[酷似の問答]



 青年にとってミルドとは、切っても切れない繋がりがあった。

 今から4年前。彼女は、亡き前皇帝イルシオに代わり、皇帝の地位についた。
 青年は、戦友であり、また夫婦であった二人の関係をよく知っていた。
 知る、という言い方は、少しおかしいかもしれない。自分の両親にとっても切れない関係があると、幼い頃からそう聞いて育った。我らが『祖先』であり、自らの使える主として。

 青年は、イルシオと良く似ていた。一族皆が驚くほど酷似していた。
 イルシオ健在の頃から『生き写し』と言われた青年は、それを誇りに思っていた。
 生前、イルシオは、ポツリと言っていた。それは独り言だったのだろうが、小さく笑って。「…『彼女たち』が見たら………私と間違えて、驚くだろうな…。」と。
 当時、その『彼女たち』の意味を解せる者は、ミルドを除いて誰もいなかった。彼が、誰にその生き写しを見せたいと思ったのか。彼が、誰の顔を思い浮かべてそんな事を言ったのか。
 今となっては、その意味を知る者は、もう・・・・・・現皇帝しかいないのである。



 ティムアルは、逃亡者を追って、スピアを手に城内を駆けた。目撃した者の証言によれば、どうやら女は、立ちふさがる者すべてを打ち倒し──本当に一瞬だった、と兵士は語った──城門を抜けていったらしい。道行く者たちは、自分を見るやいなや『逃亡者』の情報を提供してくれた。その者たちのおかげで、『女』が逃げた方に向かうことが出来た。

 町を出て、そこここに居る住民に話を聞くと、女が向かったのは裏通りらしい。それならこちらが上手だ。そう思って駆け出そうとすると、裏通りの入り口前で、あの女が黙ってこちらを見つめていた。

 「待て!!」
 「…………。」

 制止も聞かず、女が裏通りへと入っていく。
 でも・・・・わざわざ、自分が来るのを待っていた? 挑発しているのだろうか?
 そう思いながらも『冷静に当たらねば』と考えて、その後を追った。



 ティムアルの読みは、正しかった。女が曲がったその先は、行き止まりである。
 この裏通りを知らぬ者は、よほど勘が強くないと、大抵一度は行き止まりに当たるのだ。
 スピアを握りしめて角を曲がる。しかし、そこに女の姿はなかった。
 もしや転移を・・・? そう思い、辺りを見回そうとした、その時だった。

 「っ…!?」

 背後に捕らえたのは、確かな殺気。これほどまでの殺気、今まで感じた事がない。
 咄嗟にスピアを持ち替えて振り向きざまに薙ぎ払ったが、手応えがない。
 すると、更にその背後から、声がかかった。

 「………武器を捨てろ。」
 「っ…!」

 首筋に当たっているのは、恐らく短剣か何かだろう。ひやりとした冷たい感触に汗がつたう。己が甘かったと歯を食いしばるも、もしかしたら隙をついて逆転できるかもしれないと思い、あえてその言葉に従わなかった。
 ここで、一つ溜息が聞こえた。そして女が静かに言う。

 「……隙を伺うだけ無駄だ。もう一度だけ言う。武器を捨てろ。」
 「くっ…。」

 今度こそ、武器を捨てるしかなかった。
 カシャン。その音を聞いて、彼女が耳元で囁いた。

 「……私の気配に気付くなんて、大した子だ…。」
 「ですが……貴女は、更にその背後を取った。」
 「……でも、最初の一撃をかわした事は、褒めるに値する…。」
 「…………。」

 女は、首筋に短剣を当てたまま「こっちを向いて…。」と自分を振り向かせた。
 ティムアルは、意外に冷静な自分に驚いていた。なんとなく、この女性は悪い人間ではないと思えてしまったからだ。

 「あんた、名前は?」
 「………ティムアル。」
 「ティムアル=ケピタ…?」
 「………そうだ。」

 それを聞いて、女が黙り込んだ。何を考えているのか分からないが、これはチャンスかもしれない。下に転がる武器に視線を向けた。
 だが、その視線すら気配として捕らえたのか、彼女は一つ笑うとスピアを蹴り飛ばした。それに眉を寄せてしまったが、それを気にする様子もなく、彼女はまた口を開く。

 「ふーん、成る程ね…。確かにイルシオそっくりだ…。でも、あいつより少し背が高いか…。」
 「イルシオ様を……知っているのか?」
 「……ちょっとした知り合いだった…。」
 「貴女は……………何故、ミルド様に刃を向けた?」

