[囚われた暗闇の底で・3]



 夕刻になっていた。

 あれからテッドは、周りに人が居ない事を確認して、逃げるように神殿を出た。そして宿屋へ戻り、彼女と自分の荷物を持って、チェックアウトせずに窓から静かに外へ出ると、クリスタルバレーから離れて近くの街へと向かった。

 おそらく彼女は、円の宮殿に連れて行かれたのだろう。そう結論し、すぐにでも助けに行きたい衝動をぐっと堪え、まずは身を隠した。あの神官に顔を見られていた為、そうするしかなかった。すでに自分が『ソウルイーター』を持っている事がバレてしまっているし、すぐに手配されるだろうと考えたからだ。
 自分の顔が割れてしまっているということは、円の宮殿に近づきたくても近づけない。それ故、頭を抱えるしかなかった。

 彼女を見捨てては行けない。置いて行く事など出来ない。自分の愛した人であり、また60年以上も自分の傍に居続けてくれた彼女を。何より、あのハルモニアに連れ去られてしまったのだ。真なる紋章を所持しているのだから、何をされるか分からない。下手をすれば、殺されてしまう可能性も・・・・。

 そう考えながら、街の路地裏で一人どうするべきか悶々としていると、声がかかった。

 「どうしたの?」
 「……?」

 顔を上げれば、青年が一人。黒い髪に少しキツめの目元、赤を基調とした変わった服を着ているが、その表情は柔和だ。
 ・・・・こんな薄汚い路地裏に、自分以外に人がいたとは。そう思いながらも、テッドはその青年から目を逸らした。関わるなという意味合いを含めて。
 だが、その意図が伝わらなかったのか、青年は首を傾げた。

 「何か困っているようだけど…。」
 「あんたには、関係ないだろ。」

 淡々とそう返す。すると青年は、自分の前にしゃがみ込み、言った。

 「困っている人を、見捨てては行けないよ。」
 「…は?」

 思わず顔を上げた。青年とパチリと目が合う。
 今しがた会ったばかりなのに、初対面なのに、この青年は何を言っているのだろう? 困っている人を見捨てていけない? 何を言ってるんだ、こいつは・・・。
 しかし、その瞳は真剣そのもので、思わず逸らしてしまう。

 「何があったんだい?」
 「……関わるな。」

 ピシャリとそう言って、立ち上がる。見ず知らずの他人など信用出来るわけがないし、何より彼女と離れてしまった今、この右手の厄介者が暴走しないとも限らない。先日数人食わせてやったが、コイツはそれだけでは満足しないだろう。
 だから突っぱねて路地裏から出ようとしたのだが、青年はそれだけでは引き下がるつもりが無いのか、後を追ってきた。・・・・なんて鬱陶しい奴だ。

 「何かあったんじゃないの? それなら、僕が力を貸…」
 「うるさい。俺に関わるな。」
 「でも、凄く困っているようだったから。」
 「……見ず知らずの他人に、迷惑をかけるわけにはいかない。」

 そう言うも、青年は中々諦めてはくれない。困った時はお互い様だよ、と言いながら腕を掴んでくる。それが右手だった為、思わず振り払った。すぐに食われることは無いだろうが、彼女と離れた今は、不安で仕方なかったからだ。
 しかし・・・・・

 「うっ…!?」

 右手がドクリと脈打った。

 すぐに左手でそれを押さえつけ、その場に座り込む。・・・・これはマズい。まだ足りないとでも言うように、ドクドクと脈打ちながら自分に『催促』してくる。
 それを見た青年が、隣に駆け寄り肩を掴んできたが、「やめろ、触るなッ!!」と言ってその手を跳ね除けた。

 「きみ、大丈夫!?」
 「くっ……今すぐ………どこかへ、逃げろ…っ……。」
 「何を言っ…」

 その時だった。右手から禍々しい霧が吹き出したのだ。

 「これは…!?」
 「っ…、死にたくなければ……今すぐ、俺から離れ、ろ…!!」

 目を見開きながらも、決して離れようとしない青年。それを左手で突き飛ばすと尻餅をついたが、それでも離れようとはしなかった。
 しかし、霧はすぐに消えた。食ってしまうかもしれないという不安を他所に、右手は徐々に脈打ちを弱めていく。それがどうしてなのかは分からないが、見ず知らずの他人を食らわずに済んだと内心安堵した。

 「今のは、いったい…?」
 「…………。」

 目の前の青年が旅人なのだろうとは分かる。しかし、見られてしまった。
 もし、仮に、この青年がハルモニアの者にそれを申告するような事があれば、彼女の救出どころではない。どうするべきか・・・・。
 下唇を噛みながら顔を上げると、青年と間近で目が合った。今まで見たことのないような、ゴールドの瞳。それは、まるで人ではないような・・・。
 青年は、暫し自分の右手をじっと見つめていたが、やがて口を開いた。

 「きみは……かなり大きな事情を抱えているみたいだね。」
 「…………。」
 「大丈夫だよ。僕は、口外するような事はしない。絶対に。」
 「……会ったばかりの他人を、信用出来ると思うか?」

