「お前は……全部知ってるんだな?」
「…………。」
部屋を出ると、椅子にかけていたクヴィンの正面に座り、すぐにそう問うた。
[囚われた暗闇の底で・14]
だが、彼はそれに沈黙した。
「クヴィン、教えてくれ。なんであいつが、あの時のことを覚えているのか。」
「それは……。」
口にするべきか否か。彼は、きっとそれで迷っている。だが、「気になったから…」と言って、ここに来たのだ。その心情の半分ぐらいは『話す』という選択肢があったのだろう。
だからテッドは、もう一度聞いた。
「お前は……全部知ってるんだよな?」
「……………うん。」
間を空けて答えた彼の表情は、とても辛そうだった。
「言ってくれ。」
「…………。」
「いいんだ。俺は、どんな事でも受け止める”覚悟”がある。どんな理由があっても、あいつの傍にいて支えていく。だから…」
「………分かったよ。」
ようやく彼が顔を上げた。それに安堵しつつ、先を促す。
「ブラックルーンは、宿された者の『意識を強制的に閉じて』意のままに支配する、という説明は……前にしたよね?」
「…あぁ。」
「それは、真なる紋章を持っていようがいまいが、関係ないことなんだ。」
「っ!? それじゃあ、なんであいつは…!!」
「…………彼女だからだよ。」
「え…?」
『彼女だから』と。そう言われた言葉を、頭の中で反復する。
彼女だから? 彼女だから、何だというのだ?
目でそう問えば、彼は視線を落として言った。
「結論から先に言うね…。彼女の『紋章』が原因なんだ。」
「あいつの?」
「そうだよ。あれが、かなり特殊な紋章だってことは、きみも『今の彼女の姿』を見て分かっているよね…?」
「っ…。」
何も・・・・言えない。
「『彼女が覚えていなくても、彼女の紋章が覚えている』んだ……あの時のことを。」
「どういう…」
「あの紋章が………彼女にそれを『見せて』いるんだよ。」
「なっ…!」
紋章が覚えている? 彼女の意識がない間も、宿主の腕が切り落とされても、紋章はそれを見続けていたと、そう言っているのか?
どういう・・・・・どういうことだ・・・?
「それと………今は、寝ている間だけかもしれない。でもこれから先、彼女は…………意識がある時にも、まるで白昼夢を見るように、あれを『見せられる』かもしれないんだ…。」
「そんなっ…!」
ガタンと音を立てて椅子から立ち上がる。だが彼に「彼女が起きてしまうから…。」と宥められ、唇を噛みながら座り直す。
「でも、なんで…」
「……まずは、彼女の紋章の話をした方が、良いかもしれないね…。」
「…?」
伏せた視線を上げれば、彼は、何とも言えない表情。
「彼女の持つ紋章は………どの紋章よりも強いけれど、どの紋章よりも弱いんだ。」
「え…?」
「彼女の紋章には、いくつもの封印が施されているんだ。その中の一つに”共鳴”というものがあるのを、きみは知ってる?」
「あ、あぁ…。」
共鳴。それは、真なる紋章を持つ者の中でも彼女だけが行える能力だ。それは知っていた。でも・・・・・・何故、共鳴という事をする?
「テッド…疑問に思った? どうして彼女の紋章が、”共鳴”という能力を持ってるのか。」
「…………俺は、何も知らなかったんだな…。」
「そうだよ。きみは……きみ達は、何も知らない。だから僕は、あのとき言ったんだ。『もう少し、自分たちの紋章に関して調べてみた方が良いよ』って。」
「っ、でも…!」
「……分かってるよ。調べてみたって大した情報は無いんだ。まだ、この世界には…。」
「クヴィン…?」
「……これは、たぶん僕にしか分からないことだから、仕方ないんだ…。」
彼にしか分からない。その意味を問おうと口を開くも、静かに手で制される。
「話しを戻すよ。”共鳴”にはね、二つの意味があるんだ。」
「二つ?」
「そう。一つは、共鳴した相手の持つ魔力の値分、彼女の魔力が上がっていくこと。これは、もうきみも気付いているよね?」
「……あぁ。」
彼女が真なる紋章の所持者と共鳴していくたび、その魔力がケタ違いに上がっていくことを、心のどこかで分かっていた。
「そして、もう一つは……………共鳴した相手の紋章に『安息』を与えること。」
「…?」
「うん、意味が分からないよね。でも、やっぱりきみは気付いているはずだよ。だって、ソレ…。」
彼が指差したのは、自分の右手。
・・・・そうだ。彼女と共鳴し、共に過ごしていくようになってからは、コレは暴走することはなくなった。彼女と離れなければ、自分勝手に他者の命を喰らうことはなくなった。
「でも、一つだけ……きみに言っておかなきゃならない事があるんだ。」
「…なんだ?」
「他の紋章も勿論そうなんだけど、きみの持つ紋章は、他の物より殊更強い呪いがかかってる。生と死……と名がついているから、これは、もう仕方のないことなんだけどね…。」
「…………。」
「だから、彼女と離れてしまえば、我の強いその紋章は”悪戯”するようになるよ。だから、出来るだけ彼女と離れない方が良い。……これだけは、言っておきたかったんだ。」
「……分かった。」
