[夢幻の皇帝・2]



 「さぁ、。どうするの?」
 「どうする、と言われても……。生憎、私は『これ』を渡したいと思わないし、命をくれてやる気もない。それに、これを外せば……結果的に、私は死ぬことになる。」
 「でも、繋がりの残っている間は、生きていられるじゃない?」
 「……話にならないね。私は、まだ死ねない。死ぬわけにはいかない。」

 そう言うと、ミルドから笑みが消えた。代わりに浮かぶのは、『その答えも予想していた』という、僅かに呆れたような顔。

 「交渉決裂……残念ね。私としては、貴女を殺すような事、したくなかったのだけど…。」
 「……私が、そう簡単にやられると思ってる…?」
 「まさか! 思っていないから、これだけ兵士を呼び出したんじゃない。」

 ミルドが片手を上げた。すると、部屋の左右を覆うカーテンが開き、その中から弓兵と魔法兵。兵の数が、二倍に膨れ上がった。

 「残念だわ、。貴女を殺したくないの。…本当よ? でも、貴女が、どうしてもそれを渡してくれないと言うのなら……手段は選べないの。」
 「……それは大変だ。でもさ、ミルド……。この紋章を手に入れて、何に使う気なの?」
 「ふふ……優しい。貴女は、知らなくても良いのよ…何も…。」
 「……言えないか? それなら尚更、これを渡すわけにはいかないね。」
 「今さら、何を言っているの? 最初から、頼まれたって渡す気なんか無かったくせに…。」
 「……当たり前でしょ…。」

 軽口を叩いている間、兵士たちに動く気配はない。彼女の命令は絶対なのだろう、ただ号令が下るのを待っている。
 すると彼女は、何を思ったか「そういえば…」と言った。

 「ねぇ、……。あの可愛い”坊や”は…………元気にしているの?」
 「…………。」

 彼女達と出会った頃。
 その年代と、その口調からして該当する『人物』は、たった一人。
 自分の恋人だった”彼”のことを言っているのだ。

 沈黙に、彼女は察したのか、うすらと笑った。

 「ふふ、可哀想な…。置いて行かれてしまったのね?」
 「……………黙れ…。」
 「でも、安心してちょうだい。そうねぇ……あぁ、良い事を思いついたわ! 私が、貴女の紋章を貰った後、そのお礼として、貴女を………」

 彼女が、再度右手を上げた。
 さっと背筋に嫌な予感が走り、いつでも戦えるように頭を切り替える。



 「テッドの所へ…………………逝かせて上げるわ。」



 振り下ろされた彼女の手を合図に、左右にいた兵達の弓が一斉に鳴った。だが、それらが自分を傷つけることはなかった。手刀で矢を折り、すべて地面にたたき落としたからだ。
 それを見て、ミルドが愉快そうに笑う。

 「流石に、やるわねぇ。」
 「……この程度の攻撃……避けられなくて何になる…?」
 「当たり前だけれど、貴女は、強くなったのねぇ。」
 「………それだけの時は、生きてきてるからね…。」

 皇座にかけなおし、彼女が肘付きに凭れる。
 それを横目に革手袋の調子を確かめていると、彼女は、ポツリ。

 「やっぱり……惜しいわ。」
 「……それよりも、自分の兵を心配した方が良いんじゃないの…?」
 「あら、どうして?」
 「……ここにいるのは、精鋭なんでしょ…? 言っておくけど、この人数じゃあ、私を殺せない。まして、むざむざ死んでやろうとも……。それぐらいは、分かってるでしょ…?」

 そう言ってやると、彼女は鼻を鳴らした。

 「ふん………4年前に見た時とは、全然違うわねぇ。今は、何が何でも生きないと、って顔をしているわ。」
 「……昔と今じゃ、状況が違うからね…。」
 「あら…? という事は、『生きる目的』が出来たってことなのね?」
 「……あんたが、取りたいように取れば良い。それに、テッドは…………それでも私に、生きる事を望んだんだ…。」
 「ふふ……恋人でもなかったくせに?」
 「……恋人には、なった…。でも、あいつは………。」
 「あぁ、なんて可哀想なのかしら! さぁ、! それを渡してちょうだい! そうすれば、すぐにテッドの所に…」

