［残された者たち］
翌日、ルックは、からの別れの言葉を彼女に伝えた。
話の流れで本人からホイホイ伝言を引き受けたものの、”また”という言葉を聞いた彼女が、泣いてしまうのではないかと思ったが、それを受けた当の本人は、ただ「…うん、分かった…。」と、少し眉を下げて微笑んだだけだった。
正直、意外だった。
涙を流して、伏せるかもしれない。我を忘れてしまうかもしれない。そう思っていたからだ。
しかし、彼女は、落ち着いた様子で目を伏せると、「ありがとね…。」と言った。
それから、数日が経った。
その日、は大広間にいた。
時刻は、とうに深夜を回っていたが、シュウの声の下、大広間に大勢の仲間が集まったのだ。普段は、ここに縁のない者達もいるところを見ると、どうやら何か大きな動きがありそうだ。
物珍しさを覚えながら辺りを見回していると、隣にルックが立った。
「あらあら、まぁまぁ！ あなたは、ルックさんじゃありませんか！」
「………きみ、誰になりたいのさ？」
「いや別に、何となく…。今日さ。いつもと違って、なんか人多くない？」
「…………。」
問いに答える気もない彼の態度が何となく面白くなくて、その頬をつついてみる。鬱陶しかったのか、呆れ顔でため息を吐かれ、ジロリと睨みつけられた。
「……何するのさ。」
「可愛げがないから、少しでもあんたが可愛くなれますよーに！ っておまじない。」
「……まじないを信じるほど、きみ、若かったっけ？」
「あんた、やっぱ可愛くない…。」
その造りの良い頭をはたいてやろうと思ったが、思わず思いとどまった。
彼の額にグルグル巻かれていた包帯は、とっくに取れていた。そして、抜糸もとうに済んでいたのだが、その傷跡は今もくっきり残っている。
本人は「もう痛くない。」と言って、新しいサークレットを付けているものの、やはり少しカユミが残っているのか、時々それを外しては、傷跡周りをコチョコチョと掻いている姿を見かける。
その姿が、見ていて可愛いと思うものの、なんだかもどかしかった。
一度、必死に抵抗を試みる彼を腕力の下に抑え込み、無理矢理傷跡を見せてもらったことがある。そして、思わず感動してしまった。剣を扱う者が見ても見惚れる程、綺麗な切り口だったのだ。
それなのに『痕が残る』という矛盾を指摘したのだが、彼は「…うるさいよ。」としか言わず、結局教えてもらえずじまい。それならばと、縫合を担当したホウアンに聞きに行ったのだが、ルックに先手を取られたのか「プライバシーですから。」と笑って追い返された。
痕は、くっきりと残っている。ずっと残り続ける。それこそ、彼が生き続ける限り。
なまじ、顔が綺麗な造りをしているだけに、ざっくり刻まれたそれを見る度に、本当に申し訳ないという気持ちが湧き起こった。
本当に、本当にごめん。そう何度も告げたのだが、その度に「…自惚れるんじゃないよ。」と言われ、その言葉を拒否し続けられた。
自分を守るために傷を負った、彼。それなら、そんな彼に、自分は何が出来るだろう？
しかし、その考えすら見通されていたのか「…下らないことを考える暇があるなら、飲酒の量を減らしなよ。」と言われてしまっては、頭が上がらない。
それが、彼なりの自分を気遣う言葉だと、分からないはずもなかったのだから。
「？」
「あ…、なんでもない。」
「……ふーん。明日は、雨か槍でも降るかな。」
「はぁ…。」
暗に『手が出ないなんて珍しい』と言われたのだが、それも彼なりの気遣いなのだと分かっていたので、ひっ叩く気も失せる。
それから、すぐに大広間の扉が開き、が入ってきた。
彼が中央に立つと、シュウは一つ頷いて、一人一人の顔を見回しながら話し出した。
シュウは、『ロックアックスを落とす』と言った。
曰く、囮役のキバに傭兵隊の砦まで赴いてもらい、王国軍の一部がそこへ向かったのを期に、同盟軍本隊がロックアックスを奇襲する、という策だ。
や他の重鎮達もそれに賛同し、皆がこぞって声援を上げた。
すると、そこへレックナートが現れた。
だが、彼女の姿を見たは、いつかの件を思い出し、思わず退出した。
ルックが何か言いかけたが、それを無視して足早に広間を出た。
別に、もう彼女と話したくないわけではなかった。むしろ『申し訳ない』という気持ちでいっぱいだ。
