[最後の戦い─Hearn─]
ようやく達に追いついたのは、二階へ上がる階段に続く扉の手前だった。
ルシアを送り届けた後、城内へ戻ったのはいいが、迷路のような広い城の構造に頭を痛めていたのだ。仕方ないのでルックの紋章の気配を辿り、転移で移動した。
目の前に現れた為か、少し驚かせたようで、が目を丸くしている。
「あ、さん…。」
「ごめーん。追いつけて良かったわー。」
あははと笑っていると、ビクトールやフリックも声をかけてくる。
「お前、一体全体、どこ行ってたんだ?」
「んー。城の中って珍しいから、探検してたんだけど…。」
「迷子になった、とか言うなよ?」
「うっ……図星って言ったら、怒る?」
彼等とは、軽口叩き慣れていた為、話を少しずつずらしていく。困った奴だなと笑われたが、それ以上追求しないでいてくれた事に感謝した。
ギ・・・・ィ・・・。
それじゃあ先に進もう、と、が口を開きかけたその時だった。
重々しい扉が、ゆっくりと、向こう側から開かれたのだ。
その二階へと続く扉から出て来たのは・・・・
「あなたは……。」
「貴様が……………か………。」
出て来た人物にまず驚いたのは、。
彼のその動揺を感じ取ったのか、王国軍第二軍軍団長であるハーン=カニンガムは、僅かに目を細めた。
ルックは、を見つめるハーンの目に、ほんの少しの優しさを見出した。しかし、彼はすぐにそれを消すと、次に確固たる意思を持つ武人の目をする。静かながらも轟々と燃える、厳かで強い瞳。
彼がの養父であるゲンカクと交友関係にあった、というのは周知であり、もちろん皆が知るところだ。かつての彼とゲンカクも、今のやジョウイのように『輝く盾の紋章』と『黒き刃の紋章』を宿し、相争った事も・・・・・・皆が知っていた。
ルックは、ふと隣に立つ彼女を見つめた。彼女は、まっすぐにハーンを見つめている。
と・・・・。
その二人の瞳が重なった。僅かな驚きを見せたのは、ハーンの方だ。しかし彼は、すぐにそれを押し隠すと、何とも言えない微妙な顔をした。
「お前……か…?」
「…うん。久しぶり……。」
そのやりとりで、なんとなく分かってしまった。きっと彼女は過去、彼と出会っていた。それが、どれほど昔なのかは分からないが、もしかしたら、彼女の紋章がそうさせたのかもしれない。それとも、別の何かが働いたのか。
けれど、ルックにとって、それはどうでも良いことだった。
他のメンバー達は、突然二人が会話を始めたことに驚いている様子。そんな仲間達の表情を見ながら『これは、これで面白いかもしれない』なんて思った。
「よもや、お前が……同盟軍に参加していたとはな…。」
「………ごめん。あの時の恩を……仇で返したよね…。」
「いや……。それで良いのだ…。」
先に目を逸らしたのは彼女だ。定めを嘆くように、拳を握っている。
それをじっと見つめていたハーンが、に視線を戻した。そして剣を抜き、その切っ先を閃かせる。
「ハーン将軍……。」
「よ……私は、この皇都を守る将。何があろうとも、貴様らをこの先へ通しはせん!」
「なにを…!」
「ここから先を目指すなら、私を倒して行くがいい!!」
「そんな…! 僕は、あなたと戦いたくは…」
「。」
剣を手に、決意に満ちた瞳で見つめられても尚、武器を取ることが出来ないでいる少年に、彼女が声をかけた。そんな彼女に、彼は、助けを求めるような視線を向ける。
だが、次に彼女が何と言うのか、ルックには分かった。迷うような、葛藤するようなその瞳の中で、今彼に言わなくてはならない言葉を、彼女はきっと分かっていたからなのだろう。
「……戦って。」
「なッ、どうしてですか!?」
「同盟軍のリーダーとして……あんたは、ここにいるんでしょ?」
「僕は、確かに…リーダーです。でもそれ以前に、ハーン将軍は爺ちゃんの…!」
「……甘えんなよ。」
声色低くピシャリと放たれた彼女の一言に、が目を見開いた。それを見ていて、ルックは、『彼女の思惑に気付いて欲しい』と切に願う。
彼女は、怒っているわけではない。叱りつけているわけでもない。それは、その哀願するような哀しさや切なさの灯る瞳を見れば、分かる。
彼女は、きっと『覚悟』したのだ。晴れ晴れとしたものではなく、全く異なった───決別する為の覚悟。
それは・・・・・・・・・亡くす覚悟?
