[鳴かぬなら・9]



 「……まぁ、喧嘩に明け暮れる日々も『経験』の一つだね。全て忘れて、物思いにふけるってのも、良い経験だ。」
 「なにが言いたい…?」
 「……やるべき”その時”を見失なうな、ってこと。」
 「…………。」

 黙る俺をよそに、彼女は席を立つと、ベッドごと俺をまたいで窓を開けた。そしてそこに腰をかけて空を見上げる。
 ・・・・随分と、危なっかしい体勢だ。下手をすれば、落ちて怪我をするだろう。
 だから、思わず声をかけた。

 「おい……危ないだろ。」
 「あぁ、私は平気。それにこっちは森に面してるから、誰にも見られないし。」
 「だからって、落ちたりしたら…」

 そう言って、その腰に手を伸ばそうとした。

 「私もさぁ………両親、いないんだよね。」
 「…?」
 「いないって言い方は、おかしいか。『置いて来た』って言った方が正しいもんね。」
 「なん……で……」

 どうして彼女は、そんな話をするのだろう?
 どうして彼女は、両親を『置いてきた』のだろう?
 どうして俺に、そんな話を・・・・

 「……義母は、バリバリ元気だけどね。時たま、ふっと本当の両親のことを思い出す時がある。まぁ……もう顔もうろ覚えだけど。」
 「本当の親を……捨てたのかよ…?」
 「……うん、そうかもしれない。」
 「…?」
 「……ごめん。かもしれない、なんて失礼だよね。親も兄弟も友達も、皆……私は、捨てて来たんだよ。」
 「なんで…」
 「自分が選んだ”世界”に、その人達が『存在しなかった』から。だから……『置いて来た』んだよ。」

 彼女の言っていることが、分からない。
 何もかも捨てた、と。彼女はそう言った。その言葉は、そういう意味を持っていたはずだ。
 でも俺には、どうしてそんな事をしたのか理解できなかった。
 彼女は、なんの為にそれを捨てた? 大切な者たちを捨ててまで得た『モノ』とは、なんだ?
 感じたのは、僅かな苛立ち。そうと受け取ったのか、彼女は続けた。

 「それまで持っていた物を全て投げ打って………何もかも捨てて得た『モノ』は………悲しみの方が多かった。」
 「…………。」
 「あんたからすれば……すごく腹の立つことかもしれないね…。」
 「……当たり前だろ…。」
 「…でもさ。確かに悲しみの方が多かったけど、今まで知らなかった喜びを知ることも出来たよ。だから、私は………この”世界”に来て良かったと思ってる。」
 「どういう…?」

 そう問うも、彼女は「さぁ…?」と言って笑った。
 それが、言い表せないほどの哀しみを秘めていた事を、その時の俺は気付けなかった。

 「おい、言えよ。」
 「……この話は、もうお終い。自分勝手な話をしたね、ごめん。」
 「いいから言えよ。」
 「これ以上私の話を続けても、なんの『生産性』もないよ。」
 「っ、いいから言えって!」

 俺はその時、何かしらの『サイン』を感じていたんだと思う。だからあえて問いつめた。
 けれど彼女から聞こえたのは、その『答え』とも言えぬ、泣き出してしまいそうな言葉。

 「はは…。もう思い出せないんだわ……。」
 「え…?」
 「顔も、”声”も………どんなものだったのかすら、覚えてないんだ……。」
 「…………。」
 「あーあ! 自分でちゃんと決心して捨ててきたくせに、今でも心に残ってるんだよ? それなのに顔すら思い出せないってどういうことよ? って、いま自分で思った。」

 涙を流している、その言葉。そして、それに比例する表情。
 彼女自身が望み得た結果とはいえ、これ以上、そんな顔を見ていたくはなかった。

 「……悪かった。」
 「ジン…?」
 「無理に聞いて………悪かった。」

 気にしてないよ、それより私の方こそ、ごめん。
 そう言って、彼女は笑った。それが壊れてしまいそうに見えて、俺の方が悲しくなった。
 だが、それすら見通していたのか、彼女は次に歯を見せて笑った。