だが、謝るにしても状況が状況だったし、とはいえ目を合わせるのも気まずかった。謝るのは簡単だが、そう簡単に謝るシチュエーションになるものでもない。
故に広間から出て、一人になれる場所を探した。そこが屋上だった。
途中、酒場へ足を運び、店主から酒を調達していたので、それを片手に物想いにふけっていた。
すると、広間での話し合いが終わったのか、フリックがやってきた。
「あれ？ お前、いつの間にいなくなったと思ったら……こんな所に居たのか？」
「……あぁ、フリックか…。」
「あぁって、お前な…。」
彼は、自分の言葉を『どうでもいいけど』という意味に受け取ったのか、呆れたような顔をして隣に腰掛けた。
満天の星空と、自分の隣には、見目麗しい色男。酒の肴にはもってこいだ。
「……んで？」
「ん？」
「なんか、用があったんじゃないの？」
「いや、何も。」
「あー、あれか。たまたま私がここに居たってことね？」
「まぁ…そうだな。」
彼の答えは、実に歯切れの悪いものだったが、気にならなかった。言う必要のある事なら、躊躇はしていても、最終的には言う男だ。それなら待てばいい。
酒が回ってきたのか、少しだけ目蓋が重くなったが、気長に待つつもりだった。
すると彼は、戸惑いながら口を開いた。
「、お前…。」
「ん、なに？」
「お前……その………結婚、してるのか？」
「……は？」
「だって、それ…。」
彼が指さしたのは、自分の左手。それで思わず『しまった』と顔を顰めた。ほろ酔い気分で、手袋を取っていた事すら忘れていた。
自分の左の薬指に光る銀の指輪が、夜の灯りを反射して、静かに煌めいていた。同時に思い出す。自分にこれを贈ってくれた、愛しい人の顔を。
だが、それは、目の前の青年には関係のないことだったし、ここで暗い雰囲気にすることを望んでいなかったので、笑顔を作った。
「まぁ……実際に、式っていう式は、上げてないんだけどね。」
「…？」
どういうことかと、彼の瞳が問うている。
「式は、上げてない………けど……」
それ以上、言葉にならなかった。
”彼”に貰った、この指輪。それに刻まれた、その言葉。
そして、その指輪を自分に贈った、その意味。
そして、あの時の・・・・・・彼の言葉。
結婚式に使うものだと、彼は言っていた。その言葉を、今でもよく覚えている。
けれど、実際に式を挙げたわけではなかった。式を挙げたわけでも、誰か仲人を立てたわけでも。誰かに・・・・祝福されたわけでも・・・・・
でも。
あの時、確かに式を挙げたわけでも、誰かがその誓いを見届けてくれたわけでもない。
けれど、それでも自分は、あの時確かに幸せだった。彼もきっと幸せだった。
だから、今度は、はっきり言うことが出来た。
「結婚……してるよ。ただ、式を挙げなかったってだけで…。」
「……同盟軍の奴か？」
「ん、違うよ。」
「じゃあ…」
「んー…。まぁ……………もう、いないんだわ…。」
ズキ・・・。言って、胸が痛んだ。
そこまで聞かれるとは思っていなかったので、とりあえず素直にそう答えた。けれど、少しだけ後悔した。隣を見れば・・・・あぁ、やっぱり。そんな顔をさせまいと、努めて明るく言ったつもりだったのに。
その先を悟ったのか、彼が、小さく「済まない。」と呟いた。「気にしないで」と笑って返す。すると彼は、暫し視線を伏せていたが、やがて言った。
「俺も……。３年前に、恋人を亡くしたんだ…。」
「…………。」
「あの、解放戦争で……。」
「解放戦争で…？」
グルグルと、その言葉が頭を回った。
それは、トラン領内全域で巻き起こった内乱だったと聞く。腐敗した政権、汚職にまみれる官職。苦しむ民の為に立ち上がり、見事赤月帝国の皇帝バルバロッサ＝ルーグナーを倒したのが、あの＝マクドールだと知ったのは、そう遠い日ではない。
その時に、彼は亡くしたのだろう。自分と同じように。
その戦で消え行く命の中に、彼の大切な人も、自分の大切な者も含まれていた。
亡くしたのは・・・・・・自分だけではない。
そして、きっと彼も思ったはず。
何故あの時、愛する人を助けることが出来なかったのか、と。
ふと、目が合った。暫く無言で見つめ合う。先に視線を外したのは、彼の方だった。
「お前……出身は、どこなんだ？」
「えっ？ と…。」
「……いや、いいんだ。誰にでも、言えない事はあるからな。済まない。」
「あー…。こっちこそ、気ぃ遣わせちゃって、ごめん。」