じっと、その瞳の奥を見つめる。悲しみの色に満ちていることだけは、事実なのだ。
彼女の言葉を続けるように、ハーンが言った。
「よ。私は、確かにゲンカクとは旧知の仲だった。だが、私は、このハイランドの将なのだ。この皇都ルルノイエを守る為に、私は……ここにいるのだ。」
「将軍……。」
その言葉に、は、ようやく腹を決めたようだった。ゆっくり武器を握りしめ、構える。彼女の想いで、ハーンの言葉で、彼の『覚悟』が決まった。
その瞳に武人としての重みを携えて、ハーンもまた構えた。
「僕が……お相手いたします!!」
「ゲンカクとの………あの時の勝負を…………今、再び着ける……!!」
その言葉と共に、同盟軍リーダーと、かつての英雄と詠われた王国軍武将ハーンの一騎打ちが始まった。
勝負に打ち勝ったのは、だった。
ハーンが、剣を支えに膝をついた事で、勝負が決まったのだ。
けれどその顔は、どこか喜びに満ちているような気がした。大切な親友の子の、これほどまでの成長ぶりに。
剣で支える力すらなくなったのか、崩れ落ちそうになる彼をが支えた。彼は、腹に力が入らなくなってきているのか、それでも小さな声で、に必死に何かを伝えている。
は、それを、目にいっぱいの涙を溜めて聞いていた。
やがて、ハーンが皆に聞こえるように「行け…。」と言った。
が目を閉じ唇を噛み締めて、その体を赤い絨毯に横たえた。そして振り返ることはせず、扉を開けて歩き出す。
ビクトールやフリック、他のメンバー達も、誰も口を開くことなくその後に続いた。
ルックは、最後尾についた。
だが、ふと立ちどまり、振り返る。視線の先にいる彼女は、そこから一歩も動かない。
ハーンを見つめたまま・・・・・動かなかった。
「…………。」
ルックは、目を伏せ、前に向かって歩き出した。
血にまみれながらも、どこか清々しささえ感じられる顔で倒れている男に近づき、その傍にしゃがみ込む。
もう我慢しなくても良い。ここには、二人だけだから。
ポツリ。
涙が零れた。
この世界に来てから、いったいどれほど泣いただろう。
喜びの涙。怒りの涙。そして、今流しているような悲しみの涙を・・・・。
「ハーン……。」
名前を呼べど返事はない。代わりに、その目がうっすら開いた。
「よ……………30年ぶりになる……のか…?」
「…そうだね。」
「もう………30年か……。お前は………あの頃と、全く変わらんな…。」
「…バカ。知ってるくせに…。」
ふ、と彼が笑うのにつられて、自分も笑った。
話しやすいようにと、その頭を膝に乗せてやる。そして額に手を当てると、彼は言った。
「テッドは……………どうした……?」
「……………。」
その問いに、小さく首を振った。
それで意味を解したのか、彼は、僅かに眉を寄せ「…そうか。」と呟く。
「結局………──だね。」
無意識に、言葉は零れていた。この涙と同じように。
「結局……みんな…………私のこと、置いてっちゃうんだね……。」
「…………すまん。」
かつて自分と連れ添い、旅をしていた”少年”を思い出したのか、彼は詫びの言葉を口にした。だが、その顔は、緩やかに微笑んでいる。
「……なに笑ってんの。」
「お前は………本当に…………変わらないな…。」
「少しは、大人っぽくなったでしょ?」
「いや…? すぐ怒るところなど……。よく、あいつの事を殴っていたのを思い出す…。」
「……馬鹿…。」
目を閉じて、その頬に手をあてた。温もりが、段々と冷めて行く。
血まみれの手を自分に見せて、彼は哀しそうに笑った。
