悪寒。
内に潜み、刻々と迫りくる、その”時”。
確証などないながらも、絶対的な実感。
『何か』が、音を立てて動き始める、己のよく知るその音色。
実体の無い『それ』は、確実に、自らを飲み込もうとしていた。
そう・・・・・それは・・・・・・・愛する者たちと共に。
[確証なき確信]
この街へ来たと時から続いていた『嫌な予感』を振り切ろうと、足早に宿への道を急いだ。
しかし、どうやっても『それ』が消えることはなく、それより更に胸に絡み付いてくる。
嫌な予感? ・・・・・・とんでもない!
時を経るごとに迫って来る『それ』は、確実に自分を・・・・・・否、自分だけでなく、この国全土を飲み込もうとしていた。
余りに不安が拭えぬため、は、走り出した。少しでもそれを振り切るために。
宿に戻り、彼らを連れて、すぐにでもこの国から出なくてはならない。
長年の勘、とでも言うべきか。それが、確かにそう警告していた。
「おかえり、。」
「ルシィは、どこ…?」
「えっ…。」
用事がある。そう言って出て行き、ようやく戻って来たかと思えば、そう問うてきた彼女。ササライは、目を丸くした。それもそのはずで、自分の知る『彼女』は、あの国で過ごしていた頃には考えられないほど酷い焦りを見せていたからだ。
何かあったのかい? そう問う前に、彼女はもう一度「あの子は…?」と問うてきた。
「ルシィは、風呂に行ってるけど…。」
「っ……そうか…。」
「、どうしたんだい?」
そう言うや否や、額に手を当て椅子に腰掛けた彼女。
それを見て、不安を覚えた。
彼女の行動に『不安』を覚えたのは、これが初めてだったわけではない。
彼女とルシファー、そして自分が暮らしていた、あの頃。時折、本当に時折だが、彼女の言動や行動に不安を抱く事があった。
ふと「少し出てくる…。」と言い出かけたと思ったら、帰って来たのは、夜も深けに深けた刻限だったり。ふと、ある朝部屋に起こしに行けば、ベッドではなく床でしゃがみ込み、毛布にくるまった状態で震えていたり。ふと声をかけた時に、泣きそうな顔をしていたり。
『情緒不安定……なんだと思う……。』
ルシファーに棍を教えた『彼』が、そう言っていた。
しかし、あの国にいた頃の彼女を知る自分としては、驚き以外の何者でもなかった。
酷く焦ったかと思えば、あの頃のように無表情になったり。小さく笑んでいたと思った矢先、急に黙り込み視線を伏せてしまったり。とにかく『高低差』が激しいのだ。
だが、彼女を情緒不安定と見解した『彼』は、それに下手に触れるような事をせず見守るべきだと言った。もちろん、ササライ自身そうする他ないと思っていたのだが、内に秘める『何か』と戦っているのだろう彼女は、見るに耐えない。でも、自分は何もしてやれないのだ。
だからこそ『彼』は、そう言うしかなかったのだろう。そう考えながら、彼女に何もしてやれない己の不甲斐なさを、日々嘆くしかなかった。
「ササライ……今すぐ、荷物を纏めて。」
「え? いったい、どうし…」
「今すぐに。ルシィが戻ったら、すぐにこの国を出る。」
「ちょっと、!?」
有無を言わさぬ言葉。それに声を上げるも、彼女は動じない。
元はと言えば、『ルシファーの見聞を広げる為に、旅に出ようと思う』と提案したのは彼女だった。それなのに、着いて早々国を出る? 理解出来るはずがない。
混乱した。
「待って。いったい、どうしたっていうんだい?」
「とにかく……面倒に巻き込まれる前に、荷物を纏めて。」
「話が見えないよ、なん…」
バンッ!!!!
息を詰めたと思ったら、彼女が途端立ち上がり、その手をテーブルに叩き付けた。
額に左手を当て、カチカチとテーブルに爪を打ち付けるというその動作だけで、彼女が苛ついているのは分かっていた。しかし、話が見えないこちらとしてみれば、何の説明もなく来た道を戻るというのは理解しがたかった。だから問うたのだ。しかし、それすら彼女の怒りの糧としかならなかったのか。
怒りを出した彼女の側面を見て、正直驚いた。
「…。」
「っ…、ごめん…。すぐに抑えるから……。」
ぐっ、と彼女が歯を食いしばり、項垂れる。怒りを内に押し込もうとしているのだ。
じっとそれを見つめていると、ようやく収まったのか、彼女が椅子に駆け直した。その傍に寄り、その肩を優しくさする。
「……。何があったのか、説明してくれないかい?」
「…それは……」
「きみにとって、何か不測の事態が起きたってことは分かるよ。でも、それを説明してくれないと…。」
「…………。」
静かに顔を寄せる。彼女は、俯いたまま思案しているようだった。自分に説明するべきか、迷っているのかもしれない。
だが意を決したのか、顔を上げるとポツリと呟いた。
「……嫌な予感が……するんだ……。」
「嫌な予感…?」
「どう……説明したら良いのか……分からない、けど……でも…。」
良からぬ事が起こる気がする。そう言って、彼女は一つ大きく息を吐いた。
ササライは、ふとそこで思い出す。ティムアルという青年と出会った事を。
「。」
「…なに?」
「さっき、ティムアルという青年に出会ったんだけど…。」
話した。ティムアルという青年に会ったこと。彼が、迷子になっているルシファーを助けてくれたこと。
そして・・・・・・自分に、『ハルモニアのササライなのか?』と問うてきたことを。
「ティムアル?……まさか…。」
「十中八九、あのティムアル=ケピタだと思うよ。僕は、彼に会った事はなかったけど……一目見て分かったよ。」
「……私たちの正体は…?」
「とぼけて見せたけど、多分向こうも気付いてる。僕の名前だけならまだしも、ルシィは、きみの名前も教えたみたいだから。」
「…………いつ…?」
「きみが出かけて暫くして、僕も宿を出たんだ。だから、そんなに時間差は無いと思うよ。」
「……………。」
彼女が考えていることは分かる。正体がバレたのだろう、と。
しかし、それは懸念すべき事ではないはずだ。
「。今の僕らは、ただの旅人だよ。もう、あの国とは関係ない。」
「……それは、分かってる…。」
「それに、この国とは『友好条約』を交わしたじゃないか。だから、きみが憂うことは何も…」
「っ…そうじゃないッ!!」
やはり彼女は、どこかおかしい。出来る限り声を抑えて話していたと思ったら、急に震えながら声を荒げたり。
すると彼女は、声を震わせながら、恐れるように言った。
「ここに居たら、きっと………また……!!」
また。その後に続くのは? その後に彼女が続けようとした『言葉』は?
・・・・・・・・『失うかもしれない』?
でも、だとしたら、どうしてそう思う?
「…。」
「っ………。これは……私の感覚だから…信じてくれなくても良い…。でも……この国からは、すぐに出た方が…!」
「……分かったよ、。分かったから、落ち着いて…。」
「…っ……。」
震えている。彼女は、肩を唇を振るわせながら、そう言っている。
ササライは、それで良いと思った。彼女がそう言うのだ。自分は、これまで彼女を信じてついてきた。だから彼女の言うべき通りにしよう。
「すぐに、支度をするから……少し待ってて。」
そう言うと、彼女は静かに頷いた。