一応、自分の出身として『トラン』を思い浮かべたのだが、ではどの村なんだと聞かれたら答えに詰まる自信があったため、彼の言葉に甘えた。
「俺の生まれた村は、トランの西方にあって……『戦士の村』というんだ。」
「戦士の…？ あぁ、あそこの生まれなんだ？」
「…知ってるのか？」
「うん。昔、ちょこっと見物に行ったぐらいだけど。」
旅をしている時に、いつだったか立ち寄った記憶がある。
それがもう何年、何十年前なのか覚えていないが、その名前だけは記憶していた。
そこから暫く沈黙が流れる。彼は、何か考えているようだった。
「……俺の村は、少し特殊な風習があるんだ。」
「風習？ …どんな？」
「自分の武器に、大切な人の名前を付けるんだ。」
「大切な…」
そう言った彼は、腰に吊る下げていた剣を引き抜いた。
「フリッ…」
「”オデッサ”と………言うんだ。」
スラリと抜き放たれたその剣は、月の光を反射して、優しく輝いていた。
それを見て考えた。なぜ彼は、自分にそのような話をしたのか、と。
だが、彼はそれから口を閉じ、黙って月明かりに照らされた『オデッサ』を見つめるだけ。
けれど、それで確信した。
彼もやはり自分と同じ。未来永劫変わることなく、その女性を愛し続けるのだ。
その横顔は痛いぐらいに真っ直ぐに、オデッサを見つめていた。その眼差しが、悲しみと後悔に満ちていることに、心が痛んだ。
それは同情でも、まして哀れみでもなく、自分の恋人への誓いを思い出させた。
そして、果たされなかった”約束”を・・・・。
この目を、私は知っている。彼を通して、自分を見ているからだ。
愛する者に残されてしまったその悲しみに、身を引き裂かれる。けれど、その人を生涯愛し続けることだけは、絶対に貫き通す。
思わず涙が滲んだ。彼の想いに。
だが、それを見た彼は、慌てたように剣をしまい───自分が泣かせたと思ったらしい───「大丈夫か？」とか「済まない…。」と言った。
上手く取り繕いながら「ごめんごめん、何でもないよ。」と笑顔を作ると、彼は、少し安心したのかホッと息をついた。
ひとまずその場は落ち着きを取り戻したが、一つだけ、気になることがあった。
「ねぇ。あんた……なんで私に、その話をしたの？」
「何で、か…。なんでだろうな？ 俺にも、よく分からない。」
「……変なの。」
可笑しくなって笑うと、彼も、困ったように笑った。
「でもな……。お前には、なんとなく聞いてもらいたかった。」
「……あんた、私を買い被ってない？」
「そんなんじゃない。でも、お前といると……何でもかんでも話しちまいそうになる。迷惑にならない程度に気をつけないとな。」
「迷惑じゃないよ。でも……ありがとう。」
「俺だけじゃない。やビクトールも、お前に対して、きっとそう思ってる。」
「…そっか。」
言い終えて、彼が立ち上がる。それを目で追いながら、酒瓶を傾けた。
「それじゃあな。」
「うん、おやすみ。良い夢を…。」
手を振り、別れを告げる。
と、彼は思い出したように立ちどまり、振り返った。
「っと………。」
「ん？」
「あまり夜更かしするなよ。」
「……私、もう子供じゃないんですけど？」
「分かってる。でもな……。眠れない夜なんて、そう良いもんじゃない。」
「……ありがと。」
彼は、下りて行った。
その背にもう一度「ありがとう。」と呟いて、もう一口酒をあおった。
「大切な人の名前、かぁ……。」
蒼き青年の気配が完全に消えたのを確認して、自嘲的に口元を緩めた。
閉じた目蓋の裏に浮かぶのは、永遠を誓った『彼』の姿。
無意識に左手を腰にやると、カチャ、と音が鳴った。ずっとずっと昔に手に入れた、愛刀。これまで自分を支え続けてくれた、大切な相棒だ。
すらりと刀身を引き抜き、月明かりに照らされたそれをじっと見つめた。
「テッド………。」
何よりも愛しい人の名前。この世界の何よりも、恋しい人の名前。
なんだよ、と。少し照れたような返事は、もう返ることはないけれど・・・。
先ほど聞いた、青雷の故郷にある風習。それを真似てみても罰は当たらないかと思った。その村の出でなくとも、少しぐらい真似しても許されるだろうと。
殺すためではなく、守るためにと誓ったそれに、誓いの口付けを。
「…………愛してる。」
自分の全てを共有してきた”それ”は、それに答えを返すよう、月の光を反射した。
