[判断]
急ぎ足とまではいかないが、それに似た早さで歩いていた。
向かう場所は定かでないが、ササライは、全て彼女に任せた。何があろうとも、三人なら乗り越えられると思ったからだ。
歩きながら、旅荷の中の地図を取り出す。彼女の後ろを歩いていたルシファーが、それに興味を示したように「地図?」と言って隣についた。笑みを返して、じっとそれを見つめる。
彼女が目指しているのは、恐らくラミの山間から西にある川だろう。だが川とはいえ、泳いで渡るには距離がある。
地図に記された横棒は、橋を表している。だが、橋を渡ってどこを目指すのか分からない。ヘルド城塞には、既に手が回っているだろうし、ミルドレーンやシャグレィにも手配書が回っているはず。どこへ行こうが、脱出までは気を抜けない。
そう考えていると、ルシファーが彼女の横につき、問うた。
「ねぇ、。どこに行くの?」
「…とりあえずは、夢の森を目指そう…。」
「夢の森?」
ミルドレーンとシャグレィの間に、その森はあった。だが身を隠すにしても、森となるとかなり不便ではないか。そこまで頭が回らないのか、ルシファーは「そっか!」と言って前を歩き出す。
それを横目にササライは、問うた。
「。夢の森じゃあ、何かと不便じゃないかい?」
「……分かってる。でも、ロズウェルに行くとしても、近場にヒギト城塞がある…。」
「スカイイーストか、フレマリア親王国へ行けば、安全なんだよね? なんとかして、ヘルド城塞かレイド城塞を抜けられないかな?」
「……無理だよ。」
彼女がそう即答するには、根拠がある。
その根拠を問おうと口を開きかけると、遥か遠く──自分たちが歩いて来た方──から声が聞こえてきた。
真っ先にその声に反応したのは、ルシファー。彼は足を止めると振り返り、声の方へじっと目をこらしている。ササライも同じく目を向けた。
ルシファーは、きっと『誰だろう?』と考えているだろう。しかし自分達は違う。もしかしたら追っ手かもしれないのだ。
だが、その類ではなかったようだ。その人物たちは、近づくにつれて『旅人』と分かった。それも、年端もいかないような。
16〜17の少女に、それより幾らか年下に見える少年。だがササライ達を驚かせたのは、まだ10にも満たない少女だった。その少女は、昨夜ルシファーが庇っていた子だったのだ。
「きみは……昨日の子だよね? どうしたの?」
「…………。」
ルシファーに話しかけられた少女は、恥ずかしくなったのか頬を染める。それを見て埒が明かないと思ったのか、一番年上だろう少女が、彼に声をかけた。
「ごめんなさいね。昨日のことを、この子から聞いたから……あなた達にお礼が言いたくって。」
「え? そんな……気にしなくても良いのに。」
「ダメよ! 深き守りの村の掟では、お世話になった人には、ちゃんと恩返しするのが習わしなんだから!」
「そ、そうなの…?」
珍しく少年が圧倒されるのを見て、ササライは苦笑をもらした。隣を見れば、が小さく微笑んでいる。
普段は色々な発想や行動を起こし、やんちゃ盛りを満喫しているはずの少年が、目を白黒させている。それが何だかおかしくて、つい吹き出した。
「あ、そうそう。自己紹介しておくわね。私は、リン。で、この子が弟のスヴェン。それとこの子が、あなた達が助けてくれた、末っ子のライラよ。」
「スヴェンです。ライラを助けていただいて、ありがとうございました。」
「………ライラ、です。昨日は……ありがとう。」
元気いっぱいといった感じの長女リン。気弱そうだが、優しい瞳を持つスヴェン。そして透き通るような白い肌を持ち、銀髪赤目という変わった容姿の末っ子ライラ。
ルシファーが、自分と彼女を紹介し始めた。手配書が回っている事を懸念して、一瞬それを止めようと考えたが、彼女の視線を受けた為、思いとどまる。
「僕は、ルシファーだよ。ルシィって呼ばれてるんだ。」
「宜しくね、ルシファー。でも……あなたとササライさんて、そっくりね。兄弟?」
「うん、そうだよ。でも、リン達は………似てないね。」
「あら、そう? よく言われるわ。私たち、異母兄弟だから。」
「イボキョウダイ?」
「………ルシィ。」
その言葉の意味が分からなかったのか、更に問おうとする少年を止めた。本人からすれば『どういう意味?』程度であっても、三兄弟からすれば、それはいらぬ詮索だ。
だが、リンが気にする事もなく「あ、気にしないで下さい。」と笑った。
「私とスヴェンは同じ母親なんだけど、物心つく前に死んじゃったの。それで父さんが、新しい奥さんを娶ったんだけど、その人との子がライラなのよ。」
「お母さんが、違う人なの…?」
「えぇ、そうよ。それと私たちの住む村って、ちょっと……世間的に変わった容姿みたいなのよね。私とスヴェンの方が、村では浮いた容姿なの。で、ライラが普通。でも逆に、村の外に出れば、私たちが普通でライラが変わってるってだけよ。」
本当に気にしていないのか、リンが屈託なく笑う。確かにライラの銀髪赤目は非常に珍しいが、リンとスヴェンは珍しくもない焦げ茶。異母兄弟と言っても、ここまで違いがあるのは稀だろう。
