[囚われた暗闇の底で・9]



 目の前に広がった凄惨さに、怒りを爆発させ、声を上げそうになった自分の口を塞いだ者がいた。オルフェルだ。
 彼は、小さな声で「…絶対に、声を上げるな。」とキツく言ってから、手を離した。

 「ッ………!!!!」

 歯を食いしばった。そこから鉄の味がしようとも、涙を堪えることが出来なかった。
 だが、自分を咎めたオルフェル自身も事態の凄惨さを目にして言葉が出ないのか、それから黙った。キリルもクヴィンも、声を上げることすらしなかった。

 「テッド……きみの気持ちは分かる。だが……」

 救いとする事が一つある、と彼は言った。
 涙を堪えることなく顔を上げれば、彼は『彼女』の額に宿されている紋章を指差して、「…支配の紋章だ。」と言った。

 支配の紋章は、別名ブラックルーンと呼ばれており、それを宿された者は、意識を強制的に閉じられ相手の意のままに操られてしまうのだという。宿された本人は、強制的な意識の支配によって、どのような痛みも感じない。意識があれば『殺してくれ!』と泣き叫んで哀願するような痛みを得ても、決して苦しむことはないのだ。

 だが、これは、どう見ても・・・・・・

 「人体実験じゃないか……。」

 新しい紋章なのだから人体実験など100%無いと、そう言っていたじゃないか・・・。
 そう言うと、彼は苦い顔をした。それが許せなくて、力任せにその頬を殴りつける。避けられないわけではないだろうに、彼は黙ってその一撃を受け止めた。

 「これは、どう見たって人体実験じゃないか!! お前は、あの時ッ……!!」
 「……済まない。」
 「テッド、もう止めるんだ!」

 胸ぐらを掴んで彼を責めたてる自分の腕を、キリルが咄嗟に取った。それを力任せに振り払い、流れる涙もそのままに床を殴りつける。何度も、何度も。

 ・・・・・守れなかった。守れなかったのだ。
 彼女が傍にいてくれれば、それで良いと。彼女が生きていてくれれば、それで良いと。
 そう後悔した矢先、こんな・・・・。

 ただ一人、愛した人ですら、自分は・・・・・・



 涙を流しながら守れなかったことを悔いている少年を目に、キリルは思わず顔を伏せた。
 ハルモニアという国のことを、聞いてはいた。真なる紋章を集めるためには、どれだけの犠牲を払うことも厭わないと。殺戮を犯しても、それを求めると。
 間に合わなかったのだ。協力すると申し出て、今日ここまでやってきたのに、少年の愛する『彼女』を・・・・・。

 すると、ここでそれまで静寂を保っていたクヴィンが、静かに動いた。彼は、彼女の左腕を拘束していた鎖を外すと、次に足枷を外した。それを見て声をかける。

 「クヴィン…?」
 「……大丈夫だよ。彼女、まだ息はある。だから早くここを出よう。じゃないと…」

 彼がそういった、その直後。
 それまでこの部屋を覆っていた結界が、バチンと音をさせて解けたのだ。
 顔を上げれば、廊下側から幾人もの足音。すぐに扉が開かれ、中には、何人もの神官が入ってきた。

 「これは…!!」
 「…全部、罠だったんだよ。」

 答えたのはクヴィンだ。見れば彼は、心底困ったような顔をしながら、自分たちの後ろに『彼女』をそっと寝かせて、武器を取り出す。

 「イライジャが言ってた通りだよ。やっぱり、これは罠だった…。」
 「どういうこと…?」
 「…こうなっちゃったからには、その話は、また今度にしよう。今は、彼女を守りながらここから出ることが先決だよ。」
 「…うん、分かった。」

 頷いて、武器を出す。
 だが、ここでオルフェルが、神官の一人に向かって声を上げた。

 「ウィルストン!!!!」
 「……貴様は、オルフェルか……。侵入者と聞いて、来てみれば………まさか、賊の中にお前が交じっていようとはな……。わざわざ殺されに来るとは……律儀な男だ…。」

