[死の静寂]
それからすぐ、ホウアンが、シュウを呼び止め医務室へ入っていった。それに違和感を覚えたが、扉の前で肩を震わせ続ける少年を見るに堪えず、視線を伏せる。
今は、声をかけるべきではない。それは、きっと自分の役目ではない。
だから、何も言わずにその場を立ち去った。
そんな彼女の背を黙って見送っていたルックは、小さくため息をついた。
に視線を向けてみるも、彼は、未だに俯いたまま声を発することもしない。
気を遣ったのか、周りの仲間達が、次々にその場から去っていった。アイリが、唯一彼に声をかけようとしていたが、姉のリィナに止められて、涙を流すボルガンを連れて、やはりその場を去って行った。
彼と共に残されたのは、自分だけだ。その距離は、さして近くはない。しかし遠くもない。
じっとその背を見つめていた。しかし、彼に動く気配は見られない。
その背を見つめながら、考えた。
泣いて・・・・いるのだろうか?
いや違う。握られた拳は震えているが、そうではない。
涙が出ないのだ。突然、突きつけられた現実に。
彼は『もしかして…』と思っていたかもしれない。『いや大丈夫だ』と思っていたのかもしれない。そのどちらかは分からないが、きっと後者を強く願い、望んでいたに違いない。
きっと助かる。そう信じて・・・・。
けれど、現実は、そんな淡い期待さえ打ち砕くほど残酷だった。
嘘だ、信じられない。こんなはずじゃ・・・。
そう、きっと誰もが思っただろう。
だから、彼は、泣けないのだ。
ルック自身、3年前の解放戦争を経て、人の死というものを直接経験している。
自分と話した事もない者も沢山いた。僅かな縁の者も沢山いた。それでも、誰かが”死ぬ”というのは、到底気分の良いものではなかった。
自分の心臓を鷲掴みにされるような感覚、というのだろうか。ならば、きっと情の通じた相手であれば、尚更────それが肉親や友人だとしたら、それは、心に相当量のダメージを与えるのだろう。
そこで、ふと、疑問が湧いた。
トランの英雄は、あの戦争で、父と親友を亡くした。
目の前の少年は、唯一の肉親である少女を亡くした。
そして、創世の継承者である彼女は、親友と恋人を亡くした。
皆、かけがえのない、唯一無二とも言える大切な者達を・・・・。
次に湧いたのは、『絶対にどうする事も出来ない』と、確信を持って言える、”あるはずの無い未来”に対する疑問だった。
もし・・・・・。
もし、彼女が、自分を置いて逝ってしまったら?
もし、自分よりも先に彼女が逝くようなことがあったら、自分はどう思うのだろう?
・・・・・・・・。
想像しただけで、胸がザワザワと波打った。剣で一突きされた方が何倍もマシだろう、苦み。どうしてだろう、気持ち悪い。吐き気がする。酷く不快だ。
彼女が死ぬなど・・・・・そんなこと、万一にも、あるはずが無いのに。
『だって、きみは………。』
ふと、視界の端で捕らえたのは、赤。
それが誰か分かったので、視線を上げられなかった。
”赤”は、ふらりと覚束無い足取りで自分の横を通り過ぎると、渡り廊下の方へと消えて行く。
赤の──の向かう先を思いながら、ルックは、芽生えた疑問を振り切るように頭を振った。
医務室から自室へ戻ったに出来ることといえば、酒をあおることぐらいだった。
部屋につき、即座にいつも酒を置いてある棚へと向かう。
それを手にして、中身が空になっていることに気付いた。酒場で調達するしかないかと考えたものの、こんな時に出歩きたいとは思わなかったため、断念する。
そういえば、いつか「お口に合えば良いのですが…。」と、カミューに渡されたワインの事を思い出し、それを取り出した。
実を言えば、ワインは好きでなかったが、今は酔えるものならなんでも良い。悲しみで胸が押しつぶされそうなこの心を緩和するには、アルコールを体内に入れる必要があった。
綺麗に施された包装を解き、セットになっていたオープナーを使ってコルクを抜くと、グラスを使わずに、血色のそれを喉に流し込んだ。飲み込む音が、鼓膜に響く。
この地へ来てから、だいぶ飲むようになった。
元々好んで飲むほど酒好きでもなかったが───ある時期は、浴びるほど飲むこともあったが───その味にもだいぶ慣れたところを見ると、少なからず中毒症状が出ているのかもしれない。この短期間の間に手放せなくなるほどに・・・。
ルックやに「飲み過ぎだ」と止められたことも何度かあった。心配されるほど迷惑をかけている自分に情けなさを覚えたが、どうしても止められない。
・・・・・コン、コン。
「………?」
静かな部屋に響いたのは、とても小さな音だった。
こんな夜更けにいったい誰かと思いながら、「だれ?」と小さく問うてみる。しかし返事はない。だが、外からは、息を飲む気配。
「………あぁ。」
誰がここへ来たのか、なんとなく分かってしまった。
そっと扉を開けてやる。
「…………。」
扉の前に立っていたのは、軍主である少年だった。
彼は、俯き、視線を落としたまま。
無言で扉を開けて、は、彼を招き入れた。