[囚われた暗闇の底で・4]
旅荷の中に丸めていたフード付きのマントを目深に被り、キリルと名乗った青年に付いて、テッドは近場にある宿へ向かった。
宿に着き部屋に入ると、彼が「すぐに戻って来るから、ちょっと待ってて。」と言って部屋を出て行く。それを視線だけで見送ってから、深い溜め息を吐き出した。
腹も減っていたし、勿論、喉も乾いている。彼女が囚われてすぐにクリスタルバレーを抜け出したが、それから幾らかの水以外何も口にしていなかったからだ。しかし、それすら気にならなかった。それより先に彼女のことが気になって仕方なかったのだ。
今さらだが、どうして自分は彼女にあんな事を言ってしまったのだろうと思った。いくら彼女が気付いてくれていたとはいえ、それを不満として口に出してしまったのが、そもそもの発端だ。自分が、あんな我が儘な子供染みた態度を言葉を出さなければ、彼女が囚われることなどなかったはずなのに・・・・。
そう考えて自責していると、キリルが戻ってきた。水が並々入った水差しと、幾らかの食べ物をトレーに乗せて。それを目にし、本能からゴクリと唾を飲む。
すると彼は、それをテーブルに置いて「どうぞ。」と笑った。
「……お前は、食べないのかよ?」
「僕は、きみと会う前に食べたから。」
「…………。」
「お腹が空いてるんだろう? 遠慮しないで食べて。」
なんだか餌付けされたような気分だったが、それを口にする前に腹が鳴る。思わず恥ずかしくなって顔を背けたが、クスッと笑われてしまっては開き直るしかない。
すると、彼は言った。
「腹が減っては戦は出来ぬ、って言うから。」
「……悪いな。」
一応礼を言って席につく。そして、それまでの空腹を補うがごとくトレーに並べられている物を順繰りに片付けていく。その途中、彼は何度もグラスに水を注いでくれた。
「…それで?」
「それでって?」
トレーに並べられていた食べ物を全て平らげた後、何杯目か分からない水を片手にポツリと聞いた。だが目の前に座るキリルは、意味が分からないとでも言いたげに首を傾げている。
「お前、円の宮殿の内部を知ってるんじゃないのか?」
「いや…僕は、そこまで知らないよ。」
「…………。」
・・・・おいおい。じゃあ、何で「僕も手伝うよ」なんて言ったんだよ。
そう口にすれば「一人じゃ無理な事でも、二人なら出来るかもしれないから。」という、のほほんとした答え。しかし、自分が欲しいのは、そんな『答え』じゃない。
「…お前、やっぱり分かってないな。」
「え?」
「俺みたいな真なる紋章を持ってる奴からすれば、この国は、この世界のどの場所よりも危険なんだよ。この国が真なる紋章を集めてるってのは、周知の事実なんだからな。しかも、敵の巣窟の円の宮殿なんて場所に囚われたら、侵入して脱出なんて真似、そう簡単にさせてもらえないんだぞ。」
「それは……分かってるよ。」
「いや、お前は全然分かってない。俺が欲しいのは、円の宮殿内に関する情報だ。てっきりお前は知ってるのかと思ってたけど、違うんだろ? それなのに、なんで簡単に『手伝う』なんて言ったんだよ。」
「それは、さっき言ったじゃないか。僕はに恩があるから、彼の友達のきみに協力したいと思っただけなんだ。」
「………。」
困ったような寂しそうな顔でそう言われてしまえば、次の言葉が出て来ない。
まったく、なんて奴だ。自分同様、敵の内部も知らないくせに『手伝う』なんて。
しかし、これでは埒が明かない。一人が二人になったとはいえ、円の宮殿を知らない者同士が手を組んだところで、いったい何になる? どうするべきか。
・・・・そう簡単に案など浮かぶはずがない。例えソウルイーター片手にキリルと共に敵陣へ突っ込んで行ったとしても、この国の長は真なる紋章を持っているというし、何より宮殿内で彼女を捜している内にこちらの魔力切れで共倒れ、なんて可能性もある。いくら魂食いと言われているとはいえ、魔力が無ければ『攻撃力の無い、ただの老化防止の紋章』だ。
どうしたら良い? どうすれば良い? どうすれば、彼女を・・・・
そう考えて悶々としていると、コンコンとノックの音。
もしや、もう追っ手が? 直ぐさま顔を上げると、キリルが静かに「…ベッドの後ろに隠れて。」と言ったので、その通りにして気配を消す。
カチャ、と彼がドアを開ける音。
「あの…、どちら様ですか?」
「……『キリル』というのは、きみで合っているか?」
「え?」
客は、どうやら男のようだ。野太く凛とした渋みのある声。
ベッドの後ろに隠れていたため客の姿を目に捕らえることは出来なかったが、テッドは『やはり追っ手だ』と思った。何故なら、客が醸す戦う者特有の気配を感じたからだ。しかし、何故キリルの名前を知っているのか? もしや彼が、もう通報したのか? いや、そんなはずはない。の知り合いだと言っていたのだから。しかし・・・・
心の中の葛藤を何とか押し殺そうとしていると、キリルが客に返答した。
「確かに、キリルは僕ですが……何か?」
「…………。」
追っ手だとしたら、殺すしかない。彼女を攫った国の追っ手だというのなら、殺してやる。そう考えて、いつでも紋章を使えるように右手に力を込める。
すると、今度は自分に向けて声がかかった。
「それなら……そこに隠れている少年が、『テッド』だな?」
「っ……。」
気配を、というよりも、右手に集まり出した魔力を察知したのだろうか? いや、これは考えても分からない。魔術に長けた者ならば、それもあり得るのだろう。彼女も『そう』だったのだから・・・・。
無言で静かにベッドから身を出すと、キリルが声を上げた。
「テッド! なんで、出てき…」
「お前は黙ってろ。」
彼にそう告げて、じっと客である男を睨みつける。すると男は、その視線を物ともせずに言った。
「……なるほど。きみがテッドか。確かに、聞いていた通りの風貌だ。」
「ハルモニアの追っ手だな?」
「…………。」
「それなら…!」
そう言って、右手を掲げたその時だった。
「私は、きみの相方を救出する『手助け』をしに来た。」
「っ…?」
男の言葉に目を見開いた。次に考える。
手助けだと? だが、自分はこんな男は知らない。先程のやり取りだけを聞いていれば、キリルも知り合いではないのだろう。どういう事だ・・・?