 キリルは、思い出した。・・・そうだった。自分たちに助力してくれた彼の本当の目的は、彼を陥れてこの国を追いやった男に『復讐』するためだった。
 しかし、そんな彼を制した者がいた。クヴィンだ。

 「クヴィン殿、邪魔されるな!」
 「ダメだよ、オルフェル。今は逃げるのが…」
 「私に構わないで下さい! あなた方は、早く逃げ…」
 「だから、ダメだってば! きみをここで一人にしたら、死ぬって分かってるんだ。とりあえず、転移で逃げるよ!」

 そう言って、クヴィンが右手を掲げる。しかし、転移の光が現れることなく、その手はバチッと弾かれた。
 それを見たウィルストンという男が、ニヤリと笑う。

 「観念しろ……。貴様ら程度の魔力では、ヒクサク様に適うはずがないのだからな…。」
 「…なるほどね。転移防止の結界かぁ…。」

 そう言いながらも、ヒクサクと聞いた途端、瞳に冷たさを宿したクヴィンを横目に、キリルは唇を噛んだ。自分は魔法のことには疎いが、転移が使えないとなると絶体絶命か。
 すると、ウィルストンが、配下の者たちに合図をした。そう思った直後、神官将達が武器を抜き放ち襲いかかってくる。

 「クヴィン! 僕が相手をするから、きみは早く転移魔法を…!」
 「ごめん、無理なんだよ! こんな強い魔力で結界が張られちゃあ、僕じゃとても…!」

 次々と襲いかかる神官将たちを、クヴィンと二人で相手にしながら、テッドに目を向けた。しかし彼は、床に座り込んだままピクリとも動かない。

 「何をしてるんだ、テッド!! 早く彼女を…!!」

 そう怒鳴りつけるも、彼は、返事をするどころか動きもしない。
 ・・・・・何かがおかしい。
 そう思い、敵を薙ぎ払ってから、その肩に手をかけた。

 「テッド!!!!」

 声をかけた、その直後。

 「…………………………殺してやる。」

 彼が、ポツリとそう言った、瞬間。
 その右手からは、禍々しい光が溢れ出した。








 ”声”が聞こえる。
 自分が最も憎むべき物であり、自分に最も近しい、忌々しい”声”が。



 ─── 食らえ… ───



 これは、そう・・・・・・この右手に宿る紋章の”声”だ。



 ─── さぁ……食らえ ───



 周りは、剣戟や怒声の音に支配されていたが、どこか遠くのような出来事に感じる。
 今は、その”声”が、自分の心いっぱいに広がっていたのだから。



 ─── さぁ………『全て』食らえ…… ───



 ・・・・・守れなかった。
 これまで、様々な命を奪い尽くしただけでなく。
 守ろうと思い、そう誓ったはずの人ですら、自分は守ってやれなかった。

 何も・・・・・出来なかった。

 これまで、様々な怒りを宿してきた。
 奪ってしまった己に自責する怒り。他人の命を平気で奪う、他への怒り。
 今度は・・・・?

 今度は・・・・・・・・・守れなかった事への『怒り』。



 ─── 食らえ…………全て………喰らってしまえ!!!!! ───



 その”声”が響く中、遠くで別の誰かの声が聞こえた。
 誰かが、「それを使っては駄目だ!」と言っている。
 それが仲間の誰かだということは、”声”に心を支配されている中でも分かったが、どうでもよかった。

 もう・・・・・・・・どうでもよかった。

 彼女を守れなかった哀しみ、苦しみ、そして怒り。
 それを、この”声”の言葉そのままに従い、使ってやれば良い。
 もう隠れる必要はない。彼女さえいれば、彼女さえ取り戻せば、誰に何を遠慮する必要がある?

 彼女をここまで傷つけた者を・・・・・決して許しはしない。
 目の前の神官共も、ひいては、この国のトップであるヒクサクとやらも・・・・・

 全て、殺してやる。
 全て、喰らってやる。
 絶対に・・・・・・・・・・許しはしない。



 「ソウルイーターよ……………ぜんぶ……全部だ………………喰らい尽くせ!!!!!!」



 ─── そうだ…………それで良い ───



 禍々しい光が部屋全体を覆う中、紋章の笑い”声”が、心を体を支配した。