[人─ひと─]
ざわざわと、音を立てて駆け巡り始めた”それ”に気を取られていたが、ルックの声が自分を現実に引き戻した。
「きみ、聞いてるのかい?」
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた…。」
「それで…」
「……あー、ごめん。その話はイヤだ。無し。無理。したくない。」
その話題から離れたくて、はっきりとその意思を見せた。だが、今日の彼は、それで許してくれそうにないらしい。そのペールグリーンの瞳が、真っ直ぐ自分に向けられている。
話を逸らすな、と、彼は言っている。
思わず、ため息が零れた。
「……はぁ。そうだよ。確かにあんたの言うように、すんごい増えてる。」
「だろうね。たかが2、3人程度で、あれだけ微弱だったきみの魔力が、これほど大きくはならないよね。」
「そうだよ。あんたが想像してる以上の数と”共鳴”してるよ、私は。」
「……そう。」
いつもの素っ気ないそれとは違い、彼は、少し歯切れの悪い返事をした。本音を言えば、すぐにでもその話を終わらせたかったのだが、彼が許してくれない。
なんとなく気まずくて目を逸らしたのだが、それが気にいらなかったのか、彼は言った。
「ねぇ。目、合わせなよ。」
「……やだー。」
「。」
彼が苛立つと分かっていても、目を合わせたくなかった。
彼女の態度に、苛々した。
いつもなら、確かに彼女が「嫌だ。」と言えば、その話を終了して別の話を始める。
しかし、今回ばかりは、彼女の我が儘を通すわけにはいかない。言うなれば、それは彼女自身の『負荷』に関する事なのだから。
これは少々強引にいかなくてはならないか。そう考えて、椅子から立ち上がり、彼女を力づくで今しがた自分の座っていた場所に座らせた。そして、無理矢理その頬を両手で包んで、強引に視線を合わせる。
そこまで自分がゴリ押ししてくるとは思っていなかったのか、彼女は焦りだした。
「ちょっ、ルッ、待って!」
「うるさい。少し黙りなよ。僕は、目を見ろって言ってるんだよ。」
「だから、嫌だって言ってんでしょ!!」
慌てたように、彼女が、力づくで腕を離そうとしてくる。
その必死の様子に苛立ちが限界に達し、ルックは、とうとう声を荒げた。
「!!!!!」
「ッ……いやだ!!!」
バチッ!!!
「っつ……。」
一瞬、なにが起こったのか分からなかった。彼女が叫んだと同時、『見えない力』が、自分の手を思いきり弾いたのだ。
だが驚いたのは、自分だけではないようだ。
「な……に、今の……?」
彼女も、目を大きく見開いていた。
「なに……なんなの…?」
「…………。」
ルックには、すぐにその『正体』が分かってしまった。思わず閉口する。
今、自分の手を弾いたのは、彼女が無意識に作り出した”壁”だったのだ。これには、正直驚かざるをえなかったが、彼女に『何故”それ”が出来るのか?』とは、口が裂けても問えなかった。
見えない壁を作り出す為には、それ相応の魔力と、それを操るだけの技術が必須となる。
そしてそれは、一般の人間に簡単に成せるものではない。心身を極限まで高めた者か、もしくは生まれつき魔力の高い者にしか出来ない芸当なのだ。
例え、それが『真なる紋章』を宿している者だとしても、宿して数年やそこらで出来るものではない。
彼女が、創世の紋章を宿した当時、その魔力は『普通』とも呼べぬほど微弱なものだった。
それすら当時の彼女にとって苦痛であった事を、ルックは今でも覚えている。だが、それは本当に微々たる量だった。
そんな彼女が、百年以上を生き、何人もの継承者と共鳴をしてきて魔力を高めていったことは、容易に分かる。
だが、これほどの事を”無意識”にやってのけるなど、これは並大抵の魔力ではない。それを彼女は、自分の目の前で、いとも簡単に行った。本来なら、人が持つことを許されない巨大な力を使って、自分を拒否したのだ。
彼女の魔力が、いかに人ならざるものになってしまったか・・・・・垣間見えた瞬間だった。
未だ状況を理解できないのか、彼女は唖然としている。
しかし、それでは埒が明かないと思ったのか、伺うように自分を見つめた。
「ねぇ…。」
「……なに?」
「今のって……なんなの?」
「今のは…」
それを答えるべきか否か、正直迷った。それを教えたところで、彼女に宿る魔力が減るわけでもないし、彼女の中の疑惑に『確信』を持たせるのも嫌だったからだ。
しかし、やはりこれは、当人も知るべき事なのだろう。
「今のは………きみの魔力が成したことだよ。」
「私の…?」
「今、きみが作り上げたのは………俗に言う『魔力の壁』さ。」
「え……ちょっと待ってよ、それって…!」
「……そうさ。きみの紋章が、宿主であるきみの”強い拒絶”を汲んで、魔力の壁を作り出したんだ。」
「え、待って……ちょっと待ってよ…。」
「要するに、きみは、さっき僕を拒絶した。そのきみの意思を感じ取った紋章が、僕を近づけないようにと、あの魔力の壁を作り出したんだ。」
「……………。」
ようやく理解したのか、彼女は視線を落とし、神妙な顔つきをした。
それを横目に、ルックは、そっとため息を吐いた。先ほどの考えを伝えられなかったからだ。言おうと思えば言えたのに、どうしてもそれが出来なかった。
『きみは……”人”を、はるかに超越する”力”を手に入れてしまった。そして、これから”共鳴”を重ねるごとに……それは、更に増大していくんだよ…。』
目を伏せ、思った。彼女も人でなくなってしまうのか、と。
それがなんだか悲しかった。苦しかった。
でも、それは決して彼女に悟られてはならない。
それ故か、表情が硬くなる。
例え、人でなくなったとしても、それはあくまで『魔の力』だけなのだ。
例え、それだけの力を持っていたとしても、自分とは違い、それでも彼女は『人』なのだ。
故にルックは、「戦争が終わっても、獣の紋章の事は、忘れないようにしなよね…。」とだけ言って部屋を出た。
彼女は「そうだね…。」と返答したが、俯いていたため、その表情を見ることは叶わなかった。
だから、彼は、知らなかった。
「そっか……。やっぱり、そうだったんだ……。」
残された部屋で、ポツリと呟く。
彼と話したことで、今まで抱いていたそれが『確信』として、心深くに突き刺さったのだ。
「ようやく……分かったよ…。」
ポツリ、ポツリ。
「私……もう、人間じゃないって………ことなんだよね…?」
誰もいないこの小さな部屋で、言葉が虚しく消えてゆく。
そう。
彼は、知らなかった。
彼女が、すでにその”答え”に辿り着いていることを・・・・・。