[悲しみを越えて]



 朝。

 ふと目が覚めた。だが、頭はまだ起きていないのか、ぼんやりと夢現を行き来している。
 昨夜のことを少しずつ思い出しながら、部屋を見回した。どうやらここは、彼女の部屋のようだ。

 そこで、一つ疑問。
 昨夜、彼女に連れられて、何処かも分からない場所へ行った。そこで彼女は「泣いて良い」と言ってくれた。そんな彼女に縋りつき、大声で泣いた。
 もしかしたら、その後、泣きつかれて眠ってしまったのかもしれない。そんな自分を、彼女がここまで運んでくれたのかもしれない。
 少しだけ恥ずかしくなったが、気持ちは、少しすっきりしていた。

 そういえば、と思い出す。
 彼女が、『転移魔法』というものを使えたことには、大層驚いた。
 なまじ、剣を主体に土紋章を併用して戦うので、一般的な剣士タイプかと思っていたし、額や左手には戦闘補助の紋章しかつけていない事も、もちろん知っていた。
 それ以外の紋章を使用しているところを、見たことがなかった。その戦法は、どちらかと言えば、あまり紋章を多用する方法ではなかった為、彼女が『転移』という高等魔法を使用できるとは、全く思っていなかった。

 「本当に……なんでも出来るんだなぁ…。」

 剣に魔法に。彼女は、本当になんでも出来る。
 剣の手入れを怠ることはもちろん無く、紋章に関する知識もあり、更に言えば、その人その人に合った封印球を選ぶことにも長けている。
 そして、ひとたび戦に出れば、彼女の所属先である団長ルックに傷を負わせるようなことは絶対にないし(一度だけ、額に怪我をしているのを見たが、詳細は教えてもらえなかった)、ルック部隊の撤退時も自ら殿を務めるなど、実に幅広い役割をこなす。
 料理は「メンドクサイから、あんまやんない。」と言っていたが、時折レストランの調理場を借りて丼ものやら揚げ物やら菓子を作っているのは、ハイ・ヨーから聞いて知っている。

 「本当に………なんでも………。」

 静かに扉が開いた。
 顔を上げると、彼女が盆を片手に立っている。

 「あれ、目ぇ覚めたんだ? おはよう。」
 「あ……おはようございます。」

 色々盛られている盆をテーブルに起きながら、彼女は微笑んだ。そんな彼女のベッドで寝ていることに気づいて慌てて飛び起き、誤摩化すように少し寝癖の付いた髪をいじる。
 それを見ていた彼女は「あんたは、地毛が真っ直ぐだから、すぐに直るよ。」と笑った。

 「ね、お腹空いたでしょ?」
 「あ、はい。言われてみれば…。」
 「そうだと思って、ハイ・ヨーに頼んで、朝飯作ってもらったよ。」
 「え?」
 「ほら、早くそこ座んなよ。」
 「は、はい。」

 まだ寝癖が気になったが、言われた通り向かいの席に座った。盆には、作り立ての料理が、ほかほかと湯気を立てている。

 「わぁ…!」
 「あんたが好きなのって分かんなかったから、適当に色々頼んでみたよ。食べたいやつ食べな。」
 「はい、ありがとうございます!」

 食べようか、と手を合わせた彼女と共に「いただきます。」と言ってから、まずペッパーステーキを口に入れた。
 だが、ここで、彼女が目を丸くした。

 「…どうしました?」
 「いや、いきなり肉からいくとは、思わなかった…。」
 「変、ですか?」
 「いや? 変じゃないよ。ただ……若いって良いなぁと思って…。」
 「? 何言ってるんですか。さんだって、充分若いじゃないですか。」
 「あー…はは……そうだよね…。私も、まだまだ若いよね…。」

 苦笑いして、彼女が明後日の方を向いた。いったい何だろうと首を傾げたが、返答は得られない。気になりつつも、次は何を食べようか考えていると、彼女の頬張る物に目がいった。

 「それって、何ですか?」
 「ん? あぁ、これ? 群島諸国風のサラダだよ。苦手?」
 「あ、いえ、そうじゃなくて……珍しいなって…。」
 「これ、美味しいよ。食べてみる?」
 「はい。」

 一口お裾分けしてもらい、食べてみる。デュナン地方とは違うドレッシングの味だが、とても美味だ。

 「どう? いけるでしょ?」
 「…ん、はい。美味しいですね、これ。」
 「群島諸国って、魚料理が多いんだけど、あっちは比較的なんでも美味しいよ。機会があったら、一回行ってみると良いよ。」
 「はい。でも、詳しいんですね。」
 「あー…。まぁね…。」

 苦笑する彼女。それを見てなんとなく、今まで聞けなかったことを口にした。
 どうせなら、これを機会に聞いてみようと。

 「さんって、出身はどこなんですか? もしかして、群島諸国ですか?」
 「へっ? あ、いや……違うよ。」
 「それじゃあ、別大陸ですか?」
 「ううん…。」
 「じゃあ……あ! もしかして、ハルモニアですか?」
 「ッ! あァッ!? ハルモニアだァッ!? 冗談じゃねーぞッ! だぁーれが、あんなクソッタレたクソウゼー国ッ…!」
 「ヒィッ! す、済みません! 何でもないので、忘れて下さい!!」

