[夢幻の皇帝・1]
「久しぶりね、………会いたかったわ。」
先に口を開いたのは、彼女だった。肘をつく動作に合わせてその衣が揺れる。
誰もいなくなったので、は静かに立ち上がった。
「……4年ぶりだね、ミルド…。」
「ふふ、そうね。来てくれて、嬉しいわ。」
笑みを浮かべる事のない自分に対し、彼女は、心より待ちわびていたとでも言うように、その笑みを深くする。とはいえ、整ったその顔に現れるその笑みは、良い心地がしない。
またの静寂を経て、今度は、自分が問うた。
「……抜き身の武器持ちの兵士を寄越したのは、どういった了見なの…?」
「あら、ごめんなさいね。でも、とても……とても大切な話があったから、仕方がなかったのよ。」
「それなら、どうして……その前の謁見を拒んだ?」
「……………。」
と、ここで彼女が押し黙った。どうせすぐに返答など来ないだろう。そう考え、気長に返事を待つ。
すると、彼女が片手を上げた。
それを合図に、皇座の後ろから姿を現したのは・・・・
「ふふ…。その際は、この子が、大層無礼なことを言ったようね。」
「…その子は、あの時の…?」
城門の前でやり取りをした、あの少女だった。その顔を見て『誰かに似ている』と思っていたが、まさかミルドだったとは・・・。
「まさか……あんたの…?」
「いいえ、違うわ。」
「それなら…」
子供か? そう問うと、彼女は『否』と言った。だがここまで似ているとなると、それ意外に考えられない。
彼女が、少女に目を向けた。すると少女──スタナカーフ──は一歩前に出た。
「さぁ、スタナカーフ。この人に、何か言うべきことがあるでしょう?」
「………。」
少女は口を開こうとはせず、じっと床を見つめている。
それに怪訝な顔をしていると、ミルドが続けた。
「この子は、貴女のことを私に報告する前に『知らない』と言ったんでしょう? 私に話を通す前に断るなんて、とんでもない子よね。」
「ご、ごめんなさい、ミルド様……」
「謝る相手が違うでしょう? スタン。」
「っ……。」
会話を聞けば、意味は理解できる。あの時少女は『私が貴女を知らないのだから、ミルド様が貴女を知っているはずがない』と、実に意味深なことを言っていた。
自分としても、少女の持つ気配や身のこなしから、ミルドに近い存在であると考えていたし、その言葉に対して『ミルドが先手を打ったのか』と考えていた。だがそうでは無かったようだ。少女は、思い込みという独断で、主の機嫌を損ねてしまったのだろう。
どうして『自分が知らぬ者なら、ミルドが知るはずがない』という考えに至るのか理解は出来なかったが、それだけは分かった。
「さぁ、スタン。私のお客様に対しての無礼な振る舞いを、きちんとお詫びしなさい。」
「………も、申し訳ありませんでした…。」
「いや……もういいよ…。」
礼には適っている。それを見て『彼女は、まだ正常なのか』と思った。
「それじゃあ、スタン。貴女も下がりなさい。」
「で、でも、ミルド様……」
「私は、彼女とお話があるの。分かったら、とっとと下がりなさい。」
「…………はい。」
先ほど見た冷たい空気が、今の少女には見られなかった。ミルドにぴしゃりと言われ、肩を落として今にも泣き出しそうな表情は、年相応に見える。
スタナカーフが退室した後、ミルドが玉座から立ち上がった。
「まぁ、楽にしてちょうだい、。あぁ、そうだわ! 良かったら、私の部屋でワインでも…」
「…あんたの用件は?」
「あら……。ふふ、そう焦らなくても良いじゃない? 4年ぶりでしょう? あの時は、話すことも出来なかったのだから、積もる話も…」
「ミルド。」
静かに見据えると、彼女は途端、柔らかい笑みを見せた。
「ふふふ…。そうカッカしないで。それに今日は、私の誕生日なのよ?」
「あぁ、そうだったね…。おめでとう。いくつになった?」
「もう! 意地悪ねぇ、。お互いに聞いてはいけない事でしょう? 歳なんて…。」
「……そうだね…。」
でも、用件はそんな事じゃないだろう? そう聞くと、彼女は更に笑う。
悪寒が消えない。むしろ先程よりも増している。
「えぇ、そうね。それに………親愛なる貴女から、プレゼントも貰いたいわ。」
「……プレゼント?」
「そうよ……もちろん、私にくれるでしょう?」
と、ここで彼女の目が、僅かに光ったのを見逃さなかった。
「貴女の、その右手に宿る………………………『創世の紋章』をね。」
ミルドが指を弾いた。転移のような光が零れ落ちたかと思うと、そこからは、この国の兵士たち。ざっと見ただけで30人はいるだろう。
だが、がそれに臆することはなかった。そして平然と彼女を見つめ、問う。
「私の紋章を…? どういうこと?」
「うふふ…。貴女は、理由を知らなくて良いのよ。ただ、私に『それ』をくれれば…。」
「……私が、簡単に『これ』を渡すと思ってんの…?」
「あら、なに言ってるのよ。私たち、『友達』でしょう?」
「……………。」
多勢に無勢な状況。だが、苦い顔をする必要は無かった。
それより気にかかるのは、彼女の表情だ。自分に向けるその笑みが、おぞましい程の狂気をたたえているのだ。
「確かに………友達は友達…かもね。」
「ほら、そうでしょう?」
「……でも、これを渡すわけにはいかない…。」
「あぁ、安心してちょうだい。貴女がそれを渡してくれれば、殺しはしないわ。」
あえて『殺す』という表現を選んだのは、如何に本気か分からせるためだろう。冗談で言っているのではない。そう分かってはいたが、「はいそうですか」と渡せるほど簡単にくれてやれる代物でもない。
「…殺しはしない…ね…。随分と物騒な事を言うようになったけど…。」
「だって、仕方ないじゃない。欲しいと言ったところで、貴女がそう簡単にそれを渡してくれるとは、思っていないもの。」
「…そう。それで、脅す行為にでたわけか…。」
目を細めて睨みつけるも、彼女は笑みを消さない。
「私としても、正直、友達である貴女を殺すには忍びないの。だから交換条件として、その紋章さえ渡してくれれば………命は取らないでいてあげる。」
「今は、という意味だろう?」
「ふふ…どうかしら? 誰もが私を残して逝く中で………貴女だけは、ずっと変わらないでいてくれたから…。」
交換条件を受けても、『結果』は変わらない。
受けたところで、自分はいずれ命を落とす。どちらにしても、受ける気などないが・・・。
生きなくてはならない。死ぬことは、決して許されない。『来るべき日』が来る、その時まで・・・・・決して。
それに、黙ってやられてやるほど、自分は弱くない。
自分の保護下にいる少年が、今はいないのだ。この”力”を使うことに戸惑いはない。
拳を握りしめると、薄手の革手袋が音を上げた。