 「ジン…。あんた、やっぱり優しい子だ。」
 「………。」
 「人の気持ちを理解できる。それって、優しさの成せる技だと思わない?」
 「別に……。」
 「ははっ、素直じゃないなぁ!」

 それまでの表情から一転、腹を抑えて足をバタつかせながら彼女は笑った。
 いったい何がそこまで可笑しいのか、俺には理解できなかったが・・・。
 でも、それでも彼女は、この時、確かに笑っていたのだ。

 何を思ったか彼女は、不意に顔を上げて問うてきた。

 「あ、そうそう、ジン。こんな言葉知ってる?」
 「ん?」
 「鳴かぬならー、ってやつ。」
 「……なんだそれ?」
 「あー…えっとね。私の故郷に伝わる言葉なんだけど……それには、三つ『答え』があってさ。」
 「答え…?」

 そう、と言って、彼女が俺の方へ向き直る。

 「鳴かぬならの続きには、三つ答え方があるんだよ。一つは『殺してしまえ』。一つは『鳴かせてみせよう』。最後が『鳴くまで待とう』っていう、三つ。で、その後に続く言葉がホトトギス。」
 「……それが、どうしたんだよ。」
 「んー…。答えるなら、あんたはどれを選ぶのかなーって思っただけ。」
 「…………。」

 ふと、考えてみた。
 しかし、それまでの流れから、どうしてもその答えを選ぶことが出来ない。
 すると、彼女は言った。

 「まぁ、どうでもいいか、そんなこと。………さーてと。私、そろそろ帰るね。あんまり待たせ過ぎても焦らしちゃうだけだし。」
 「………コレか?」

 そう言って、親指を立ててみせた。やられっぱなしは性に合わないので、逆にからかってやるつもりだったのだ。
 彼女は、一瞬顔を強ばらせた。けれどすぐにそれを笑みに戻したことで、俺は『触れてはいけない話題だった』と、聞いたことを後悔した。

 「ははは、違うよ。知り合いの子を待たせてるからさ。」
 「………悪い。」
 「いいってば! まぁ………………置いて逝かれちゃったからね…。」
 「え?」

 寂しげに零された一言が聞き取れず、咄嗟に聞き返す。
 彼女は、それを笑みで受け流すと「…何でもない。」と言い、窓枠に立ち上がった。

 「んじゃ、私、帰るわ。」
 「ちょっ………おい!!」

 その時、俺は、夢中で彼女の腕を掴んで引き止めていた。
 ちょっと何なの!? と驚いた彼女を、後ろから羽交い締めにして。
 聞きたいことがあった。どうしても、今、聞いておきたかった。

 「なによ?」
 「……別に、なんでも…。」
 「じゃあ、離してよ。」

 「……あんたは、さ…。」
 「ん?」
 「今、恋人とか………いるのか?」

 途端、彼女が黙る。何も言わず、俺に抱きしめられるまま。
 その体が思った以上に柔らかくて、思わず心臓が跳ねた。
 言葉は、自然と口をついて出てくる。

 「俺……俺さ…。」
 「………もう、会う事もないよ。」

 ポツリと零された言葉。どういう事かと、思わず目を見開く。
 それでも彼女は、静かに首を振るだけ。

 「な、なんでだよ…?」
 「……話すのは、今日これっきりってこと。もう二度と会うことはないよ、ジン…。」
 「なんで…!?」

 その『答え』は、返らなかった。代わりに彼女が口にしたのは、「あんたは、絶対良い軍師になるよ。だから、今は……前だけを向いて真っ直ぐ進みなさい。」という言葉。
 振り向いてそう言った彼女は、満面の笑みを浮かべていた。

 俺の手を振りほどき、彼女が窓から飛び降りた。慌てて下を見るも、彼女の姿はどこにも無い。
 ・・・・・あぁ、そうか。彼女は、転移魔法を使えたんだ。

 「……なん……だよ…。言いたいことばかり言って、消えるなんて……。」

 あの笑い声が聞こえてくることは、もうなかった。
 忘れようにも忘れられない、優しくて慈愛に満ちた微笑み。
 そして、決して忘れる事は出来ないだろう、慈悲と相反するような色を持つ、悲哀の瞳。

 「…あの………馬鹿女……。」