[歪定]



 ルシファーと別れた後、夜祭へ向けて、再度賑わい始めたメインストリートを歩き、暫く。
 視界には、ようやく皇帝の住まう城が見えてきた。

 先ほどの背の激痛と右手の震えは、もう感じない。チリ、と痛んでいたはずのそれは、もう痛みとも呼べぬ小さなものになっていた。

 城内へと続く門が見えたので、足を止めて目を細める。見ればそこには、警備と見られる兵士が軽く20〜30はいる。サラナゲイダ・コルムと名付けられたコロシアムは、一般人も入場出来るらしいが、城はやはり別物なのだろう。警戒が周到に敷かれ、例えそれが国の重臣や皇族であろうと厳重なチェックを受ける。
 それを目にし、軽く舌打ちして、歩みを再開した。ゆっくり、かつ緊張感の無いよう、何気ない風を装って門に近づく。

 と、ここで、近づく自分に警戒したのか、兵士が一人槍を手に前に出た。
 途端、張りつめた空気が他の兵も加わり、更に増す。
 すると、兵士の一人が、自分を制して声をかけてきた。

 「お待ち下さい。この城に、なにか御用向きですか?」
 「…………。」

 別に、返答に困ったわけではない。
 元より城門から向かうことはせず、そこを通り過ぎて裏から忍び込めば良いと考えていた。これだけ厳重な警戒をしているのだ。『立ち入るべからず』であるだろうし、下手に自分の素性を明かせば混乱を招くことになる。

 しかし城門前には、自分以外にも数人この街の住人と見られる者が行き来していた。それなのに、特に何の気なしに通り過ぎようとした自分にだけ声がかかった。
 ・・・・・何故?
 ふと、そこで思い出す。この街へ入る前、自分の荷物のチェックをしていた兵士が仲間に何か告げて走り去る場面を。
 もし、仮に自分の『答え』が合っているとするならば、ここで声をかけられたのも納得出来る。だが、やはり心がザワめくのだ。

 沈黙していると、それを不審に思ったのか、兵士が再度繰り返す。

 「この城に…」
 「ミルド皇帝に、お会いしたい。」

 「……その必要は、無いわ。」

 仕方なしに用向きを伝えると、突如、横合いから声がかかった。視線の先──城門を出た所──には、少女が立っている。年齢は、ルシファーと同じぐらいだろうか。
 だが思わず眉を寄せた。こんな少女、会ったこともないからだ。
 けれど、少女が『誰か』に似ている気がした。確信を持っているわけではないが・・・。

 笑みを称えたその顔は、パッと見るだけで『美少女』と言える。そしてその肌は、寒い国出身かと思わせるほどに白く、艶やかな黒髪は、夕陽を浴びて鮮やかに光る。だが、その整い過ぎた容貌とは裏腹に、醸し出す空気が不気味に映った。
 小さな唇は桃のように色づいているが、その微笑みは、まるで人形のようなのだ。時間帯のせいなのか、陽の当たるその黒髪は、見ようによっては『返り血を浴びた黒刃』にも見えた。
 最も不気味と感じたのは、気候が穏やかな国だというのに、少女の周りだけ温度が下がっているような感覚。

 そう考えたが、別段、少女を『恐い』とも『おぞましい』とも思わなかった。そう思う必要も無かったからである。
 しかし兵士達は、その少女の持つ空気に気圧されているのか、体を強ばらせている。

 無表情のまま、少女を見つめた。すると少女は、その笑みを深くして──年相応には見えなかった──続けた。

 「ミルド様は、あなたなんか知らないわ。」
 「……?」
 「だって、ミルド様から、あなたの話なんて聞いたことがないもの。」
 「……私の?」

 少女の言わんとする事が理解出来ず、僅かに眉を寄せる。探るような視線を浴びせても、顔色一つ変えない。

 「私はね、ミルド様のことが大好きなの。ミルド様も、私のことを好きって言ってくれた。」
 「……なにが言いたい?」
 「ふふっ! だから、私が知らない人は、ミルド様も知らないの。」

