[いつだって]
ようやく落ち着きを取り戻したのか、彼女が顔を上げた。しかし、どうやら涙でグシャグシャになった顔を見られるのが嫌なようで、両手で目元を隠している。
そういう女性らしい心は、昔と変わらない。そう思いながら、その背を撫でて笑いかけた。
「それで、その続きなんだけどな。」
「ん…。」
「彼女は、きみが周りの人の気持ちに気付いたら、離れてやってくれって言ったんだ。」
「……なんで離れなきゃ…」
両手を目元から外し、不可解そうに見つめてくる彼女の肩に、ゆっくりと顔を埋めた。
「どうしてかって? 確かに、そう思うよな…。」
「もしかして……あの人、何も言ってなかったの?」
「まぁ、ね。」
「……本当に?」
疑わしげな声で問われてしまっては、自分の推測を教えるしかない。
「これは、あくまで俺の予想だけど…。”元”とはいえ、『天魁星が3人』もいたら、なんかマズい事になるんじゃないかと…。」
「そりゃ、あんたの予想じゃん。でも…」
「答えは、教えてくれなかったんだ。本当に。でも、それが一番近いんじゃないかなって思う。」
「………?」
と、彼女は、何かに気付いたらしく「…あれ?」と首を傾げた。
顔を上げると、「おかしいな…」と呟いている。
「っつーかさ…。今、『天魁星が3人』とか言った?」
「え? あぁ、言ったけど…。」
「……二人じゃないの?」
「いや、三人で合ってる。俺ととの…」
「エッ!? ちょっと待ってよ! もなの!?」
「……知らなかったのか…。」
「ぜんぜん…。」
本当に知らなかったようで、彼女は、目を丸くしていた。
「解放戦争の英雄って話は、聞いてたけど……天魁星とまでは…。」
「……じゃあ、ルックかな。」
「へ? ちょっと、なんの話?」
「いや、何でも…。」
なんとなく真意を悟ってしまい、彼女に「部屋に支度に戻るよ。」と告げて、その場を後にした。
レックナートが、彼に伝えた言葉。
それは、彼の考えた通りのものだったが、それだけではなかった。
彼女の伝えたかったこと。
それは、天魁の星を持つ──または、その星を持っていた者──が、その場所に3人集まるだけでも、宿星や運命の流れのバランスが、大きく傾いてしまうということ。
星が集まるほどの大きな宿命に反し、実際のそれは非常に脆く、また虚ろいやすい。
は元々、人の言いたい事を無意識に捉えて理解してしまうため、すぐに彼女の意図を察した。そして、何故彼女が、それを言葉にしなかったのかも・・・。
留まるか離れるかは本人の意思で決めるべきことであるし、彼女は、それを止める権利もなければ咎める権利もない。
自分がその場に留まることで、なにがどう変わるか分からなかったが、彼女にとっては、もしかしたら、大きな賭けだったのかもしれない。
を支える為にここに残るということは、下手をすれば、彼女の言う『バランス』を崩してしまう未来も存在したのかもしれない。
結果的には、自分やの取った『戦に参加しない』という行動そのものが、バランスを上手く保ったのかもしれないが・・・・。
バランス。
その言葉で、150年前を思い出した。
バランスの執行者。運命の見届け人。
霧の船の船長である人ならざる者が、彼女をそう称していた。
そこから考える。
この世界は、秩序と混沌によって支配され分かたれている。そして、天秤にかけられたそれらのバランスを取ることこそ、彼女の役目なのだろう。
だが生憎、自分には、その手の知識が全くと言って良いほど無かったので、すぐにその思考を振り払った。仮に、もし誰かがその『答え』を与えてくれたとしても、今の自分には、それ受け入れるだけの器がない。そう考えたからだ。
けれど、と。新しい考えが湧いた。
自分の持つ紋章は、きっと『混沌』といわれる部類に入るのだろう。の持つ紋章も、きっとそうだ。
けれど・・・・彼女が持つ紋章は、どうだ?
彼女の持つ”創世”は、そのどちらかに割り振れるのだろうか?
「………本当、世界は謎ばっかりだな。」
結局答えが出るはずもなく、また行き着こうとも思わなかったので、その思考を中断した。
すると、聞かれていることもないと思っていた独り言に、誰かが言葉を返してきた。
「そうさ……。紋章の支配するこの世界は、謎ばかりだ。本当に……不快甚だしいよ。」
「…?」
視線を上げた先にはルック。どうやら、彼らも無事城に帰還したようだ。
そういえば、先ほど城門が賑やかだったなと思い返す。同時に『あぁ、だからこの少年がこんな所にいるのか』と合点がいった。彼は、真っ先に彼女に会いにいくのだろう。
いつものように笑いかけ「彼女は、屋上にいるよ。」と言って、少年の横を通り過ぎようとした。
だが、腕を掴まれた。
「どうしたんだ…?」
「………彼女。置いて行くのかい?」
「…あぁ。本人にも、もう話したからな。」
「っそ。」
そう言うと納得したのか、彼は、腰に括っていた袋からゴソゴソ何かを取り出すと、それを投げて寄越した。片手で軽くキャッチして、まじまじと見てみる。
封印球だった。
「これって…」
「流水の紋章だよ。」
「俺に…?」
「……僕は、それをきみに渡したかっただけだから。後はつけるなり捨てるなり、きみの好きにすればいいよ。」
どうやら、流水の紋章をくれるらしい。でもどうして、と問う前に、答えは出た。
実際は、この少年に好かれていないことを知っていた。しかし、彼女の一件を思い返し、これが少年なりの礼だろうと結論する。彼女を支えてくれてありがとう、と。
「ありがとう、ルック。大切に使わせてもらうよ。」
「別に……。きみが、それを大切にするしないに、僕は興味がないから。」
「本当に、素直じゃないんだな。けど、あぁ…ありがとう。」
素直に礼を言い、にこりと笑いかける。
だが、まだ何かあるのか、彼は自分の左手をじっと見つめながら、ポツリと呟いた。
「”許しの期間”、ね…。」
「ん? もしかして、俺の紋章に興味があるのか?」
「……別に。きみが、死ぬなり何なりして『それ』を手放す事で、また新たな災いが巻き起こるのかなって思っただけだよ。」
・・・なるほど。中々よく調べている。
もしかしたらこの少年、過去に起こった文献でも探り当てたのだろうか?
