[川越え]



 翌朝。

 どうやって橋を渡るか考えてながら眠りについたものの、結局良い方法が浮かばなかった。
 そして起きて早々、彼女がいないことに気付いた。唯一、先を見据えているであろう彼女がいないとなると、これは問題だ。自分より、ルシファーが慌てふためくかもしれない。
 思った通り、彼も寝ぼけ眼を擦りながらも、彼女がいないことに気付いたようで、辺りをキョロキョロ見渡しながら近づいてくる。

 「おはよう、ササライ。は…?」

 問うてくる瞳には、強い不安が見える。
 すると、下二人を叩き起こしたのか、寝起きとは思えぬ清々しい笑顔で、リンが声をかけてきた。

 「おはようルシファー、ササライさん! ……あれ、さんは?」
 「えっと…。」

 僕も分からない。そう答えようとすると、不意に後ろから肩を叩かれた。振り返れば、そこには彼女。寝ていないのだろうか、顔色が悪い。
 いったいどこに行っていたのかと聞こうとすると、それより先にリンが「おはようさん! どこへ行っていたんですか?」と聞いた。それに笑みを返しながら彼女は、小さな声で「……足が見つかった。すぐに移動しよう。」と囁いた。






 「でも、こんな所に渡し船があるなんて…。運が良いわね、私たち!」
 「そうだね! でも、本当に良かったぁ…。どうしようかと思ったよ。」

 河渡しの船に乗り込んだ後にリンが言えば、ルシファーがニコニコ顔で答える。
 無事に河を渡れる手立てを得て安心したのか、皆頬が緩んでいた。
 そんな中、ササライは違った。を見つめながら、もう何度行ったか分からない問いを口にするかどうか迷っていた。



 昨夜彼女は、皆が寝静まった頃に動き出したのだろう。何とか河を渡る方法を探して。
 そして見つけたのだ。だから、目の下に僅かに隈が出来ているのだろう。

 では出発、と歩き出した彼女が向かったのは、橋とは真逆の方向だった。
 そして到着したのは、出来るだけ人目につかぬように細工された小さな『船着き場』とも呼べぬ場所。そこにあったのは、どう見ても5〜6人乗るのが限界だろう、質素な船。
 恐らく、面倒ごと専門に取り扱っている『金さえ払えば…』な渡し船なのだろう。

 本当に、全員が乗って大丈夫なのか?
 そう思う船には、小柄で薄汚いボロを纏ったギョロ目で禿頭の男。見た目から『裏専門』といった風貌の彼は、ニギィと名乗った。
 話は付けてあったのか、彼女は一言「…頼むよ。」と言って、子供達を先頭に乗せていった。
 そして全員が船に乗り込み、船が出発してから、先の会話に戻る。



 「船に乗ったの……初めてです。」
 「ライラも!」

 真ん中のスヴェン、そして末っ子ライラは初めての経験に緊張しながらも楽しそうだ。外界には滅多に出ることのない村出身だからこそ、目に見える何もかもが新鮮なのだろう。
 船の行く方へ体を向ける子供達に対して、はササライの背に背をつけ──如何せん狭い──、今しがたいた岸辺を見つめていた。

 様々な反応を見せる子供達を横目に、ササライは、背中越しに問う。

 「……寝てないんだよね?」
 「……うん。」
 「今の内に寝ておいた方が良いよ。着いたら、僕が起こすから。」
 「別に、これぐらい、どうってこと…」
 「いいから。僕を信用してよ。背中は貸すからさ。」
 「………分かった。お願いね。」

 二日歩き通し、更には寝不足。そんな状態で旅を続けていれば、いずれは支障をきたす。
 彼女がそんなヤワでないと分かっていたが、心配は素直に口にした方が良い。
 そう考えた末の言葉だと理解してくれたのか、自分の背に全体重を預けると、彼女はそれから何も言わなくなった。少しして、微かな寝息が聞こえてくる。自分に背を預けて眠ってくれた。僅かな時間とはいえ、少し眠るだけでも体力は回復するだろう。

 ふぅ、と息をついた。同時に少し眠たくなったが、ここで何かあったら、彼女や子供達を守らなくてはならない。それが、自分の役目。
 騒ぎが起これば、彼女は咄嗟に目を覚ますだろう。だが束の間の休息を邪魔したくはない。故にササライは、気合いで眠気を吹き飛ばした。

 「キヒヒ……お姉ちゃんは、寝ちまったのか?」
 「………みたいだね。」

 船の最後尾で舵を取っていたニギィが、不気味に笑った。
 ササライは、それに僅かに警戒心を灯す。考えようによっては、船上での物取りかもしれないのだ。
 警戒心を極力出さずに、何事も無いことを祈りながら、少し様子を見よう。そう考えていたのだが、どうやら彼の笑い方は元からのもののようで、特に何かしてくる気配はない。
 と、そんな自分の考えを読んだのか、彼はまた「キヒヒ。」と笑った。

 「安心しなよぉ。俺ぁ、物取り紛いの真似はしないさぁ。ヒヒッ…。」
 「そう……みたいだね…。」
 「金さえくれりゃあ、いくらでも船は出してやるよぉ。特に、首都で手配されてるような連中は、こっちの言い値で払ってくれるからな。ヒヒヒ…。」
 「……あのさ………笑い方……どうにかならないかな…?」

 温室育ちと言われ続けた自分にとって、彼の笑い方は背筋に汗が伝うほど不気味だった。物珍しいを通りこして、少し恐い。
 だが彼は、「こればっかりは、直らないねぇ…。」と言いながら、またも笑う。

 「……そっか。それなら……仕方ないよね…。」
 「ヒッヒ! お坊ちゃんは、物わかりが良いんだねぇ。」
 「お、お坊ちゃん…?」
 「ヒッヒッヒ……ヒヒッ!」

 引き攣る自分を見て、彼は笑う。
 振り返るのが恐い。声だけでこんなに恐ろしいのだから、ニタリと笑う顔を見てしまったら、自分は失神してしまうのではないか?
 しかし『直らない』と言いきられてしまったので、これ以上求めることはできない。

 「……早く…………着かないかな……。」
 「ヒヒヒ。この早さだと、もう少しかかるねぇ。」
 「……………。」

 一人ごちた言葉を聞かれてしまい、更にその笑いが耳に入ってくる。
 凄く恐い。こんな人種が、この世にいようとは・・・・。
 確かに自分は、『温室育ち』と言われても仕方ないのかもしれない。

 「…………。」

 こうなれば、自分が黙るか先頭へ行くしかない。しかし背には、彼女が凭れてくれている。
 ササライには、前者しか選択肢がなかった。だがそれすらお見通しなのか、ニギィが笑う。

 「ヒッヒッヒ! お坊ちゃんは、すぐに反応するねぇ!」
 「………出来るだけ………早く着かないかな…?」
 「流れの速さを考慮しての、この早さなのさぁ! ヒヒッ!」
 「……………。」

 耳元で笑われ、ゾワッと鳥肌が立った。
 『世の中には、自分に合わない人も存在する』と、が言っていた事を思い出す。
 ・・・・・あぁ、彼の言葉は、常に的確なんだなぁ。

 そんな事を思い知りながら、ササライは、己に与えられたこの『試練』を乗り越えようと、気力を振り絞った。
 しかし、出来ることと言えば・・・・・・・・・・心頭滅却。