 会話が噛み合ない。少女は、クスリと笑いながら同じことを言うのみ。この少女、ミルドの傍付きか何かだろうか? だが、醸す空気からしてただの傍付きではあるまい。
 そう考えていると・・・・

 「…スタナカーフ将軍。こんな所で、何をなさっておいでですか?」

 またも門から声がかかった。その声に少女が、億劫そうに視線だけを向ける。
 少女の名は、スタナカーフと言うのか。そして傍付きではなく、どうやら将軍だったようだ。少女の醸し出す空気に、ようやく納得がいった。
 しかし、この歳で将軍とは。ミルドは、いったい何を考えている?

 ふと声の先を見れば、そこには、少女よりも小柄な少年が分厚い本を手に立っていた。その幼いながらも賢そうな顔立ちに、宮廷使いだとわかる服装。しかし少年は、スタナカーフと仲が悪いのか『嫌な奴に会った』という顔を全面に出している。

 「なによ、ラジャ。あなたには、関係ないことよ!」
 「……折角のミルド様の聖誕祭なのに、貴女は、こんな所で騒ぎを起こす気ですか?」
 「うるっさいわね! 私がどこで何をしようが、私の勝手でしょ!」
 「……お言葉ですが、貴女は、このような所で油を売っている暇は無いのでは?」
 「うっ…。」

 会話だけを聞くなら、まともな大人のものだろう。それが『子供同士』だというのだから、違和感を持ってしまうのも頷ける。現に門を警備している兵士達は、皆困ったような顔だ。
 下手に騒ぎが大きくなる前に、ここは引いておくべきか。そう結論し、は踵を返した。だが、少年に声をかけられる。

 「あ、お待ち下さい!」
 「……?」

 どうやら、スタナカーフという少女は、少年との口論に負けて城内へ戻ったようだ。小さな背を見つめていると、少年が駆け寄ってくる。
 面倒事に巻き込まれなければ良いけど、と思いながらも、少年に問う。

 「………なにか?」
 「あの、スタナカーフ将軍が、失礼を…。」
 「いや…。」
 「で、ですが…」
 「……ミルド皇帝に謁見を申し込もうと思ったのだが……どうやら、先手を打たれたようです…。」
 「えっ?」
 「……それでは、私は、これで…。」

 どういうことかと問われる前に、ラジャと呼ばれた少年に目礼して踵を返す。
 早く、この国を出た方が良い。そう考えながら・・・・。






 「ラジャ様。そろそろ、サラナゲイダ・コルムへ…。」
 「あっ、そうですね。早く支度をしないと…!」

 兵士の一人に告げられて、我に返った。
 ふと空を見上げれば、茜色が濃紺に代わりかけている。

 気になる事があった。先に去った女性のことだ。
 皇帝に謁見をしようとやって来たと言っていた。だが確かに、スタナカーフが言っていたように、彼女が知らない人物ならばあの皇帝も知るはずがないのだろう。
 興味を引いたのは『誰?』という意味でもあるが、それだけではない。あのスタナカーフの醸し出す空気の前で臆する事もせず、堂々とその正面に立つ姿。話している時にも物怖じすることなく、逆に相手を竦ませることの出来る静かな深い闇色の瞳。見る者を引きつける、黒き双眸。そして、その奥に潜む”意志”は、そう安易に計ることが出来ない。

 彼女は、いったい何者なのだろう?

 謁見を望んだ理由は?
 皇帝と、何を話すつもりだったのだろう?
 もしや、士官するつもりだったとか?

 でも・・・・・・・あの御方は、もう・・・・・。

 「ラジャ様…?」
 「っ! あ、そうですね……。それでは、私は戻りますので、引き続き警備をお願いします。」
 「はっ!!」

 兵士の声に遮られて、考えを中断した。だが、謎自体が消えることはない。

 『不思議な人だったなぁ…。』

 足早に去って行った女性の後ろ姿を思い出しながら、少年は、城内へと足を向けた。