「私は、もう…………こんなに……老いていたのだな……。」
「…………。」
「時の流れには………勝てんな…。」
「…………あんたは、勝ったよ。」
不可解そうに見つめる彼のその手を取って、涙を流しながら笑いかける。
「あんたは…ちゃんと、流れに勝てたよ。負けてなんかない…。流れに乗って、ちゃんと、今ここまで流れ着いたじゃん。あんたは、負けてなんかないよ…。」
「あぁ…………よ………嘆くことはない……。」
「っ……。」
諭すような言葉。それとは裏腹に『申し訳ない』という想いが、僅かながら込められていたこと。それが余計に心を苦しめる。
すると彼は、今できる精一杯の笑顔を見せた。
「私も、ゲンカクも………お前の大切な者は……お前を置いて逝くかもしれん…。だが、どうか、それを………嘆かないでくれ…。」
「…私は…」
「それになぁ、よ……。…俺達は、お前を残したとしても……必ず…戻ってくる。それが…どれだけの時間かかるかは……分からん…。だが………皆、必ず…………お前のもとに、戻って……くる…。」
「…本当に…?」
「あぁ……必ず…………”輪廻”の、名の…………もとに……。」
どうしてだろう。その言葉が、何よりも嬉しかった。
それが、例え生き続ける自分への『慰めの言葉』だったとしても・・・。
何よりも強い、彼の気持ちであるのだから。
「………ありがとう。」
昔から変わらない顔で、彼は笑った。出会った頃から変わらない、少し照れたような笑い方。それは、王国軍の将としてではなく、ハーンという人間の微笑み。
もう一度「ありがとう。」と言うと、彼は、一つ頷き遠い宙を見つめた。
「ゲンカクよ…………やっと私も………休めそう………………だ……ぞ…。」
握っていたその手から、するりと力が抜けた。
それが床へパタッと落ちた事の意味を・・・・知っていた。
「っ………。」
唇が震えた。涙は止めどない。
でも、歯を食いしばる必要など、もうどこにもなかった。
悲しみに暮れる自分とは対称的に、眠りについた彼の顔は、緩やかに笑っていた。満足だと、最後の最後まで笑っていた。必ず、再び出会えるからと・・・・・。
涙を拭う必要は無かった。だから、せめてもと微笑む。
別れの涙に、再開への強い想いを乗せて。その言葉を・・・・・・・信じて。
「……そう…っ…だね……。」
涙は、彼の頬に零れ落ちる。それは、紅と添いながら、絨毯に染みとなって消えていく。
「あんたと、ゲンカクと……………また、会えることを……。」
かつての英雄の体を、そっと真紅の絨毯に横たえた。そして、ハイランドの形式にそって両の手を組ませてやる。
永き安息の眠りについたその顔は、とても、とても安らかだった。
「………私は…………………信じてるよ……。」
最後にそう言い、笑顔を残して立ち上がり、二階へ続く扉に手をかけた。
「え……?」
階段を上っている途中、前方に感じたのは『誰か』の気配。それはとても懐かしく、暖かみのある存在であるものの、どこか違和感を伴っている。
誰・・・? 振り返るも、そこには誰も居ない。
なんとなく、それが誰だか分かった気がして、その名を口にした。
「ゲンカク……?」
懐かしい。けれど、もう存在しないはずの人の名を、静かに呼ぶ。
気配は、自分の横をすり抜けて、ゆっくり階下へ向かって行く。
その『意味』を悟り、最後に”彼等”に一声かけて、は、また階段を上り始めた。
「ゲンカク………………ハーンを…………頼むね。」
当たり前だ、と。
見えない気配が、笑って、そう言ってくれたような気がした。