そう考えながらふとに視線を向ければ、彼女は口元に手を当てて、ライラをじっと見つめている。この癖は、考え込んでいる時のもの。しかし口に出さないということは、今この状況には関係無いという事か。
礼を言いに、わざわざ追いかけて来てくれた子供達。
と、リンの言葉を聞いていたルシファーが、ライラを見つめてニコリと笑った。
「変わってると思うけど………凄く綺麗だと思うな、僕は。」
「!!」
「だって、ほら見て! お日様の光に反射して、髪が凄くキラキラしてるよ。それにその目の色も、宝石みたいな色で、僕は好きだよ。」
「あ、ありがとう……。」
少女の頬が、更に染まる。
どうやら深き守りの村の者は、あまり外へ出る習慣がないらしい。何故なら、リンもそうなのだが、スヴェンもライラも、自分たちを興味深そうに見つめている。
すると、それまで黙り込んでいたが、リンに問うた。
「…きみ達の村の者は、村から出ないの?」
「はい。本当は、村の掟で外に出ちゃいけない決まりになってるんです。」
「……そう。」
どうやらそれだけで納得したのか、彼女は口を閉じた。何が聞きたかったのか分からないが、それはそれで彼女が納得出来たのだから良いだろう。
そう考えてササライは、ルシファーに「そろそろ行こうか。」と言ったが、それを「ちょっと待って!」と引き止めたのは、長女リンだった。
リンもスヴェンも、昨夜、なにが起こったのか、ライラから聞いて知っていた。彼らは、昨夜、達と同じ宿に泊まっていたのである。
風呂へ行くと言って出ていった弟妹の荷物を整理しながら、リンはこれからの事を考えていた。
父に『世間を知って来い』と下二人を任され、旅に出た矢先の事だった。半刻ほどでスヴェンは部屋に戻ってきたが、それから更に半刻経ってもライラが戻ってこなかったのだ。それに異変を感じて探しに行こうとした時、ライラ本人が泣きながら部屋に戻ってきたのだ。「私を助けようとして、知らない男の子が…!」と。
ライラをスヴェンに任せ、リンは部屋を出ると、階下を見下ろした。だが妹の言っていた『男の子』はどこにもおらず、知らない『女性』が、たった一人で兵士達の相手をしている姿。何が起きているかも分からぬ内に、物凄いスピードで殴られ蹴り飛ばされながら、兵士は次々倒れていった。
それから女性は、何やら一言二言、店の主人に言って布袋を渡すと、宿を静かに出て行った。
それら全ての経緯を知る長女は、もちろん、その女性が『指名手配されている逃亡犯』だという事も知っていた。だが妹を助けてもらった恩がある。その恩を返す為に、こうして追ってきたのだ。
リンは、下二人とルシファーが話している間に、に近づき言った。
「あなたが、指名手配されているのは……昨日の兵士の言葉を聞いて、知ってます…。」
「…………。」
「私でよければ、力になれませんか?」
静かにリンが彼女にそう言ったのを聞いて、ササライは閉口した。
彼女が、即答しなかったからだ。
『国外逃亡』から『身を隠す』に目的が変わってしまったが故に、迂闊な返答を避けたのだろう。
「ルシファーは、その……あなたが、っていうのを知らないんでしょう?」
「………あぁ。あの子には、何も言ってない。」
「言わなくても良いんですか…?」
「……………。」
彼女は答えない。迷っているのだ。迷うのも分かる。
しかし、これ以上何も言わずについて来るとも限らない。
下手に駄々を捏ねられるよりは・・・・。
「。僕が伝えるよ。」
「ササライ……。」
「上手く伝えるから、大丈夫だよ。良いよね?」
「………お願い。」
早速、ルシファーを呼んで話をした。
彼女は追われる身になったから、早くこの国から出なくてはならない、と。
すると少年は「どうして?」と聞いてきた。それにどう答えたものかと考えたが、彼女が代わりに答える。
「ケピタ・イルシオから戻る時……私は、兵士たちに連れて行かれただろう…?」
「うん…。」
「どうやら、先日まで首都を騒がせていたらしい『殺人犯』に、顔がよく似ていたらしいんだよ。だから、尋問の為に連れて行かれたんだ。」
「そんな…! 兵士さんは、話を聞いてくれなかったの!? だってそうでしょ? は人殺しなんかしてないのに…。」
「……そうだね。でも残念だけど、話をまったく聞いてくれなかったから、逃げるしかなかったんだよ。」
「そう、だったんだ…。」
優しい彼女の口からするすると出てくる、嘘。でも、これは仕方ない。
『ミルド皇帝に、自分の持つ真なる紋章を狙われているから逃げている』とは言えないのだ。
「そっか、そうだったんだ…。それなら、早く逃げないと!!」
「……そうだね。分かってくれて………ありがとう。」
少年に静かに微笑む彼女。
その笑みに『嘘をついたという罪悪感』が垣間見える。
「それでね、ルシィ…。リンが、力になってくれていると言ってるんだけど……あんたは、どうしたい?」
「リンが?」
「ちょっと、、なに言って…」
彼女は、何を考えているのだろう?
彼女自身が見出せなかった『答え』を、この少年に託すというのか?
いったい、何を考えて・・・・
すると彼女は、そんな自分の視線に気付いたのか、少年に向けて静かに言った。
「ルシィ………これからは、あんたの判断に任せるよ…。」