「そうだな。でも生憎と、俺は、これを手放す気はないんだ。仮に、今ここで”これ”を手放したりしたら、それこそ同盟軍は、打倒王国軍なんて言ってられなくなるからな。」
「……きみに”その気”があっても無くても、何も変わらないよ。きみの意思に関係なく、この世界は、紋章が人を支配しているんだからね。」
「…………。」
何か言いたげな、その瞳。
抗うことも出来ず、誰かに助けを請う事も出来ず、必死にもがき苦しんでいるようにも見える、その哀しげな草原色の瞳。
きみは、俺に、何を伝えようとしている?
「宿主に死ぬつもりがなくても、運命が……時として、それを強いる可能性もあるってことさ。」
「そうか。それなら、きみにも?」
「………さぁ、どうだろうね。」
きみは、俺に、『何』を、伝えようとしている?
「でも、それに抗う事が出来るのも、人なんじゃないか? 現に今、こうしてその”運命”とやらに抗おうとしている者たちが、ここに集っている。」
「……そうだね。”人”だよね。でも……それをするには、とても……とても強い”意志”がいるんだよ。」
きみは・・・・・
「確かにそうだな。過去を思い返しても、俺一人の力じゃ何も出来なかったってのは認める。でも、誰にだって『仲間』や『家族』がいるだろう? 皆独りじゃない。もちろん、きみも。」
「……僕には、まったく縁の無いものだね。それに、欲しいとも思わない。」
きみは、誰に・・・・・何に、縋ろうとしている?
表裏が、うまくかみ合っていない。目の前の少年が、思っていたより脆い存在だと知った。
その心の底が気になって、静かに左手を差し出す。思っても無いことを口にするな、と。
しかし少年は、差し出したその手を取ることなく・・・・『話は終わりだ』とばかりに視線を逸らした。
「……下らない話をしたね。それより、彼女に別れは言ったのかい?」
正確に別れを告げたわけじゃない。きっと彼女は、これからすぐに自分が出発するとは、考えてもいないだろう。先の話を頭の隅に留めながらも、目の前の少年に彼女の事を見透かされた気がして、思わず苦笑い。
「流石だな。」
「……やっぱり、僕のこと馬鹿にしてるね?」
「いや、ぜんぜん。むしろ褒めたんだけどな…。」
自分の褒め言葉すら癪に触るのか。睨みつけてくる少年に、もう苦笑いしか出ない。
「まぁ、彼女とは………いつでも会えるからな。」
「…………。」
「それに、彼女のことだから……絶対泣くだろ?」
「……そうだね。」
ここでそう答えた少年に、『やはり分かっている』と思った。
「そうさ。それに、彼女に泣かれたら……そのまま攫ってしまうだろうからな。」
「……なんだって?」
「なんでもない。彼女が俺を必要としてくれるなら、いつでも飛んでいくってことかな。」
「……………。」
少しだけ本音を見せて、笑った。
対する少年は、自分の本音を聞いて、苦虫を噛み潰したような顔。それが本当に嫌そうだったので、思わず吹き出してしまった。
やっぱり、先のあの言葉は、ひねくれた反抗期ゆえのものだったのだろう。
「まぁ、きみの事だから、ずっと彼女のことを支えてくれるだろ?」
「……別に。」
「素直じゃないな。まぁ、彼女がそれを気に入ってるから、それで良いさ。それじゃあな。彼女のこと、宜しく頼むよ。」
「……………。」
あえて彼女が言いそうな台詞を使うと、案の定、面白くなさそうな顔。本当に期待を裏切らない『姉弟』だ。
「なぁ、ルック。ついでと言っちゃなんだけど、彼女に伝言頼んでも良いか?」
「……なに?」
「『また会おう』ってさ。」
その言葉に、少年は、一瞬なにか物言いたげな顔をしたが、小さく「…分かった。」と言うと、屋上へ上がって行った。
その背を見送って、踵を返す。
「俺は……俺だけは、絶対にきみを置いて逝ったりしない。だから……”また”会おう。」
罰を宿した青年は、誰に気付かれることもなく・・・。
それから、すぐにこの城───この大陸から姿を消した。