[逃げ道・2]
「でも……見つからないとなると、全土に追っ手を差し向けるんじゃないかな?」
「…だろうね。私の紋章を、喉から手が出るほど欲しがっていたみたいだから…。」
「それじゃあ、どうするんだい?」
「……あんたは、どうすれば良いと思う?」
静かに問い返されて、思わず目を丸くする。彼女が問うてくるなど珍しいからだ。
しかし、そう簡単に『答え』は見つからない。
「言ったとしても……いつも、きみやに駄目出しばかりされてたよ。」
その言葉に、彼女は苦笑。
どうして笑われるのか分からない。自分は至極真面目に言っているのに。
「それなら……私が考えた方が良いか。頭を使うのは、得意じゃないけど…。」
「…ふぅ。八方ふさがりって、こういう事を言うんだろうね。」
「………簡単なことだよ。私とあんた達が別れて行動すれば良い。」
「え?」
狙われているのは私だから。そう言って彼女は、窓の外に目を向ける。
確かに、彼女と離れて国を出ることは容易い。自分にもあの少年にも害は及ばない。
けれど・・・・・・
「ルシィは、絶対に『嫌だ』って言うと思うよ。それに…」
「……分かってる。でも、これが一番確実なんだよ。」
ミルドにあんたらが私の連れだと伝わってなければの話だけど・・・。
そう付け足した彼女は、分かっていたのだろう。一緒に行動しようが別れて行動しようが、結果は変わらないのだろうと。
口を閉じてしまうと、彼女は話を変えた。
「あぁ、ササライ。それと…」
「なんだい?」
「この国にいる間は、あんたも真なる紋章を使わないで。」
「……どうして?」
「さっきも言ったけど、ミルドの紋章によってこの国全土に結界が貼られてる。あいつ自身の魔力は高くないから全く問題ないんだけど………使えば一発で居場所がバレる。真なる紋章は一発がデカい。それに『波長』も独特だからね……。」
「波長……あぁ、なるほどね。」
その意を解して、彼女の横顔を見つめる。ふ、と溜息に似た吐息を落とすその姿。いつか見たような気もするが、大丈夫だろうかと心配してしまうのは、その行動が珍しいからだろう。
昔は息を殺して同じ事をしていたように思う。それが目に見えるように行われている現状を鑑みれば、良くなってきているのだろう。
「でも、紋章が使えないとなると、相当不利だね…。」
「一般で売られているような紋章や上級紋章なら、いくら使っても構わないよ…。」
「真なる紋章だけだね。」
「…五行やサポートは誰でも使える。ミルドだって、いちいち小さい所までは監視できないだろうからね。あんたは流水を持っているし……あの子と二人で危ないとなれば、私の盾と大地もある。勿論、あの子に分からないように使うけど…。」
彼女は、あの少年の前で戦う姿を見せたことはない。どうしてかと問うた事はあったが、教えてもらえなかった。考えてもみたのだが、納得いく理由も見つからない。
ただ単に、幼いあの少年の前で”力”を使いたくないだけなのだろうか。
「問題は、ルシィだね…。」
「…あの子は問題ないよ。右手の紋章はまだ不安定だから私が抑えておくけど……五行やサポート関連なら使わせても問題ないと思う。」
「ルシィは……確か、雷紋章が得意だったね。」
「…まぁそれは後々として。いざって時の為に一つぐらい付けさせておいた方が良い。」
「うん、そうだね。」
彼女は、その人物ごとに合った紋章を選ぶことが得意だ。その人その人の特性を測り、得手不得手を見極め、それぞれに合った紋章を推奨する。それが彼女の紋章の”特性”であるのか、それとも彼女自身の”経験”からなのかは分からないが、間違いないだろう。
じっとその顔を見つめる。すると彼女は、ポツリと呟いた。
「………ごめんね。追われる身になるとは、思いもしなかったから…。」
「…。」
そっと視線を伏せてそう言った彼女。気落ちしてるのかもしれない。
こういう時は、どんな言葉をかけるべきだろう?
咄嗟に頭を働かせるも、上手い言葉が見つからない。上辺だけではないと分かってもらいたかった。だからこそ簡単に言葉にならなかったのかもしれない。
思わず俯いていると、それを見たのか彼女が困ったように微笑んだ。
「巻き込んだことに対して謝ってるだけだよ。あんたが、そんな顔しないで…。」
「…ごめん。でも、巻き込まれたなんて思ってないよ。僕が勝手に付いて来たんだから…。」
気を使おうとしたつもりが、逆に使われてしまった。
それがなんだか情けなくて下唇を噛む。
「さて…。ルシィが戻ってきたら、すぐにここを発とう。」
「どうするんだい?」
「とりあえずこの村を出る。一つの所に留まっていれば、それだけで足がつくからね。」
「うん、分かった。」
そう言って、彼女が窓の外に目を向ける。
ササライは、その横顔をただ見つめていた。
・・・・ルシファーが戻って来ない。時間は、そろそろ夜半にさしかかる。
もササライも、話し込んでいた事を後悔した。
道具屋に使いに出したは良いが、良からぬ事に巻き込まれたのだろうか? あの子に限って、自ら何かしでかす事はないだろうが、もし間接的に巻き込まれたとしたら?
横に目を向ければ、彼女は何やら思案しているようだったが、ササライはそう考えた。
下の酒場が盛り上がっているが、彼はそれに気付かない。
思えば、あんな刻限に使いに出したのが間違いだったのかもしれない。武器を持たせているし、ある程度の知識は身に付けさせている為、下手なことに巻き込まれる事はないだろう。だが如何せん、あの少年は純粋過ぎる。
あの街にいた頃、困っている者がいれば自然と声をかけて手助けをしていた。だが限度を知らず、酷い時には明け方まで戻って来ないこともあった。自分は『何があった?』『連絡を入れないと』など開口一番そう言ったが、彼女はそれを頭ごなしに叱ることはなく『理由』だけを少年に求めた。
少年が素直に話すと、彼女は「…そう。」とだけ言い、一つ頭を撫でて部屋に戻って行った。その後、自分が少年に『最低限の連絡は、事前に入れておくように』と伝えて終わった。
少年は、それから何かある度、事前に家に戻って報告するようになった。
ちょっとした事で悩みながらも『答え』を見つけようとする幼い姿。それを見て『誰かに似ている』と思った。それが自分だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
仕草や好みは違えど、その根底は自分と似ているのだと彼女も分かっていたのだろう。だから、自分にあの少年の教育を任せてくれたのだ。
しかし、少年の心が純粋過ぎるが故に、ササライの心配は更に深くあった。
酒場の盛り上がりが更に強まっているが、やはり彼はそれに気付けない。
「僕、ルシィを探しに…」
「ササライ、行くよ。」
「え…?」
あの子を探して来る。その言葉を遮って彼女は立ち上がり、彼女と自分と少年の分を纏めて肩にかけた。
顔を上げれば彼女は、すでに部屋の扉に手をかけている。
「ササライ、早くして。」
「な、どうし…」
「気付かないの? 下の酒場。」
「…?」
考える事に夢中で気付かなかったが、階下にある酒場は盛り上がっているだけではないらしい。時折聞こえてくるのは男の罵声と皿の割れる音と、「きゃッ!」という年若い少女の声。その合間に、聞き慣れた少年の怒声が聞こえてくる。
その”声”で、瞬時にあの少年の姿が浮かんだ。
「もしかして……ルシィ!?」
ササライは、彼女から自分と少年の荷物を受け取ると、一目散に階下へ駆け下りた。