「お待ち下さい。」
 「……なにか?」
 「ミルド様が、貴女をお待ちです。我々と……来ていただけますね?」
 「…………。」



[葛藤]



 その瞳が 『彼』の右手を見つめている時
 その唇が 『誰か』の名を そっと呟く時
 僕は いつも思っていた

 彼の『右手』には 何があるの?

 彼自身ではなく 視線は いつもその右手に
 その届かぬ場所へ向けられた”想い”は
 深くて底の無い 暗闇の中

 自分には 決して見えぬ 『冥界』の底

 その瞳が 僕を通して透ける時
 その眉が ふと悲しそうに寄せられる時
 僕は いつも思うんだ

 僕を通して 『誰』を見ているの?

 僕じゃなくて 視線は もっと遠い場所に
 その 宛なく触れることの出来ない”想い”は
 遠い彼方の 夜の輝きへ

 自分には 決して悟れぬ 『星空』の狭間

 夜更け 暖かい部屋の中から見た その背中は
 流れる『風』に撫でられながら 小さく震えていた
 大きな力に抗うように

 僕は 『誰か』の代わりなの?

 夜明け 朝日に照らされた その寝顔は
 安らかに見えるようでいて どこかを彷徨い続けている
 大好きな人たちを ずっと負い続けるように

 僕じゃ 力になれないの?

 僕でもなく 『彼』でもなく
 視線は いつも 在るはずのない虚構

 僕じゃ 力になれるはずがない

 ここでもなく どこかでもなく
 何も無い 誰もいるはずのない無限

 その瞳は いつもどこかを彷徨っていて
 その唇は いつだって・・・・・
 いないはずの 『誰か』の名を 必死に呼び続けていた

 それなのに 僕は・・・・・・・何も『知らない』んだ・・・・









 宿を出る直前、彼女に言われていた事を思い出した。
 『何かおかしいと感じたら、私と他人のフリをしてこの街を出ろ』と。そして、渡された地図に示される場所で『待っていて』と。
 何となく、彼女の言う事が理解できたような、出来なかったような。
 しかし、自分の予想通りの結果となってしまった今は、それに従うしかないだろうと思った。

 街門前。
 現在、サラナゲイダ・コルムで行われている祝賀会から戻ったのか、ここに居る者たちは殆どが商人のようだ。その中に紛れて、彼女はいた。
 ササライはルシファーを連れていたが、すぐその列に加わる事は控えた。遠目から様子を伺い、彼女が大丈夫だと判断したら行こうと、そう考えていたからだ。

 『もう、大丈夫かな…?』

 そう思い、首を傾げているルシファーを連れて角から出ようとした。だが、その直前に、列に並ぶ彼女に一人の兵士が声をかけたのだ。
 何を話しているのか、この距離からでは分からない。だが彼女に声をかけた兵士は、街門を警備する兵より少し位が高そうだった。身に付けている甲冑や布を見るに、恐らく城内でも優れた地位にいる兵だろう。

 彼女は、暫し兵と話ていたようだが、やがて静かに頷くと、その後ろについて街門を離れて行った。
 それを見たルシファーが、声を上げる。

 「ササライ、が!!」
 「…………。」
 「どうしたの!? 早く助けに…」
 「……ルシファー。僕たちは、ここを出るんだ。それと、決して彼女と関係があると思われてはいけないよ。」
 「え…?」

 少年は、きっと『どうして彼女が連れて行かれるのか分からない』と考えているのだろう。そして、なぜ自分が彼女を助けることなく『ここを出る』と言っているのかも。
 ここで駄々を捏ねられるのは困る。だから、少年の腕をグイと掴んで街門へ歩き出した。

 「ササライッ!!」
 「…ごめん、ルシィ。今は………彼女の指示に従うのが、一番良いんだよ。」
 「どういうことなの? なんで、が…!」
 「…とにかく、一刻も早くここを出るんだ。」
 「っ……ササラ…」

 まだ駄々を捏ねるのか。少し苛々したが、それなら仕方ない。
 一度掴んでいた腕を離すと、少年に言った。

 「いいかい、ルシィ? 絶対に、門の兵士に、僕らと彼女が関係していると思われては駄目だよ?」
 「ササライ、答えになってな…」
 「とにかく、今は……お願いだから、今だけは、僕の言うことを聞いて。」
 「…………。」

 ササライとて、不安が無いわけではない。少年と同じく、兵に連行された彼女を心配してないわけではないのだ。『彼女は、絶対に大丈夫』と、高をくくれるはずがないのだ。
 ただでさえ、安定の兆しを見せていたはずの彼女は、ここ最近どこかおかしい。情緒不安定なのも分かるが、本当にただそれだけなのかと思った。

 でも、自分には・・・・何も出来ない。

 少年が不安を口にするより、ササライは事情を知ってしまっているだけに、更に不安だった。だからと言って、少年の心配の方が軽いとも思わないし、自分だけが彼女を心配しているとも思っていない。
 そういえば、昔はすぐに口に出していた気がする。『なにかあったのかい?』『どうしたんだい?』『僕で良ければ…』と。
 だが、それで通用する相手ならまだしも、彼女はそうではなかった。理解しよう、理解したいと思えど、そう簡単に心を開いてくれるわけではなかった。

 『はぁ……。今さっき、決意したばかりなのに、ね…。』

 落ち込みそうになる気持ちを制しながら、少年に、もう一度言った。

 「お願いだよ、ルシィ…。」
 「でも…」
 「今は、僕の言うことを信じて。僕だって、の事が心配なんだよ。大切だと思ってるよ。でも、彼女がそれを望むなら、僕は……」

 少し感情が入ってしまった。僅かに震える拳は、怒りか、それとも恐怖か。
 内で葛藤する気持ちに、下唇を噛む。

 「分かった…。ササライが、そう言うなら…。」
 「……ごめんね。それと、ありがとう。」
 「うぅん…。僕の方こそ、我が儘言ってごめんなさい…。」

 今度は、少年の手を力づくで引かなくて済んだ。
 ゆっくり歩き出すと、荷物をかけなおしながら、少年が追ってくる。

 「でも、どこに行くの…?」
 「……ラミという町だよ。彼女とは、そこで落ち合うことになってる。」