[金瘡小草・金糸梅]



 それから暫くして、ルシファーが部屋に戻ってきた。本人なりに頑張って頭を拭いたようだが、まだそこからは雫がポタポタ落ちている。自分が戻って来ていることに喜んだのか、笑顔で駆け寄ってくる。

 「、おかえりなさい!」
 「うん……ただいま。」
 「具合は、もう大丈夫なの?」
 「うん、大丈夫だよ…。」

 そう答えて、少年の首に掛かる布を手に取り、頭を拭いてやる。
 嬉しそうにニコニコ顔をする少年。

 「……これでよし、と…。」
 「ありがとう! あっ、そうだ。聞いて! さっき、と別れた後に、道に迷っちゃったんだ。そしたらね…」

 この子は、いつも話が唐突だ。自分たちと離れて行動した時のことは、必ずと言って良いほど報告してくる。急がなくてはならないのだが、『聞いて聞いて!』と満面の笑みを向けられてしまえば、無下に『急いでいるから』と話の腰を折るのも気が引けた。

 「……そうなんだ。」
 「うん、それでね! ティムアルさんが、表通りまで連れて行ってくれたんだ! そしたら、ササライに会えたんだよ!」
 「…そう。」

 大抵は、『こんな事があった』『こんな面白い事を知った』『新しい物を見つけた』といった日常的な報告だったが、件の『ティムアル』という名称を聞いて、先のササライの話を思い出す。それなら、ついでにその確信を得ようと問うた。

 「…ルシィ。そのティムアルという人は、どんな感じの人だった…?」
 「ん? えーっとね…。凄く綺麗な顔だったよ! 髪が金色で、目はグリーン!」
 「……優しそうな顔をしてた?」
 「うん! それで、声は凄く落ち着く感じだった!」
 「………そう。」

 やはりそうか。それで確信に至った。二人が出会ったのは、あのティムアル=ケピタだ。
 警戒する必要も無いのだろうが、そんな事より、早くこの国から出なくてはならない。多分、胸に留まり続けるこの『嫌な予感』は、彼らじゃない。
 もっと大きな・・・・・・大きな・・・・・。

 自分が抗いきれなかった、あの戦いのような・・・・・・



 「、どうしたの?」
 「……なんでもないよ…。」
 「うん…。」

 いつもと変わることのない返答。ルシファーが、気落ちしたように俯いている。そんな少年の肩を叩いて励ますのは、ササライの役目だ。

 「ところで、ルシィ。来たばかりで何だけど、ここを発つ事になったんだ。」
 「え、もう? どうして…?」
 「ちょっと大事な用が出来ちゃったんだよ。だから、一度この国から出て……」
 「何かあったの…?」

 それは『天性の勘』と言うのだろうか。本当の理由を告げることなく、上手い具合に説明しようとしたのだが、この子なりに察知したようだ。
 ササライは、苦笑いをかみ殺し、いつものように微笑んで見せる。

 「何もないよ。」
 「じゃあ、なんで…」

 「……ルシファー。」

 と、ここで彼女が口を開いた。彼女が少年を『ルシファー』と呼ぶ時は、本気の説教や褒める時、そして大切な話をする時だ。
 それを耳にした少年が、反射的に背筋を伸ばす。だが彼女は、濡れた布を彼の頭に被せながら、小さな笑みを見せただけ。

 「ルシファー…。この国が、気に入ったの…?」
 「うん…。」
 「…そう。ここは、グレッグミンスターで見かけない物も数多いからね。でも………今回は、時期が悪かった…。」
 「どういうことなの…?」

 少年が、問いかえす。彼女は、僅かに視線を落とした。
 こういう時の彼女には、何を言っても無駄だ。少年が下手に駄々を捏ねなければ良いが・・・。
 そう思っていたササライの心配は、すぐに消え去った。少年は「…分かった。」と言うと、荷物を纏め始めたのだ。






 「先に……門の所で待ってるね…。」

 そう言って、彼女が宿を出て行った。
 何故、別行動するのか少年には分からなかったようだが、ササライには理解出来た。下手に三人で行動して目をつけられぬよう、彼を自分に任せて先に行った方が良い。彼女はそう考えたのだろう。
 今ごろ、サラナゲイダ・コルムと呼ばれるコロシアムでは、市民を交えた皇帝ミルドの聖誕祭が盛大に行われているはず。街の警備が薄手になるのは、この時間帯しかない。