 話題を変えた。自分が追って来たのは、こんな話をする為じゃない。
 すると彼女は、静かに答えた。

 「…私の名誉の為に言っておくけど……こっちが仕掛けたわけじゃない。先に手を出してきたのは、あいつの方だから。」
 「っ……。」

 その言葉に声が詰まる。
 ・・・・・またなのか。また、あの御方は・・・!
 そう考えたが、目の前の女は、自分がそんな事を考えているとは思っていないはず。
 しかし、彼は知らなかった。その女が、いったい『何者』であるかなど。

 「ふーん…。信じられないってわけでも無さそうだね。その顔を見ると…」
 「貴女は…」
 「……ごめん。私、そろそろ行かないと…。」

 言葉を遮って、女が短剣をしまった。だが、どうしてか、スピアを手に取り反撃に出ようとは思わなかった。

 「……殺さないのですか?」

 そう問うてみた。すると彼女は、それに困ったように微笑んだ。

 「…私は、あんたと話してみたかっただけだよ…。それに……殺しは好きじゃない…。」

 その黒き双眸。深くて底のない、闇色の瞳。そこに少し慈悲が見え隠れしているような。
 しかし彼女は、ただ優しいだけではあるまい。優しいだけでは、ここまで強くはなれない。自分は、それを身を以て知っている。とはいえ、強いだけでは何も生まれない。ただ破壊に傾くのみだ。
 目の前の女は、きっとそれら全てを知っているのかもしれない。

 と、彼女が、一つ首を振って言った。

 「それに………あんたには、『借り』があるからね…。」
 「……借り? 貴女とは、初めて会ったばかりでは…」
 「正確には、私じゃないよ…。」
 「?」
 「私の息子が、ね…。」

 後ろを向いて、と彼女は言った。それに素直に従いながら、考える。
 この歳の頃の女性に、子供がいるのか? どう見ても、20そこそこだろう。
 そんな疑問ばかり。

 と、背後から、光。
 咄嗟に振り返ろうとするも、女はそれを制し、一言残して姿を消した。

 「あの子を助けてくれて…………ありがとう。」






 城内へと戻ると、兵士に声をかけられた。聞くところによれば、ミルドは、サラナゲイダ・コルムでの祝賀会から抜け出してあの女と会っていたらしい。一国の皇帝としてはあるまじき行為だが、今の自分では、それを黙認するしかなかった。

 そんな己の未熟さを、何度恨んだことか・・・・。

 気がつけば、コロシアムへと足を運んでいた。
 皇座へ上がると、ミルドが妖艶に微笑んでいる。

 「ミルド様…。」
 「あら、ティム。おかえり。……どうだった?」
 「…………。」

 答えなど、分かりきっているだろうに。彼女は、それでもからかうように問うてくる。

 「あの女性は………ミルド様に、何をしたのですか?」
 「……さっきも言った通り、私に刃を向けたのよ。」
 「ですが……」
 「あら? 貴方は、私よりも、あの女の言うことを信じるの?」
 「いえ、そういうわけでは…」
 「……それよりも、すぐにミルドレーンとヘルド城塞、そしてレイド城塞に早馬を出しなさい。彼女のことだから、すぐにでも国境を越えようとするでしょう。」
 「しかし、転移を使われてしまったら…」

 その懸念も、彼女にとっては何の問題にもならなかったようだ。「それなら、結界の範囲を広げれば良いのよ。」と事も無く言って、指を弾く。自分には分からなかったが、その言葉の通りに、結界の規模が城だけでなく国全体に広がったのだろう。

 「その紋章を…?」
 「そうよ。それに兵士の話によれば、彼女には、連れが二人いるらしいの。……そうねぇ。後々、ヒギト城塞にも馬を出しましょう。」
 「…ですが、何故そこまでして、あの女性を…」

 すると、彼女はくつくつと笑った。その美しさは、イルシオ生前の頃より変わらない。
 だが彼が没してから、彼女は変わり始めた。ティムアルも、そう感じていた。
 彼女は、自分の頬を優しく撫でると、空いた手でワイングラスを持ち上げた。

 「ふふ、可愛いティム…。貴方は、まだ知らなくて良いのよ。でも、”時”が来たら…………すべて教えて上げるわ。」

 今も昔も変わらず美しいと思った。
 この冷たく輝く笑顔をそう思ってしまうのは、自分が正気でないからだろうか?

 「…………仰せの……ままに…。」

 狂気に満ちた微笑みに、けれど頭を垂れることしか出来なかった。