 そう言ってやると、青年は困ったような顔をした。だが、次に衝撃的な事を口にした。

 「それは、真なる紋章だね?」
 「っ…。」
 「ごめん。言わなくて良いよ。60年ぐらい前に、その属性と似たような紋章を持った人に会った事があるだけなんだ。」
 「60年…?」

 思わず目を見開いた。目の前の青年は「60年位前に」と言ったが、どう見ても20代そこそこではないか。しかし、それを覆すものは・・・・・

 「お前………所持者か?」
 「え? あ、いや……。」

 言葉を濁す青年を、じっと睨みつける。

 「…僕は『真なる』とついた代物は、持ってないけど……事情があってね…。」
 「?」

 と、ここで気付いた。
 60年程前。自分の持つ物と似た属性の紋章。あの時、自分がいた場所。彼女と初めて出会った場所。国。もしそうなら・・・・・・

 「群島諸国………か?」
 「え!?」

 群島解放戦争の英雄の名を呟くと、青年が声を上げた。
 もしかして、もしかして、もしかして・・・・

 「きみ、を知ってるの?」
 「……まぁな。」

 タンのおかっぱ頭で、赤いハチマキに短パン。そう言うと、青年は途端喜色を示した。

 「きみは、もしかして……群島解放戦争に?」
 「……あぁ、いた。」

 内心、ここまで話して大丈夫かと思ったが、の知り合いというのなら大丈夫だろう。彼は人を見る目を持っていたし、何より目の前の青年と彼の持つ空気が似ていたからだ。
 だからかもしれない。これ以上、青年の申し出を突っぱねる気になれなかったのは。

 「なら尚更、見捨ててはいけない。僕はに恩があるんだ。だから彼の友人のきみを助けさせてほしい。」
 「……別にあいつは、俺の友人なんかじゃ…」
 「あ。もしかして……彼が言ってた『大切な同期』って、きみの事?」
 「…………。」

 自分は、同期ではない。彼と『同期』と言えるのは・・・・・

 だからテッドは、話した。
 何故、自分がこのような場所にいるのか。の『大切な同期』が、ハルモニアに捕まってしまったこと。なぜ紋章の存在を気取られてしまったのかは分からないが、紋章を使用すらしていなかったのに狙われてしまったこと。その発端となったきっかけを作ったのは、自分の些細な我が儘からだったこと。自分にとって大切な人だから、命を賭けて助けに行くということ。

 全て、話した。

 「……だから俺は、あいつを助けに行かなくちゃならない。でも…。」
 「話は分かったよ。勿論、僕も一緒に行く。」
 「……お前、話を聞いてなかったのかよ? 死ぬかもしれないんだぞ?」
 「ちゃんと聞いてたよ。だからこそ、一緒に行くよ。」

 の友達なら、僕の友達だからね。
 そう言って、青年がニコリと笑う。

 「どうして彼の同期が囚われてしまったのか…その理由は、僕には分からない。だから今は、彼女を助けることだけ考えよう。」
 「でも……」

 円の宮殿に攫われたということは分かっている。けれど、その内部がどうなっているのか全く分からない。しかし、一刻も早く彼女を救出しなくては、何をされるか分からない。もしかしたら、紋章を奪われて命を落とすかもしれない。
 そう口にすると、青年は暫し何か考えていたようだが、徐に言った。

 「取りあえず……今日は、僕と一緒に来てくれないかな?」
 「…どこに行くんだよ?」
 「宿だよ。こんな所で悩んでても仕方ない。僕は、この街でもう宿を取ってあるから、そこに戻って一緒に作戦を立てよう。」
 「…………。」

 確かに、こんな薄汚い路地裏で悶々と考えているよりは、青年の言う通りにした方が良いのだろう。だが、いつ追っ手が来るとも限らない。
 テッドは、そこでまた悩んでしまった。

 すると青年が、言った。

 「そういえば、きみ…名前は何て言うの?」
 「……テッド。」

 青年が、右手を差し出してきたが、それを取ることをしなかった。
 しかし彼は、有無を言わさずそれを取ると、またニコリと笑った。呪われた紋章を宿している右手を、躊躇なく。

 「お前……恐くないのか?」
 「さっきの霧の事だね。正直、驚いたけど…でも、もう恐くはないよ。」
 「…なんでだよ。」
 「僕は、たぶん……その霧に飲まれないと思ったんだ。」
 「…は?」

 何となくというだけで、そう言ったのだろうか? それとも、何か確証があってそう言ったのだろうか? どちらかは分からなかったが、聞かなかった。「またあの状態になったら、即、俺から逃げろ。」とだけ言えば、この青年には伝わると思ったからだ。
 と知り合いだというのだから、真なる紋章の恐ろしさぐらいは知っているだろう。

 あぁ、そういえば・・・・・

 「お前………名前は?」
 「僕? 僕は…」

 今さらだが、問う。青年は目を丸くしていたが、またニコリと笑って答えた。

 「キリルって言うんだ。宜しく。」