それが、自分に宿る『呪い』だと分かっていた。自分の意志とは無関係に他者を襲い、糧とする。親しくなればなるほど、コイツは、あっという間に奪っていく。
それが、この身に宿る呪いなのだから・・・・。
「じゃあ、さっきの話に戻ろう。さっきも言ったように、彼女の持つ紋章は『どの紋章よりも強くて弱い』んだ。どの紋章よりも強いってことは…」
「………ブラックルーンの支配にも屈しなかった。だから全部見てた。そういうことか?」
「…うん、そうだよ。」
どの紋章よりも強いというのなら、確かに、彼女の意識が支配されていようと、紋章が『見て』いたというのも納得できる。しかし・・・・
「けど……なんで、それを宿主に見せるような事をするんだ?」
「……………それが『必要だ』って考えているからだよ、きっと…。」
「誰が…?」
「………紋章がだよ。きみは、知ってるよね? 紋章にも”意志”があることを…。」
「………。」
言っている意味が分からない・・・とは言えなかった。その意味を知っていたから。
時折、感情を制御できなくなった時に聞こえてくる、あの”声”。おぞましく、憎々しく、忌々しい、あの・・・・。
「…あの紋章が何を考えているのか、正直僕にも分からない。なんで彼女にあの時の事を見せるのかまでは…。」
「…………。」
「そういえば……ヒクサクと戦った時の話をしたよね? あの時、あの紋章の”声”が聞こえたんだ…。とても優しくて暖かい声をしてた。そう………『お母さん』みたいな…。」
「お母さん…?」
「…うん。彼女の紋章は、とっても優しい雰囲気だったよ。でも、同時に…、なんて言えばいいんだろう……。凄く怖い、っていうか……何よりも強い存在感って言えば良いのかな……あぁ、なんて言えば…。」
言葉に表現しようとして、上手く合うものが見つからないのか、彼は頭を抱えて唸り出した。
「クヴィン………何か手はないのか?」
彼女が見なくて済むような・・・・・そんな方法は。
そう問うと、彼は頭から手を離し顔を上げ、苦い顔を隠すことなく「…ないよ。」と言った。
「っ、そんなはずないだろ!? なにか、良い方法が…!」
「……ごめんね、テッド。無いんだよ…。」
「なんで…!」
「イライジャから聞いた時に、僕もその『方法』が無いかどうか聞いてみたんだ。でもイライジャも『どうしようもない』って言ってた…。だから…」
「ッ…!!」
怒りを極力出さぬようにして、拳を握った。机を殴りつければ、その音で彼女が目を覚ましてしまうかもしれない。叫び声が聞こえないということは、まだあの『夢』は見てはいないのだろう。
申し訳なさそうな顔をして視線を伏せたクヴィンを横目に、考えた。
記憶として残らなくて良いはずのものを、彼女は見せられている。
自分は、その『原因』を知ることが出来たはずなのに、何の対処もしてやれない。傷も消えて全て元通りになったはずなのに、彼女はあんなにも苦しんでいる。
そして、クヴィンの言うことが本当なら、彼女は・・・・・これからも苦しみ続ける。目覚めて尚、ハルモニアに苦しめられるのだ。
それなのに、自分は・・・・・・何もしてやれない。何も・・・・・
「どうすりゃ……どうすりゃいいんだよっ!!」
「テッド…。」
「俺は、あいつの為なら…なんだってしてやれる! どんな事だって耐えれる。あいつの代わりに見れるなら、俺が…!」
「…なんだってしてやれる?」
「あぁ! あいつが苦しまないなら、俺はどんな事だって…!!」
「それなら……」
そう言って、彼が席を立った。何をと思っていると、自分の前に跪いて右手を取る。
「クヴィン…?」
「『なんだってしてやれる』。そう言ったきみになら、乗り越えられるよ。」
「え…?」
「彼女を、愛しているんでしょ? それなら、きみは彼女を支え続けるんだ。彼女の傍にいて、彼女がどれだけ絶望しても、きみのこの手で支え続ければ良い。」
「なに言って…」
「………本当は、これは、イライジャに言っちゃダメって言われてたんだけど…。それできみの、先の”覚悟”の支えになれるなら、僕は言うよ。」
「…?」
「っ………これから先……長きに渡って、きみと彼女は苦しむ事になる。それこそ気が狂うほどに…。でも、必ずそれにも終わりが来る。…約束するよ。必ず………その苦しみにも『終わり』が来るんだ。だから、きみは………何があっても、絶対に彼女から離れないで。彼女を…っ……支え続けて。」
そう言って、彼は涙を浮かべた。
どうして、お前が泣くんだよ・・・。そう問うても、彼は、まるでその”先”が見えているかのように口を閉ざしてしまう。
「大丈夫…大丈夫だよ。いくら絶望に飲み込まれても、必ず、その”先”には一筋の光があるんだ。」
「クヴィン…。………ありがとな。」
「いいんだ…。でも、絶対に……絶対に傍にいなきゃダメだよ? それこそ、何があっても…!」
「あぁ……分かった。」
「…………うん。それじゃあ、僕は、もう行くね…。」
「あぁ……ありがとな。」
「うん、またね!」
立ち上がると、彼は、そのまま転移で姿を消した。