ぼやけ、虚ろう思考。
その中に見えたのは、『女』だった。
『…………行かないで…。』
ぼやける視界の中、女は背を向けていた為、顔も見えず服もよく分からない。
だが女は、酷く遠い・・・・・ずっとずっと”先”にある何処かへ手を伸ばし、哀願するように言うのだ。
『置いて……行かないでよ………。』
震える”声”。それが二重に聞こえたのは、気のせいだろうか?
まったく違う女の”声”が、二人。
それは、やけに鮮明に聞こえるはずなのに、不可解な空間に支配されているように振れては響き渡る。
『お願い………。』
そう言い、崩れ落ちる影。それも二重に見えた。
内一人が、見知った女のように思えたのは、はたして気のせいだったのか?
女が見つめて手を伸ばす”先”は、濃く渦巻く永久の『闇』。
『お願い……。どうか……………置いて、逝かないで………。』
一瞬だけ見えた『女』の顔は、確かに自分の知る『彼女』だった。
[力が欲しい・L]
カサ、と、草を分ける音が聞こえた。
それまで朦朧と夢の中を漂っていた意識が、一気に覚醒する。寝ぼけ眼をこすりながら身を起こすと、欠伸が出る。目に入る自分の影は、まだ小さくて幼い。
眠りに落ちて、そう時間は経っていないのだろう。月は先より少し傾いているだけだ。だが、あと数刻もしない内に陽が顔を出すはず。
ルシファーは、すぐ近くで眠っている保護者二人を起こさないように、音のした方へ目を向けた。しかしそこには、何も無い。
野生の動物かな? そう考えながら、音を立てぬように立ち上がる。
と・・・・
カサッ・・・。
「あっ…。」
今度は、音のした更にその先から聞こえた。思わず声を出してしまった為、すぐに口元を抑えて二人が起きていないか確認する。身じろぎ一つしない所を見ると、どうやら起こさずに済んだようだ。
三度目のカサッ、という音は、更にもっと先から聞こえてきた。
ルシファーは、二人を起こさぬよう、そっとその音の後を追った。
ラミの北西に位置する山々は、凹凸が激しい。上下もそうだが、左右共々滑らかな曲線を描いていたかと思えば、途端鋭利な刃物で切り裂いたような断崖になっている。
『腐敗なき土地と言われ栄華を極めている国にも、こんな変わった場所があるのか』と、山々を見上げながら思う。
月に照らされながら道を歩いていると、音は、やがてとある場所でぱったりと止んだ。
目に見えない物の音。その時点で『何かある』と疑うべきだったが、近くに敵らしき気配はない。それならあの音は、何だったんだろう?
小首を傾げて立ち止まっていると、自分から5歩ほど離れた場所に、突如淡い光が現れた。
「っ…!?」
目立つことを恐れるような、白い光。その中から現れたのは、女性だった。
ルシファーは、驚きながらも咄嗟に身構える。ラミの一件を通じて、自分がいかに弱いのか、身をもって知ってしまったからだ。
自分は、こんなに弱い。守りたいと思う人を、守ることすら出来なかった。
自分は、まだ守られているだけの子供だ。弱くて脆い存在。
「…………。」
”力”を、強さを求めたことは無かった。大切なのは優しさだと、彼らに言われていたから。『優しくありなさい』と。それなのに・・・・。
自分は、結局相手に傷ひとつ負わせることが出来なかった。殺したいというわけではない。誰だって、傷つけられれば痛いのだ。だから戦力を削ぐような戦いをしようと思った。
でも、現実はそこまで甘くなかった。優しさは大切だ。しかしそれだけでは、守りたい者を守れなかった。それが現実だった。
だからこそ『早く強くなりたい』と、あの時、彼女の背に負われている時に願ったのだ。
「……脆く…………弱き少年よ……。」
「!?」
自分の心を見透かしたかのように、女性が徐に口を開いた。驚いて咄嗟に棍槍を構えるも、女性は全く動じない。淡い光に包まれているその姿は、人で無いように思えてしまう。
じっと、次の言葉を待った。脆く弱い少年とは、まさに今の自分の心境を読み取ったかのような言葉。それに続くのは・・・?