口には決して出さなかった、その問い。それを察知したのかは分からなかったが、男は「まずは、私の話を聞いてくれないか?」と言った。
男は、オルフェル=フランと名乗った。
聞けば彼は、元々ハルモニアの貴族出身で、クリスタルバレーで神官将を務めている程の実力者だったという。しかし、『ある事件』をきっかけに、その職務も地位も全て剥奪され、更には祖国から追われる身になったと言った。
それを聞き終えてから、テッドは彼に問うた。
「…俺に手を貸すと言った理由は、復讐か?」
「そうだ。」
「神官将をしてたと言ってたな。ってことは、円の宮殿内にも詳しいのか?」
「あぁ、勿論だ。私なら、必ず役に立てると約束しよう。」
「………。それじゃあ、もう一つ聞くぞ。『俺がここに居る』とお前に教えた奴は、どこのどいつだ?」
「…………。」
そう聞いたのには、勿論わけがあった。自分がここにいる事を教えた人物を、彼が素直に口にすれば良し。口にしないのなら、自分を捕らえる為にハルモニア側が仕掛けた『罠』である可能性も高い。
もし、仮に自分の居場所をハルモニア側が知っていたとして、そう簡単に自分が捕らえられるとは思っていまい。相手は、自分が『ソウルイーター』を持っている事を知っている。なまじ表立って捕らえようとすれば、自分が誰彼構わずソウルイーターに『食らわせる』という可能性を視野にいれていてもおかしくない。それが他国ならばまだしも、自国で起こった事となれば後処理が面倒だ。自分なら、それを警戒する。だからこそ、こういった人間の『設定』を作り上げて上手く宮殿内に誘い込み、自分が紋章を使う前に捕縛する。そういった手を使ってくるだろう。
だからこそ警戒した。
「言えないのか?」
「…すまない。今は、まだ…」
今はまだ、ということは、いずれはそれを口にするという事か。
しかし、肝心な部分を隠す者を信じられるはずがない。それをそのまま口にした。
「信用出来ないな。」
「…………。」
そう言うと、彼が歯を噛み締めた。
「私は、ハルモニア側ではない…。」
「信じると思うか?」
「いや…だが、私がいなければ、きみ達は円の宮殿に侵入することはおろか、クリスタルバレーに入った瞬間に捕まる。それだけは断言出来る。」
「…………。」
確かに、彼がいなければ、自分は侵入することはおろか、追い回され彼女を救出する事すら出来ないだろう。最悪、捕まって殺されるのがオチだ。しかし、やはり肝心な部分を隠して自分と行動を共にしようとするこの男を、どうしても信用出来なかった。
するとそれを察したのか、彼は言った。
「……信用してもらえないなら、それまでだ。」
そう言って彼が席を立った、その時だった。
何を思ったか、それまで黙って自分達のやり取りを静観していたキリルが、彼の腕を掴み引き止めたのだ。
「オルフェル、待ってくれ!」
「…何だ?」
次に、キリルが彼に何と言うか何となく察してしまい、思わず頭を抱えた。
「…テッド。僕は、今まで色んな人を見てきた。だから言える。彼は嘘をつくような目をしていない。彼は信じられるよ。」
「…………。」
・・・あぁ、もう。なんで、そんな分かりやすい『手口』に簡単に引っかかるんだ。自分たちがここに居ることを教えた人物を、口に出来なかった奴に。
どうして、そんなに真っ直ぐな瞳で・・・・あいつに似た色で・・・・。
こんな状況だが、『ああいう目を持つ者に、自分は弱いのだ』ということを知った。
・・・それなら、もう仕方ない。
「…オルフェル、だったよな。一つ条件がある。」
「何だ?」
「もし、お前が…裏切るような素振りを見せたその時は……分かってるな?」
「…あぁ。この命に賭けて誓おう。」
来ないで欲しいとは思うが、もし”その時”が来てしまったら、何を犠牲にしてでもお前を『殺す』。暗にそう言うと、彼はしっかりと頷いた。
これは脅しだ。それは自分で分かっている。だが、何より優先させるべきは『彼女の救出』。彼女がいなければ、自分が自分でいられる自信がない。これから先の自分に・・・。
だからこそ裏切るなと言った。だからこそ誓えと言った。そして彼は、命を賭けると言ってそれを了承した。了承したという事は、『裏切りは”死”』という約束をしたことになる。
あぁ・・・・どうか、あいつに似た目を持つキリルが信じた、あんたの事を・・・・
「……殺させないでくれ。」
「分かっている。私は、復讐が出来ればそれで良い。」
ふと視線を上げれば、キリルと目が合った。
彼は、静かに微笑むと、そっと頷いた。