[鳴かぬなら・8]
「だから、軍師になりたい…。そう思ったんだ。」
「…………。」
「二度と、あんな……俺の故郷やリューベの村のように、悲しみを生み出す惨劇を繰り返したくない…。あんな思いをするのは、もう二度とごめんだ…。俺みたいな生意気なガキが、真っ直ぐ育っていけるように………平和であってほしいんだ。」
「…………なんだ。分かってんじゃんよ。」
忘れかけていた『何か』に対して、彼女はそう言った。
・・・・・忘れていたわけじゃない。忘れようとしていたわけでも。
ただ、見えなくなっていた。その先を・・・・。
「ジン。あんたは………綺麗な人間だよ。」
彼女は、笑ってそう言った。
俺のどこが? そう思ったが、その言葉が嘘ではないことは、その瞳を見れば分かる。
「どこが……。俺は、人間の汚い部分をたくさん見て来たし………顔を見れば、そいつが信用出来るか出来ないかぐらい分かる。それのどこが…」
「いや…あんたは、綺麗で高潔な人間だよ。」
「…………。」
どうして彼女がそう言ったのか、その時の俺には分からなかった。でも、彼女の言葉は信用出来た。嘘偽りなどない、彼女の真っ直ぐな瞳が信じさせてくれた。
「汚い部分を見て来た? それは、あの戦に巻き込まれたのなら、誰だってそうだよ。子供だって大人だって、人間っていう生物の持つ嫌な部分を嫌でも目にしなきゃいけない。そんな事は、これからいくらでも出てくる。でもね……。私が言ってるのは、そんな事じゃない。」
「なら…」
「魂が綺麗だ、って言ってる。どれだけ汚いものを見てきても、あんたは『夢』を忘れてないでしょ? 確かに今は、道を忘れてるかもしれない。でも、根本的な事をちゃんと覚えてる。」
だから、あんたは綺麗だよ。そう言って、彼女は笑った。
美しく、儚く。この世界のすべてを優しく包み込んでくれるような笑顔で。
「『夢を語ることは誰でも出来る。』『でも、それを実現するのは”才能”と、”それに伴う努力”』。そう書いてあった気もするなぁ………あんたの昔の作文に。」
「なっ……!」
「へっへー! これ、見せてもらったよ。なかなか熱いこと書いてあんじゃん!」
そう言って彼女が取り出したのは、俺の字がびっしりと書き詰められた紙。目の前に晒されたそれは、何十枚にも渡り束ねられている。
この学院へ入った頃に書いた、まだ夢を追いかけていたあの頃。若さの残る、青臭い言葉の数々。
『軍師になって、誰も俺みたいな思いをすることのない、平和な世界を作る!』
『だから俺は、たくさん勉強して、将来軍師になる!』
『でも、友達はいらない。それより先にやらなきゃいけない事が、沢山あるから。』
『義両親が、俺を引き取ってくれた時、凄く嬉しかった!』
『だから俺は、それを、誰かを助けることで返そうと思う!』
見れば見るほど、恥ずかしい言葉の羅列。
数年前の俺は、こんな恥ずかしい事を、惜しげもなく書いていたのか。
・・・・忘れていた。あの頃の俺は、自分の描く未来の為にただ我武者らだったこと。
「っ………!!」
恥ずかしくなって、慌てて紙をひったくろうと手を伸ばす。だが彼女は、それを返すつもりはないらしい。悪戯を思いついた子供のような顔で、ニンマリと笑った。
「か、返せよッ!!」
「返せって言われて返すとか思ってたら、あんた相当馬鹿だよ。さーてと! それじゃあ、おさらいしておこうか! 少年ジン君の、あどけない”誓い”をね。ひとーつ! 『軍師になって、誰も俺みたいな…』」
「や、やめろ! 読むなよ、返せッ!!!」
「良いじゃん、宣誓みたいで。ふたーつ! 『でも、友達は……』」
「わ、分かった! 守るッ!! 守るから、もう止めろッ!!!」
ここでようやく、彼女が紙を渡してきた。こんな下らないことで体力を消耗した俺は、その手から紙をふんだくると、急いでベッドサイドの物入れに突っ込む。
・・・・絶対に封印してやる。誰にも見つからない場所で、永遠に保存してやる。
と、ここで部屋の外から声がかかった。どうやら彼女の大声を聞き、何かあったのかと思ったらしい。ドア越しにかけられたのは、「どうした?」「大丈夫か?」「何かあったの?」という、心配の声。
「っ……。」
顔が熱くなった。
思わず、それに「何でもない!」と大声で返し、彼女を睨みつける。
彼女は、キヒヒと笑っていた。
「なーんだ、凄い心配されてんじゃん?」
「……うるせぇ。」
「………。」
それから彼女は、また口を閉ざした。
顔つきも、先のからかうような物とは違い、酷く壊れそうな微笑み。
「まぁ…。あんたが『友達はいらない』ってんなら、それを強要するつもりはないよ。」
「俺の……勝手だろ…。」
「………そうだね。”今”が『全て』じゃないし。」
「どういう意味だよ…?」
「……そのままの意味だよ。今は、ずっとこの”先”に続いていくけど、それはあくまで未来のこと。”今”は、これまでも続いてきたんだから、今見える”未来”に、それを作ったって良いってことだよ。」
・・・・・重い。その年相応には思えない考えに、俺は下唇を噛んだ。
だからかもしれない。素直にその言葉を受け入れられたのは。
「今は……あんたが思うように、思い描いた”先”を見つめて、我武者らに突っ走れば良い。友達がいらないってんなら、それでいいんだよ。でもね………人と話をすることは、決して悪いことじゃない。それが例え下らない話と思えても、誰かの考えっていうのは、いつかあんたのことを助けるかもしれない。」
「………生産的な会話じゃないなら、意味ないだろ。」
「違うよ。何にでも、意味はある。私はそう思ってる。そうやって生きてきた。」
「……どういうことだよ…?」
「意味がないと思えば、その人にとっては、ただ意味がないモノでしかない。でも、意味があると思えば、その人にとっては、きっと”先”を見出せる素晴らしい『経験』になる。ただそれだけの事なんだよ。」
「…………。」
「私が言いたいのは、適度に幅広い分野の情報を取り入れなさい、ってこと。」
「幅広い……?」
軍師になるために、俺は、沢山の知識を頭に詰め込んだ。軍事、政策、軍略、他諸々。国を動かすのに必要な知識は、誰よりも沢山手に入れた。
それなのに、どうして非生産的な下らない話を取り入れなくてはいけない?
その疑問が表情に出ていたのか、彼女は続けた。
「……ジン。軍師ってのは、博識でなくちゃいけない。それがあんたにとって下らない情報だとしても、もしかしたら、戦や政治に必要になることだってある。それと、これは断言するけど、頭が固い人間は軍師になれない。」
「なんだよ、それ…。」
「非難してるわけじゃないから、黙って聞いて。大切なのは、その時その時で冷静な対応が出来る『判断力』。そして、柔軟に物事に対処していけるだけの『柔軟性』や、『適応力』『順応力』だよ。」
「…………。」
「あとは………己の力を『過信し過ぎない』ことだね。」
「……俺のことかよ?」
「さぁ…?」
昔そういう奴がいて、そいつが、その後どれだけ酷い目にあったのか知ってるだけ。
そう言って笑った彼女の”昔”とは、いったいどれぐらい昔のことだろう?
数年前のことを話しているつもりなのだろうが、その時の俺には、それが『何十年も昔』のように聞こえた。