ルシファーは、棍槍を握りしめながら女性を睨みつけた。
サァ・・・・と、風が吹いた。
山間から降りてきたそれは、自分と女性の髪を頬を優しく撫でる。
白光を纏い、桃と白が調和した法衣を風に揺らすままの女性の瞳は、伏せられていた。どうやら仕掛けてくるつもりはないらしい。それよりも、警戒心を全面に出す自分に少し困ったような顔をしている。
「あなたは、誰ですか?」
「……………。」
警戒を解くことなく問いかけるも、女性は答えない。光の中から現れただけでも摩訶不思議なのに、警戒するなという方がおかしい。
しかしその静寂も、すぐに終わりを告げた。
「…少年よ……武器を収めなさい。私は、貴方に危害を加える者ではありません。」
「…………。」
そう言われたが、それでも構えは解かなかった。ラミでの失敗は、自分の弱さと油断が生み出した敗北であった為、同じ轍を二度踏むまいと考えたからだ。
それを察したのか女性は、ゆっくりとした口調を崩さずに続けた。
「私は、レックナート…。バランスの執行者にして、運命の見届け人…。」
「…バランス? …運命…?」
繰り返すと、女性が一つ頷いた。そして、衣に隠れている右手をそっと動かし、胸元に当てる。
「あなたは、何を言ってるんですか?」
「『流れの定』を……そして、星の『中枢』を司る少年よ…。”時”は、すでに満ち………歯車は、動き始めています。」
「……?」
思わず眉を潜める。レックナートと名乗ったこの女性は、おかしいのだろうか? 突如光の中から現れたと思ったら、不可解な言葉を自分に紡ぐ。しかしその表情を見るに、嘘や虚言ではないと思う。
迷いを感じていると、彼女は続けた。
「この世の”流れ”を司る少年よ…。貴方は、”人”として『疑う』ことを覚えたのですね。」
「……どういう意味ですか?」
「……………”力”を……欲しなさい。」
彼女の言う『この世の流れを司る』という意味が分からず、更に警戒する。
だが、彼女の言葉に反応してしまう別の自分がいた。
彼女は、自分の心を見透かしたように『”力”を欲しろ』と言った。それは、何故?
じっと彼女を見つめる。
「…”力”を、欲するのです…。貴方の、その”想い”こそが、これから”先”の運命を分けていくのですから…。」
「力……。」
彼女の言葉。それは、不思議な響きを秘めていた。
知らず、呼応してしまう。
「僕は……力が欲しい…。やササライを守れるだけの力が…。悔しかった……悲しかった…。だって僕は、まだ弱くて…。だから、欲しいんだ…………大切な人を守れるだけの”力”が…。」
「……少年よ。”時”の理を請け負う者よ…。これから、星が誘う”運命”の中心に……貴方は、その身を投じることになるでしょう。運命の輪は重く、貴方一人の力でその流れの”先”を変える事は、非常に困難です。ですが……もし、貴方が望むのなら………”力”を求めるのなら……………この”世界”が、貴方をそうあるように導くでしょう。」
「え…?」
「…時に『敗北』を……時に『逃げ』を選択する事もあるでしょう。ですが……いえ。今の貴方は、ただ”力”を求めなさい。愛する者を守れるだけの”強さ”を……。」
じわり。
レックナートの発する言葉一つ一つが、心に広がっていく。強くて儚い言霊だ。
刹那すら止めてしまうのではないかと思うほど、それは、心にじわりじわりと広がっていく。
と・・・・・・
ここで、思わぬ場所から声が上がった。
「ルシィ…………それに……。」
声の方へ視線を向けると、そこには、ササライが立っていた。