 もし・・・・もし、あのティムアルという青年が、皇帝に自分達の話をしていたら?
 ササライは、それを懸念していた。皇帝本人に会った事がないので何とも言えないが、もし自分達がハルモニアに属していた事を知られれば・・・。捕まるのかもしれないし、話せば理解してもらえるのかもしれないし、『何とも言えない』。
 友好条約を結んだと言っても、それは、あくまで国と国の話だ。個人単位の事ではない。

 彼女は、きっとそれも含めて『嫌な予感』と言ったはず。そう考えた。

 しかし、彼女を理解出来るようになるまでには、とても時間がかかった。ハルモニアに居た頃は、彼女が何を想い、なにを最終目的として時の流れに身を戻したのか分からなかった。
 では今、彼女を全て理解出来ているかと聞かれれば、そうではない。正直、理解出来ないことの方が多い。ルシファーに教える事は多々あれど、自分もまだ学んでいる最中なのだ。

 彼女と共に過ごしてから、数年の月日が流れた。しかし、彼女の事を誰より理解しているだろう彼女にとっての最古の友人には、まだ遠く及ばない。彼女が何を想い、何を考え、何のために生きているのか、彼はきっと理解している。理解していて尚、彼女の”意志”を継ぎ、あの国に留まっている。
 ・・・彼は、元気にやっているのだろうか? 以前手紙を出したが、旅に出てしまったので返事を読むのはまだ先だろう。彼は、彼女の描く”先”の成就のため、淡々と事を進めているのだろうか? 彼は、今でも彼女を想い・・・・・その全てを捧げ続けるのだろうか?

 ふと視線を上げれば、ルシファーが、懸命に荷造りする姿が目に入った。






 大した荷物でないはずなのに、上手く荷造り出来ない事に溜息を落とした。
 あぁでもない。こうでもない。そう呟きながら荷を纏めていると、ふと、昼間老婆に貰った飴細工が目に入る。

 『そういえば……あのお婆さんは、とササライに渡してあげなさいって言ってたなぁ…。』

 彼女は既に宿を出てしまったが、ササライには渡せる。そう考えてルシファーは、『ヒペリカム』の飴細工を渡した。

 「ササライ、これ上げる!」
 「なんだい? これって……飴かい?」

 少年から渡された菓子を手に、ササライは、小首を傾げた。
 綺麗な花に象られた飴。飴とは思えぬほど繊細だ。

 「それね。お菓子屋さんのお婆さんがくれたんだ!」
 「でも、どうして僕に?」
 「僕、お婆さんに、二人の話をしたんだ。そしたらお婆さんが、これをササライに渡して上げなさいって。僕とササライは、ヒペリカムなんだってさ。」
 「ヒペリカム……。」
 「凄く綺麗だから、食べちゃったらもったいないよね。」
 「……は?」
 「は、アシュガっていうお花の飴を貰ったよ。これを見て、僕、のことを思い出したんだ。」
 「………アシュガに……ヒペリカム、か……。」

 花にも意味があるんだって! 笑顔でそう言い、飴細工を見つめる少年。
 ササライは、視線を落とした。その花が持つ『言葉』の意味を知っていたからだ。

 ・・・・・・老婆の見解は、間違っていなかった。
 彼女の『アシュガ』に対して、自分達に渡された『ヒペリカム』。
 あぁ、そうだ。アシュガは、確かに彼女をよく表している。そしてヒペリカムは、自分達の”想い”だ。

 「優しいお婆さんだったよ!」
 「そっか…。」

 「それじゃあ行こうよ!」と言って扉を開けた少年は、元気よく部屋を出て行く。早く彼女に飴を渡したいのだろう。
 先走る少年を叱るのは、本来なら自分の役目ではない。しかし、叱るはずの彼女が居ない今、自分があのやんちゃ少年の手綱を引かなければならない。

 でも、ササライの足は動かなかった。

 「……………。」

 じっと、今しがた手渡された飴を見つめる。
 落としただけで壊れてしまいそうな、それ。
 けれど、決して壊してはならないと思った。その”想い”だけは、絶対に無くしてはならないと思った。

 いつの間に戻って来たのか、「どうしたの? 早く行こうよ!」と扉から顔を覗かせた少年。
 自分とは違う、その笑い方。
 似ているのは、容姿だけだと思った。育った環境や得て来た経験によって、同じ顔をしていても、これだけ違う。自分も、彼も、そして・・・・。

 そう考えた後、少年に「…うん、行こう。」と告げて、歩き出した。
 胸の内で、小さな決意をして。



 金瘡小草・・・・・・・・きみを表したそれは 『追憶の日々』

 金糸梅・・・・・・・・・僕の”決意”は 『その悲しみを止める』こと