[夢幻の皇帝・3]



 「……イル………シオ…?」

 皇座の間に、自分の声が静かに響いた。

 金色に輝くストレートの髪。暖かい色合いを持つ、柔らかなグリーンの瞳。この場の異様な空気に違和感を感じたのか、その優しげな眉が訝しげに寄せられている。
 容姿は、自分の知る『イルシオ』そのものだった。しかし、僅かなその『違い』に気付く。

 『イルシオじゃ……ない…?』

 気付いた僅かなその差とは、身長だった。自分の知る彼とは違い、目の前の幻影とも取れる青年は、それより些か高めである。パッと見ただけでは分からぬ違いだった。
 だが、何故かそれを見抜くことができた。それも己の勘が告げたものなのか。

 前皇帝イルシオ=シルバーバーグに恐ろしいほど酷似する青年は、一度その場を見渡すと、再度ミルドに問うた。

 「ミルド様……いったい、何があったのですか…?」
 「……………。」

 彼女が答えることはなかった。視線を向ければ、彼女は青年を見つめたまま微笑んでいる。しかし、その瞳に映っていたのは、はたして目の前の青年だったのだろうか?
 やがて彼女は、自分を指差し、彼に優しく告げた。

 「その女が、私に刃を向けたのよ。………………捕らえなさい。」
 「……その女性が…?」
 「……………。」

 彼女の言葉に、青年は目を見開いたが、は口を挟むことはしなかった。二人の間に挟まれながらも、思案していたからだ。
 前皇帝と瓜二つと言っても過言ではない、この青年。そして、ミルドの青年を見つめる瞳。そういえばと、自分の保護下にいる少年の言葉を思い出す。

 『なるほど……そういうことか…。』

 そこから出される答えは、一つしかない。だがその答えは、今の自分に必要ではない。やらなくてはならない事は、たった一つ。
 黙って捕らえられてやる気など、さらさらなかった。ミルドから視線を外し、青年を一瞥してから転移を唱える。前後が挟まれているなら、転移で逃げれば良いのだ。

 だが、その考えは、一瞬で砕かれた。

 「あらあら……。そう簡単に、私が逃がすとでも思っているの?」
 「っ……!?」

 いつものような光が宙から零れることはなかった。代わりに聞こえたのは、パシッという、自分の翳した右手に走った拒否の音。
 転移を阻止した犯人である彼女が、自分を見て笑っている。

 「……ミルド…。」
 「残念ねぇ。この城にはね、結界が張ってあるのよ。」
 「チッ!」

 小さく舌打ちすると、彼女は「下品ねぇ…。」と、尚も笑う。

 二年前のイルシオ葬儀の際、誰かが口にしていた。『イルシオ様とミルド様の紋章が…』という話を聞いた気がする。『二つに分たれていた物が、一つになった』という話を・・・。
 今回は、その”共鳴”をし直す為にやってきたのだが、こうなってしまってはそうも言っていられない。今は、一つになった彼女の紋章をどうにも出来ない。強制共鳴をしても、彼女はきっと抵抗する。残念なことに、今の自分には、彼女の紋章まで抑えきれる自信が無かった。
 ・・・・残された道は、一つ。逃げるという選択肢。だが、転移で逃げることが出来ないのなら・・・・・

 ザッ!!!

 「っ…!?」

 ミルドを睨みつけた後、瞬時に青年の横を駆け抜けて、重厚な扉に手をかけた。しかし、ビクともしない。負担はかかるが仕方がないか、と、魔力を込めた拳を叩き付けて扉ごと破壊する。
 そして、そのまま城を駆け抜けた。






 重厚な扉をいとも簡単に破壊して、彼女は逃げて行った。
 それを見ていたミルドは、一つ溜息をついた。彼女ならそれぐらい容易いという事を知っていたからだ。
 ふと視線を向ければ、青年が青い顔をしている。
 皇座の間の外が騒がしい。逃亡者を捕らえようと、兵士達が苦戦している姿が目に浮かぶ。

 少しして、外が静かになった。一人残らず彼女にやられたのだろう。

 「やっぱり……。そう簡単には、渡してくれないわよね…。」
 「…………?」

 その言葉に、青年が振り返った。それに「なんでもないわ。」と笑みを見せて、肘掛けにもたれながら『次に会えるのは、いつになるやら』と笑みを深める。だが、そう遠くはないという確信があった。

 彼女は・・・・・は、この国から逃げられない。そう、決して・・・・。
 それは『絶対』と言って良い。自ら体感したことのある巨大な”流れ”が、再び、長い期間を空けてやって来ているのだと・・・・。

 ふと、青年が我に返ったように、逃亡した女性を追いかけようと踵をかえした。その背中に優しく声をかける。優しく、優しく・・・。

 「気をつけなさい、ティム。あの女は、ただの旅人じゃないわ…。」
 「……………はい。」

 青年は、それに一言だけ返し、静かに出て行った。






 「……ミルド様。宜しかったのですか?」

 青年が逃亡者を追いかけに出て、暫く。
 側近であるグレイムが、この部屋に戻るなりそう言ったのだ。

 「ふふ、構わないわ。……知ってる? 大きな流れには、誰であろうと適わないこと。」
 「………。」

 老魔術師は答えない。ミルドの言わんとすることを、理解していたからだ。
 これから何が起こるのか、彼女が何を求めているのか、この老人は『全て』知っていた。
 しかし、逃亡を図ったあの女も、知っているのだろう。知りたくなかろうとも、気付いてしまうはず。
 それを知る老人は、内一人でもあった。

 「ふっ……ふふふ………………あはははははははっ!!!!!」

 心から楽しげに高らかに笑う皇帝。
 それを静かに見つめながら、グレイムは、そっと口端を上げた。