 「……私は、絶望したよ。今のあんたみたいに……。」

 そう言うと、ここでミルドが意外そうな顔をした。
 おどけたわけでもなく、心から『心外だ』という顔だ。

 「私みたい、ですって? まぁ、何を馬鹿なことを言っているの? イルシオは、まだ死んでいないわ!」
 「……あんた、なに言って…」

 彼女の言葉。その意味を、否応なく理解してしまう。
 4年前のイルシオ葬儀に見たあの日から、正常から外れてしまうのではないかと思っていた。だが、これほどだったとは・・・・。
 拳を握りしめても、それは後悔でしかない。

 「……馬鹿は、あんただよ…。この紋章は、渡せない…。話はお終いだ。私は、帰る…。」
 「私が…馬鹿ですって…? それに、帰る…? っ……貴女に……………この国を出ることは、許されないのよッ!!!!!」

 声が上ずり感情を表し始めた女皇帝は、みるみる内に怒気を出す。定まらない感情。
 だが、それは自分も同じだった。

 「許されない、か…。それなら……どうする?」
 「ふふ……何も知らない…。貴女に人が殺せるの? 心優しい貴女に…。」
 「……殺しはしない。でも…」

 彼女から視線を外し、周りを囲む兵士に告げる。

 「痛い思いをしたい奴だけ、かかって来い…。死なない程度の手加減はしてやる…。でも………肋や腕の一本二本は覚悟しろよ。」

 殺気を出すと、兵士達がたじろいだ。
 と、ミルドが何事か呟く。それと同時に、兵士達から『何か』が消えた。
 それを見て、臍を噛んだ。その瞳が『現』ではなく『虚無』を見ていたからだ。兵士達は、完全に”意思”を奪われている。

 「ミルド………あんたっ……!!!」
 「ふふ、言ったじゃない? 私だって、考えてないわけじゃないって。」

 彼女は、そう言って指を弾いた。それを合図として、剣や槍を持った兵士達も、自分の周りを取り囲む。
 しかし、そう簡単に自分が倒れるわけがなかった。次々と襲い来る者たちを拳で沈めていく。その最中、四方八方から矢が射られたが、身を翻して手刀でたたき落とす。
 自分の相手ではない。魔法兵が放とうとした紋章も、グローブに秘めた『封魔』によって不発にしてやる。だが、グローブに宿る紋章の事を知っていたのか、彼女は眉一つ動かさない。

 ・・・・・埒があかない。

 負けるわけでも、避けられないわけでもなかったが、咄嗟に指を弾いた。魔法兵と弓兵に向けて。今は、この『拘束』を使うだけでも、相当負担がかかる。それも大人数となると尚更だ。
 しかし、全員相手にするのも面倒だったため、思わず膝をついてしまいそうな『負荷』に何とか耐えながら、もう一度指を弾く。途端、拘束されていた兵士達に電流が走り、全員が意識を失った。

 ここで、ミルドが一つ手を叩いた。
 パン! と良い音が響くと同時に、兵士達が正気に戻る。

 「………もう、お終い…?」
 「ふふ…。これ以上、貴女の相手をさせたら、一軍壊滅なんて事になりかねないもの。」
 「……それなら、もう良いな? 私は、帰…」

 そう言いかけた、その時だった。皇座の間の扉が開かれたのだ。
 ミルドや兵士達が、一斉にそちらへ目を向ける。
 だが、それは自分にとっての背中側だった為、警戒の為に意識を向けるだけに留めた。

 「これは……? ミルド様……いったい、何があったのですか!?」

 その声に、聞き覚えがあった。
 遡ることだけでも時間のかかる、その”声”を聞いた事があるのは、もうずっとずっと昔。遥か昔、自分がまだ本来いた時代へ戻る前。
 ・・・・・確かに、聞いたことがあった。



 懐かし過ぎるその”声”に、は、無意識の内に振り返っていた。