 ハルモニアと聞いた途端、ダンッ! とテーブルを叩いて立ち上がり、ブチキレ出した彼女。それに驚いてとりあえず謝ってみたものの、収まらないのか「あのクソモニアには、絶対近づくなよッ! 行ったら、とんでもねー目に合わされるからなッ!」と息まいている。
 過去、よほど嫌な目に合わされたのだろうか?
 とりあえず、彼女が落ち着くのを待ってから、次の候補を口にしようとした。

 「それじゃあ…」
 「あー…。トラン………かな。」

 その答えは、彼女自身に問いかけるようなものだった。・・・・なにかおかしい。
 けれど彼女は、それでも答えてくれた。

 「…………。」
 「どした?」

 いつも、誰に対しても分け隔てなく接する彼女。誰とでも気さくに話す彼女。
 けれど、ただそれだけ。彼女の事を、自分は何も知らない。
 彼女は、人の話を聞いたり相談に乗ることはあっても、自分のことを語ることはしない。出身も過去も、その考えも。笑って「…さぁ?」と流してしまう。
 それとなく道を示してくれることはあった。しかし、自分が彼女になにかしてやれた事は、何もない。戦いの中でも、静かな一時の中であっても。いつも守られているのは、頼ってしまうのは自分だった。
 それが少し悲しくもあったが、今、彼女が少しでも自分に教えてくれたのが、嬉しかった。

 彼女は、優しく抱きしめてくれた。
 姉を亡くした自分を、支えてくれた。
 それがとても暖かくて、落ち着いた。

 そこで、ふと、昨夜のことを思い出す。

 矢で身体を貫かれた、姉。
 お姉ちゃんて呼んで、と、泣き出しそうな笑みで自分を求めてくれた、姉。
 自分が弟で良かったと、ジョウイが友達で良かったと、涙を流しながら笑っていた、姉。
 自分にとって、何よりも大切な家族が、まさかあんなことになるなんて・・・・
 ・・・・・・いったい、誰が予想できた?

 『ナナミ……。』

 じわりと目頭が熱くなる。昨日、あれだけ泣いたはずなのに。
 それでも全然足りない。足りないのだ。涙が、ポロポロ零れた。
 ふと、頭を撫でられた。それが彼女の手であることが、僅かな救いだった。
 彼女は、悲しそうに笑いながら、自分を胸に閉じ込めた。
 ゆるやかに木霊する、彼女の心音。落ち着いた緩やかな音色。

 ・・・・いつまでも泣いてばかりはいられない。そう思った。
 だから、言った。

 「さん……。」
 「うん?」
 「これで……これで最後にします。僕が泣くのも、こんな悲しい戦いも………全部。」
 「……うん。」

 「だから………今だけは……。」

 全て、終わらせよう。
 だから、今は、もう少しだけ・・・・・






 「少しは、楽になった?」
 「はい!」

 もう大丈夫です、と顔を上げた少年は、いつか「最後まで戦い抜く。」と言っていた時と同じように、その瞳に固い決意を宿していた。
 それは、少年から同盟軍のリーダーに戻ったということ。

 けれど、少し不安だった。まだ泣いていても構わないと、そう思っていた。
 そう伝えるも、彼はそれを辞退した。全ての悲しみを終わらせる事が、今の自分が出来る精一杯の事だ、と言って。
 それに少し寂しさを覚えたが、反面、成長していくさまを嬉しく思った。
 笑いながらその頭を撫でると、彼はくすぐったそうにしていたが、やがて一息ついて立ち上がる。その肩に手を置いて、は言った。

 「あんた、顔、洗っておいで。」
 「えっ?」
 「目が腫れてる。あと、すんごい真っ赤。」
 「あ……は、はい!」

 ありがとうございます、と扉に手をかけた少年。
 その背に、続けた。

 「それと…」
 「はい?」
 「ビクトールやフリックも、あんたのこと心配してたよ。他の皆も。」
 「…はい。」
 「あ、そうだ! シュウから伝言預かってたんだ。『全ての悲しみを振り切ったら、私の所へおいで下さい』って言ってたよ。」
 「…分かりました!」

 ドアノブを回すと、扉が小さく音を立てた。出ていく間際、少年は言った。

 「さん。僕はもう大丈夫です。これから、もっと忙しくなるから……シュウの所へ行ってきます!」
 「…うん。行ってらっしゃい。」
 「それと…」
 「うん?」

 ここで、彼は言葉を区切った。その視線は、自分の左手に向けられていた。
 あぁ、そういえば、今日は手袋をつけていなかった。そう思ったその時、彼が小さく「あ…」と声を出した。

 「なに、どうかした?」
 「いえ……何でもないです。」
 「…?」
 「…本当に、ありがとうございました!」

 少し寂しそうな顔をした彼は、ペコリと頭を下げて部屋から出ていった。
 その胸に、また一つ大きな決意を秘めて。






 今まで気付くことがなかった、彼女の左手で小さな主張をする『存在』。
 その薬指で輝いていたのは、銀の指輪。

 きっと、それは、彼女の愛する人からの贈り物なのだろう。
 彼女は、そんなかけがえのない存在すら失ってしまった。
 でも、それでも自分を支え、微笑んでくれた。

 ・・・・辛いのは、自分だけじゃない。
 誰だって、悲しみを背負って生きている。

 だから、全てを終わらせよう。全てを終えた後でも、きっと遅くない。
 自分は、伝えられるだけの『言葉』を持っている。彼女がくれた『勇気』がある。
 だから、全ての悲しみを絶つ『決意』を。

 彼女がくれた言葉。
 彼女がくれた勇気。

 その全てを胸に、少年は駆け出した。