのは、彼女が、自分を想ってくれているのだということ。ルックや、それに。彼等だけではないのだと悟った。
きっと彼女も、自分のことを案じてくれていた。バランスの執行者、といわれているだけあって、普段から表情を変えることはない。けれど、彼女も”人”だった。
遠き昔に自分を導き、この世界のルールを教え、紋章の力を抑えるために支えてくれたのは、他でもない。彼女だったはずなのに・・・・。
彼女は、”先”を見通すことが出来る。できるが故に、口に出せないのだ。
「あー……。私、本当ダメな奴だわ……。」
言いながら、彼に背を向けた。涙が溢れてしまいそうだったからだ。
申し訳ないと思った。本当に、心の底から。
それでも見守り続けてくれるあの人に、心底、感謝と謝罪の念が湧き起こった。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ありがとう・・・・・。
は、泣き出した彼女を、何も言わずに抱きしめた。